大学という、いわばムラの戦いに大きな関心が集まる日本。野球、ラグビー。そして何と言っても駅伝だ。大学に限らずつい見入ってしまう、その説明付けが難しい訴求力も輪を掛ける。

 先日、行われた全日本大学駅伝しかり。こちらを他の用事を後回しにさせ、最後まで観戦させる恐るべき力を発揮した。しかし、レースが終わると空しい気分に誘わせた。毎度のことながら、だ。いつも以上だったと言っていい。

 その中で、実況と解説が、幾度となく話題にしたのが2020年東京五輪。解説が先日、その長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(PR)に就任した瀬古利彦さんだったこともある。実況は、青山学院大のタスキが一色恭志選手に渡ると、大学長距離界期待の星だと力説。その走りを見た瀬古PRは、マラソン向きだ、東京五輪期待の選手だと絶賛。放送席はメダルも狙える選手だと言う話で盛り上がった。

 そして、青山学院大を優勝させるだけでなく、早稲田大学の渡辺康幸選手が出した記録を破って欲しいとか、同じく最終7区を走るドミニク・ニャイロ選手(山梨学院大)にもタイムで勝って欲しいと力説。そして一色選手とニャイロ選手の記録が競っているとのレポートが入ると、放送席はますます活気づいた。

 だが、日本期待の一色選手は伊勢神宮の大鳥居という通過ポイントで、渡辺さんの記録に大きく遅れていることが判明。新記録の期待がなくなるばかりか、その足色は、素人目にも分かるほど鈍っていった。

 それを境に、一色選手の記録の話は一切でなくなった。ニャイロ選手との記録の比較も取りやめになった。話は、すっかり優勝が確実になった青山学院大の話題に切り替わった。いかに素晴らしいチームか。歌いあげるのみとなった。不自然とはこのことだ。

 青山学院大がゴールしてほどなくするとニャイロ選手がゴール。タイムを見れば、トップとの差は大幅に詰まっていた。ケニア出身の留学生が一色選手より1分以上早い区間記録で好走したにもかかわらず、放送席はその件について触れず終い。青山学院大が歓喜する絵に見事なまでに従った。瀬古PRまでそれに同調していた。

 2020年東京五輪話はすっかり雲散霧消。番組は大学のムラ話に終始する形で終了した。実況の判断なのか、ディレクターからの指示なのか定かではないが、意図的に内向きな話に持って行こうとする姿はまさに非国際的であり、非五輪的だ。

 ニャイロ選手は、母国ケニアでどれほど期待されているランナーか定かではないが、この駅伝においては一介のムラ話を、インターナショナルなレベルに発展させる貴重な存在。3年数か月後に控えた東京五輪を占う重要な物差しだった。だが、日本期待の星はその前に惨敗した。一方で、青山学院大チームは見事優勝。そしてテレビはと言えば、惨敗という五輪的な事実に、臭いものに蓋をするかのように目を反らし、チーム戦の勝者ばかりを讃えた。マラソンや長距離は個人戦。チーム戦ではない。青山学院大の勝利は、五輪とは直接的な関係がない。少なくともテレビ観戦者には。日本のマラソン界が、世界から取り残される理由が浮き彫りになった瞬間だった。

 いま、駅伝で名前を売ろうとする大学は数多い。駅伝に限った話ではない。多くのスポーツがその対象になっている。だが、その発想は例外はあるとは言え、きわめて国内的だ。国際性の象徴である五輪と好ましい関係にない。

 この現実を、よい方向に持って行くためには、大学をクラブ化するしかないと思う。青山学院大を青山学院クラブにすればいい。大学を卒業してもクラブに残ることもできれば、高校時代から入ることもできる仕組みだ。大学駅伝に出場できるのは1年生から4年生。だが、一色選手のような期待の若手に、OBを中心に構成される青山学院クラブのランナーとして、実業団の大会へ出場する門戸が開かれれば、世界はぐっと広がる。指導にも一貫性が生まれるので、選手を長期的に育てることができる。プロがあるサッカーでは、青山学院クラブとしてJリーグ入りを目指せばいい。大学より試合数が多いので、その名前は、大学単体の試合に出るよりはるかに売れるはずだ。
 
 サッカーの場合、大学出身の選手は少数派だ。大学を卒業すれば22歳。30歳を越えて現役でいられる選手は、全体の1割程度なので、プロ選手としての寿命は短くなるが、近年はそれでも大学にいい選手が流れつつある。景気の悪さとも相まって、とりあえず大学に行って、様子を見ようとする選手が増えている。
 
 だが、大学のクラブがJリーグ入りすれば、話は変わる。大学生オンリーの大会には育成カテゴリーのU−22が出場。能力の高い選手は、在学中にJの舞台にプロデビューできる。より高いレベルでプレイができる。卒業してOBになっても、クラブに留まることができる。
 
 それは2020年東京五輪に何を期待するかの答えでもある。足枷になっているのは高校、大学、社会人というムラと言うべきカテゴリー分けだ。大学に入る前と後の関係が、円滑にならない限り、日本のスポーツは伸び悩む。その中間に位置する大学が、変に頑張りすぎている駅伝を眺めていると、大学のクラブ化がいっそう不可欠な改善点に思えてくる。東京五輪をそのターンニングポイントにして欲しいものだ。