メンタルヘルス対策は企業の一「戦略」ととらえる必要があります(写真:A_Team / PIXTA)

同時期に4人もの従業員が休職

先日、ある企業の1部署で同時期に4人もの従業員が休職に入ってしまったという話を耳にしました。その部署全体で15人程度の規模ですので、ざっと4分の1にも及びます。問題は休職した従業員はいずれも、メンタル疾患での診断書が会社に提出されたことです。

管理職や同僚にとっては「寝耳に水」という状態だったそうです。そのうちの1人はこの冬の復職に向けて話し合いをしていますが、戻る先は同じ部署。もともと人手が足りていない部署だったため、戻っても休職前と同じ業務をしてもらうしかなく、復職にも不安が残っているようです。

その企業でメンタル疾患者が数多く出てしまった原因についてまではわかりませんでしたが、このような状況に陥っている企業は少なくないのではないでしょうか。長時間労働、うつ、自殺……職場の痛ましい惨状がメディアを賑わせ、対策の必要性が叫ばれています。

厚生労働省によれば、メンタル疾患による労災件数は年々増加の一途を辿り、最新の2016年度のデータでは請求1586件に対し、498件が認定され、過去最多となりました。

2015年12月には、従業員50人以上を抱える事業場に対して、ストレスチェックが義務化されました。ストレスチェック制度は、メンタル疾患およびメンタル不調のある従業員をあぶり出すためのものではありません。

労働者自身に、ストレスやメンタル状態に対して「気づき」を促し、セルフケアにつなげたり、場合によっては医師の面接のうえ、助言をもらったり、会社側に業務の軽減などの措置を実施し、職場の改善につなげたりすることで、「うつ」などのメンタル不調を未然に防止することが目的とされています。ただ、この制度がうまく機能している職場は、多くはないでしょう。

アデコが今年7月に行ったストレスチェックを実施する会社側の責任者への調査では、メンタルヘルス対策に課題・悩みがあると答えた人が61.3%を占めています。

その課題・悩みとしては、「休職者の増加」(46.7%)という回答が最も多く、次いで「従業員の生産性・士気の低下」(44.6%)、「メンタルヘルスに関する誤解や偏見が顕在・潜在化している」(35.3%)という結果でした。職場のメンタルヘルス問題は、改善までほど遠いというのが現実です。

実際、私は規模・業種を問わずさまざまな企業を見てきましたが、企業のメンタルヘルス対策は、できている企業とそうでない企業で2極化しているようです。

ある大手小売企業のA社では、メンタルヘルス対策の一環として、メンタルヘルスの相談窓口を人事に設けていました。そこに届くメールは月2〜3件。自分は“躁うつ病”なのではないかという相談や、部下からメンタルヘルスの相談を受けたという上司からの悩みが寄せられます。

ところが、窓口となっている当の人事担当は、メンタルヘルス対策のプロではありません。場当たり的な対応をせざるをえず、何の解決にも至っていないという課題を感じていたそうです。

また、コールセンターを主体とするB社では、メンタル不調者がコールセンターに勤務している従業員に集中していることを問題に感じていました。休職者もひっきりなしに出ているそうです。担当者は会社近隣のメンタルクリニックに、どうすればメンタル不調者をなくすことができるか相談に行きましたが、的を射た答えは得られませんでした。

こうした会社に有効な一手が「産業医」の力を借りることです。産業医は、労働者50人以上の事業場に選任が義務づけられている医師。企業側でも労働者側でもない中立の立場から、不調者への対応や、そもそも不調者が出ないように職場環境を整えるためのアドバイスを企業に行います。

