※写真はイメージです

写真拡大

90年代の音楽シーンに旋風を巻き起こした小室哲哉。そんな小室の初の冠番組であり、初の司会であり、初のレギュラーとなった番組をご記憶だろうか?

小室哲哉の初司会番組 ありえない顔合わせが次々と実現!


それは、95年4月にフジテレビ系で始まった音楽トーク番組『TK MUSIC CLAMP』。
半年前にスタートした『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』のB面的な位置付けで始まった番組である。

ダウンタウンがゲストを面白おかしくイジくり倒す『HEY!HEY!HEY!』に対して、こちらは小室がゲストと真摯な音楽談義を繰り広げるのが基本構成。
小室ファミリーはもちろん、桑田佳祐や坂本龍一、ASKA、井上陽水といった時代を超えた大物たちや小沢健二、小山田圭吾、ピチカート・ファイヴなど、90年代を席巻した渋谷系。トークをテレビで披露すること自体が非常にレアなB’zの稲葉浩志やYoshikiなど、貴重な顔合わせが幾度となく実現している。

ジョークかボケかわからないTKトーク術


小室がゲストのトークを引っ張るのだが、音楽の話以外はどこかズレたセンスが炸裂しまくり。しかも、常にフラットというかテンションが低いまま淡々と繰り出すジョーク……か天然ボケかわからない発言も多く、下手なバラエティよりよっぽど面白かったのである。

ゲストがglobeの回では、アルバムの収録先でもあったLAの話題が中心に。小室がロスの空気が似合うという話から脱線して、なぜか「ロスあるある」の話に及んだ。
「ロスはみんな襟足長いですね」と振る小室に賛同するマーク・パンサー。すると「B'zの松本君がたくさん歩いてるんですよね。よく松本君見掛けます、ロスでは」と続ける小室。ジョークか本気かわからない発言に戸惑うマークを尻目に、「田村正和さん的な髪形の人が多いよね」と畳み掛ける。……当時のLAはそんな街だったのだろうか?

福山雅治がゲストの回では、ツアーの話題が思わぬ方向にシフトして行ったからたまらない。
ツアーが大好きと語る福山に対して、ツアーが苦手で過労で何回入院したかわからないと語り出した小室。なぜか饒舌に入院自慢に突入して行く。
小室「いろんな地方の病院知ってますよ、入院してますから」
福山「あ、そうなんですか」
小室「秋田でも入院したし、小樽でも入院したしね。全部大体、半分救急車で会場からっていうのがあったから」
福山「へぇー」
小室「沖縄でも入院したしね」
福山「まあでも、似合いますよね、でもね。なんか、そういうのが」

興味なさげに相づちを打つ福山との温度差が凄い。陰(小室)と陽(福山)のコントラストが強すぎる会話であった。

TKプロデュース作品をアイドルに歌わせるコーナーも


エンディングでは、小室の楽曲を小室の演奏に合わせてアイドルが歌うのが恒例だったが、むしろこちらが小室的には1番やりたかった企画ではないだろうか?

広末涼子による観月ありさの『happy wake up』、奥菜恵によるtrf『BOY MEETS GIRL』などなど、新人アイドルたちが初々しい歌声を披露。小室による超豪華な接待カラオケといった感じだったのが印象深い。
ちなみに仲間由紀恵は、このコーナーを通じて歌手デビューを果たしている。(記事は こちら

小室哲哉と華原朋美の公然イチャイチャトーク


番組の私物化の最たるものが、“恋人”華原朋美の起用法だ。
番組が始まってすぐの95年4月、遠峯ありさ時代の華原朋美にTM NETWORKの代表曲『GET WILD』をあてがい、6月の改名後には小室作曲による中山美穂の『50/50』を歌わせている。この曲は華原が初めて買ったレコードであり、芸能界を志すきっかけとなった運命的な作品。シンデレラのハートはメロメロである。

3rdシングル『I’m proud』リリース日となる96年3月6日には、華原をメインゲストに呼んでおもてなし。小室が「スーパースペシャル」な回と断言し、トーク後半は華原が求める形で普段通りのタメ口会話になって、イチャイチャしっぱなしだった。
さすが小室、「アーティストに手をつけたのではない。恋人に曲を書いてデビューさせただけだ」という名言を残したのは伊達ではない。

さらに、小室の指名により華原がこの番組の3代目MCに就任。音楽知識もトークも力不足なのは百も承知の大抜擢だ。しかも、華原MCの第1回ゲストは、憧れの中山美穂。最終回のゲストは小室自身で、やっぱりイチャイチャしまくったのだった。

キムタクがゲストの回で、「音楽以外は僕、なんにもできないから、本当に」と断言するのも納得の、見ているこちらがヒヤヒヤするぐらい飾らなすぎるトーク番組であった。

※イメージ画像はamazonよりTetsuya Komuro Interviews Vol.2 (1990s)