株式会社フロントステージ 代表取締役 千田絵美さん

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勤め先に頼る生活は、安定したものだといえるでしょうか。100万円の貯金だけで東京に出てきたという千田絵美さんは、「不安定なほうが人生は好転する」といいます。これは安定を捨て、挑戦を選んだ3人の女性の実録ストーリーです――。

※本稿は、雑誌「プレジデント ウーマン」(2017年12月号)の特集「しない習慣」を再編集したものです。

■100万円の貯金を手に単身、東京へ出てきた

千田絵美さんは2016年9月、勤めていた会社を辞め、広報・PRコンサルティングの会社「フロントステージ」を立ち上げた。

「前社の経営陣がMBO(経営陣の自社買収)をして、大手傘下から抜けることになったんです。同年齢の社長がリスクを承知で自社株を買い取り、再出発する決断をした。私もぬくぬくしている場合じゃないぞ、と思いました」

最初に安定を捨てたのは、生まれ故郷の山口県岩国市に近い広島で小学校教師をしていたときだ。3カ月で辞めて広告営業の仕事に就いた。

「フリーペーパーの広告枠をとる営業をしながら自分がやりたいことを探していたのですが、一念発起して広報になろうと決めました。当時、広報の女性がメディアでよく取り上げられていたことが理由の1つです。それから、大好きな林真理子さんの小説に化粧品会社のPRを担当する女性を主人公にした『コスメティック』があり、読んで『かっこいい!』と憧れました」

登録していた地元の転職支援会社に「東京のみで転職先を探してください」と伝えると、本気で心配された。しかし、千田さんに迷いはなかったという。

「とにかく面接の予定を入れてくださいとお願いし、貯金100万円だけを持って上京しちゃったんです。それだけあれば3カ月間は暮らしていけるだろう、と思っていました」

■1人でほぼゼロから広報の立ち上げ

幸いにも、上京から3週間で転職先が決まった。上場を2カ月後に控えた、デリバリーサイトを手がけるベンチャー企業だった。

「ほかの会社はとりあえず営業からやりますかとか、広報アシスタントからというお話だったのですが、そこは面接してくださった女性社長が『あなたが来るなら広報の部署をつくる』と言ってくださった。それで決めました」

とはいえ、広報はまったくの未経験。教えてくれる先輩もいない。何もかもが初めてで、社長から毎日のように怒られていた。

「リリースを書くたびに駄目出しされました。日曜日の夜、会社に行きたくないと思ったのは後にも先にもあの時だけ。それでもなりたかった広報の仕事をしている喜びがあったから頑張れたし、あの経験があったから起業できたんです」

新聞や雑誌をくまなく読み、取り上げてほしいコーナーをリストアップ。片っ端から編集部に電話をかけて売り込んだ。前職で1日数十件も飛び込み営業をした経験が、ここで役に立った。

ゼロから広報を立ち上げた実績を携え、千田さんはその後、大手化粧品会社の広報に転職した。夢に見た化粧品のPR。華やかな記者発表会も経験し、高いビルの窓から景色を眺めたときは「やっとここまでたどり着いた」と思った。だがその頃から、ある心境の変化も起こり始めていたという。

転職後に結婚して約1年で出産。それまですべて計画通りだったのに、出産だけは予定外でした。いざ生まれてみたら娘がかわいくて。このまま仕事を辞めようかとも思いました」

「絶対に辞めないほうがいい」というエージェントの説得で踏みとどまり、時短勤務で復帰することに。転職した時点では「次は外資系!」と狙いを定めていたが、出産を経て夢が少し現実的になり、大きな組織には向いていないことも実感するようになった。

「いずれ独立したいと思っていましたから、経営者の仕事を間近で見られるほうがいいと思い、もう1度、ベンチャーへ。雑居ビルにあるオフィスを見たときには、正直、落ち込みました。けれど、すぐにこう思い直した。スペックで会社を判断するなんて情けない、と」

それから約3年で起業。つらいことも楽しいことも「10倍に増えた」と語る。振り返ると安定を捨て不安定の中へ飛び込むことで好転してきた人生だ、と自分では思う。

「先が見えないし、どうなるのかもわからない。だけどその分、命を燃やしている感じがします」

■四大法律事務所の1つから、名もないベンチャー企業へ

四大法律事務所の1つに数えられる「西村あさひ法律事務所」で弁護士をしていた岡本杏莉さんが飛び出した先は、スタートアップ企業の「メルカリ」だった。

「入社したのは15年春。当時、メルカリは設立してまだ3年目でした。スタートアップ業界では知られていましたが、一般的な知名度は現在に比べると低かったと思います」

当時は「何それ?」「なんの会社?」と聞かれることも多かった。

「そういう意味でリスクはありました。ただ、その時はそれをリスクだとは感じていなかった。むしろ、チャンスを逃すことのほうがリスクだと思ったんです」

そう思ったのは、前職の法律事務所の派遣制度を利用して、米スタンフォード大学のロースクールに留学した経験が大きい。

「スタートアップが多い土地柄、キャンパス内で起業家と知り合うこともありました。キャンパス内外で話を聞くとすごく刺激的だし、社会的使命を感じてビジネスを起こしたのもわかりました」