多くの企業で産業医を担ってきたさくら事務所の山越志保さんは、前出の2社に対して以下のようなアドバイスをしています。

それぞれの会社へのアドバイスは

【A社へのアドバイス】
「人事担当の方にメンタルヘルス対策の知識を身に付けるよう、研修を受けてもらうとよいでしょう。そして、場合によっては、産業医に相談し、つなげたほうがいいと思います。
人事担当者が相談を受けていく中で自分自身、メンタルヘルスに不調をきたしてしまうという話もよくあるため、担当者自身も1人の労働者。本人もメンタルヘルスのセルフケアを学ぶ必要があります」
【B社へのアドバイス】
「相談する先が間違っています。メンタルクリニックの医師は臨床医。メンタル疾患などの病気を診断し、治療をする、つまり“疾病性”を診るのが臨床医の仕事。職場環境に向けて、メンタル不調者への具体的な対応策をアドバイスすることは実際には難しいことが多いのです。
疾病性とは、「抑うつ的」「意欲低下」「寝つきが悪い、早朝に目が覚めるなどの睡眠障害」「幻聴がある」などの疾病・病気に基づく症状や客観的な不健康状態であり、診断や治療に関することをいいます。
一方で、企業にいる産業医は、不調者にとって業務上何が問題になっているのか原因を探り、これ以上悪化しないように対応をアドバイスすること、そして今後同様の不調者が出ないように職場環境を改善することが仕事となります。これを“事例性”といいます。臨床医は“疾病性”を診る、一方で産業医は“事例性”を視るという違いがあるのです」

事例性とは「遅刻をする」「職場で大声を出す」「返事をしない」「上司や同僚とのコミュニケーションがとれない」など業務中の客観的な不適切行動を指したり、そのため職場関係者が困惑したりする状況や事実をいいます。

とはいえ、産業医がいれば万事解決というわけではもちろんありません。大手企業のように専属で産業医がついている場合を除き、多くの中小企業では産業医は嘱託の形態をとります。嘱託産業医は月1回程度の職場巡視と、衛生委員会への参加、過重労働者や高ストレス者への1〜2時間の面談が基本的に企業との接点となります。また、産業医の選任義務を持たない企業もあります。

実はA社にもB社にも産業医はいました。しかし、「名義貸し」状態であったり、法に決められた通りのことをやるだけで形骸化してしまっていたりで、機能していなかったのです。

さらに、中には企業側の意向に偏った、中立を守れていない産業医も残念ながら存在します。そのような産業医では、不調者も相談しにくい状況になり、結果根本的な解決はできません。企業は、自社のメンタルヘルス対策に向き合って、共に解決策を講じてくれる産業医をしっかり選ぶ必要があるでしょう。

産業医の力を借りることに加えて、企業としてメンタルヘルス対策を整えるために、どのような仕組みが必要になるのでしょうか。山越さんはこう指摘します。

メンタルヘルス対策を整えるには

「メンタルヘルス対策がうまく機能している企業は、メンタル不調の初期のちょっとしたサインに気づける仕組みがあります。労働者にとって一番身近なのはその上司。上司が部下のメンタルヘルスの少しの変化に気づけるよう、密なコミュニケーションがとれていることが重要です。そして企業も上司個々のマネジメント資質に頼ることなく、研修などで教育していくべきでしょう。

それでもメンタル不調者をゼロにすることは難しいことだと思います。ゼロを目指すのではなく、不調者が現れたときの対応の適切さも重要になりますね。たとえば不調の原因が配置部門のミスマッチにあったとき、柔軟に人員の配置替えができる体制であること。これもメンタルヘルス対策が正しく機能している企業の特徴です」

企業が主体的に問題意識を持ち、解決に向けて行動できること。さらには不調者個人への個別対応で終わらせず、今後同様の不調者を増やさないように職場環境改善、全体の体制づくりにも意識を向けること。メンタルヘルス対策がうまくいっている企業の共通点にはこのようなものがあります。

たとえ入り口は「労働基準監督署に指摘されたから」「法律上やらなければいけない」といった理由でも、進めていくうちに「自社の従業員の健康を守りたい」「生き生きした企業風土にしたい」と前向きな改革を目指すようになっていきます。

メンタルヘルス対策を行い、職場環境を改善することは、労働者の健康に寄与するだけでなく、企業にとってもリスク回避やブランディングに結び付きます。企業の一「戦略」ととらえる必要があるでしょう。