留学前はM&Aなどの企業法務を担当していたが、自分自身に物足りなさも感じていたという。

「クライアントとの距離がなんとなく遠いな、と感じたんです。クライアントは買収以前に多くの検討を重ねていますし、じつは買収した後のほうが大変で重要なのに、弁護士はそうした過程のごく一部にしか関与できない。自分に見えている領域はあまりに狭い、と思いました」

ロースクールでは、LLMと呼ばれる、国外留学生を対象とした約1年間のカリキュラムを受講。スタートアップ投資のスキームなどを学ぶうえでも、スタンフォードは最適の場所だった。その後、ニューヨークの法律事務所で研修を受けるが、徐々にメルカリへの転職を考えはじめる。

「ユーザーとしてUS版のメルカリアプリを使っていました。たまたまリーガル職を募集していることを知り、現地から日本のメルカリに応募したのです」

ちょうどメルカリが六本木ヒルズに引っ越すタイミングでの入社となった。従業員はまだ100人いるかいないかという頃。最初はフロアの4分の1を借りていたが、みるみるうちに成長し、ほぼ1フロアにまで増床した。メルカリの従業員数は現在、500人を超えている。16年には大型の資金調達を行ったが、じつは岡本さん、この案件にも中心的に関わったのだという。

「最初はリーガル担当として入社したのですが、『興味があるならやってみないか?』とCFOに誘っていただいたんです。『ぜひ、やらせてください』と答え、携わることになりました」

案件は17年3月にクロージング(投資家が投資資金を払い、引き換えに債券や株を受け取ること)し、これを機にリーガルからファイナンスへと業務の幅が広がった。

■フリーランスの場合は、出産も計画性が求められる

安定を捨てて飛び出せば、そこにはリスクも待ち構えている。フリーランスで英語の同時通訳者として活躍する田中丸はるなさんの場合、最初に直面したリスクは、夫の海外転勤だった。

「総合商社を辞めてフリーランスの通訳になり、ようやく仕事にも慣れたかなという頃、夫がブラジルに転勤することになったんです」

日英の同時通訳をしていたが、いったんは開店休業状態に。その間、エージェントを介して翻訳の仕事を紹介してもらうなどしてつないだ。

「通訳の場合、どちらかというと瞬発力勝負なのですが、翻訳は後々まで残るためきれいな文章に仕上げなくてはならない。人と会いたい私としては、通訳のほうが向いていると実感しました」

ブラジルで第1子を出産。子どもが1歳半の時に帰国し、「これでやっと通訳の仕事に戻れる」と安心したが、保育園探しには苦労した。「無認可を中心に探したのですが、どこも断られてしまい、20件目でようやく預けられるところが見つかりました」

様子を見ながら最初は午後5時まで、と時間を限定して仕事を再開。どうしてもキャンセルしなくてはならなくなった場合、現場で知り合った「ママ通訳」に代理をお願いするなどして、お互いに助け合った。

順調に仕事は増え、夜間のイベントや出張案件もこなせるように。だが17年、2度目のピンチが訪れた。

「8月に2人目が生まれ、産休後もしばらく仕事を休むつもりで役所に相談しに行ったところ、フリーランスの場合、法的に育児休暇を保証されていないため、休むと上の子を認可保育園に預けることができなくなる、と言われました」

しかたなく産休が明けると同時に、民間のベビーシッターと一時預かりの保育園に下の子を預けて仕事を再開することにした。

「しばらくは翻訳とスカイプを介しての会議通訳などを中心に回し、来年の4月以降、下の子も常時保育園に預けられることになったら外へ出て行く」つもりだ。

予期せぬリスクに直面はしたが、「商社を辞めて通訳を選んだことは後悔していない」と田中丸さんは言う。将来的な保証はなくとも、これまで仕事が途絶えたことはなく、商社を辞めた時点とほぼ同じ収入を確保できている。メルカリに勤務する岡本さんの場合、収入と労働時間のバランスを比較するとプラス・マイナスはあるが、相対的に仕事の満足度は上がった。担当業務の幅が広がり、新たな挑戦ができている。会社が副業を認めているため、個人的な弁護士活動も続けているという。

先の見えない時代、最後に自分自身を守ってくれるのは他者にはない経験だったり、実績だったりする。もしかすると、100%安定した人生など、どこにもないのかもしれない。「不安定なほうが人生は好転する」という千田さんの言葉が、現代を象徴している気がした。

(曲沼 美恵 編集=福田 彩 撮影=強田美央)