黒田博樹は、日本のみならず7年間を過ごしたアメリカでも5年連続2ケタ勝利を達成するなど順調に白星を積み上げ、7月23日、ついに野茂英雄以来の史上2人目となる日米通算200勝を達成した。

「黒田はすごい」――そんなこと、誰もがわかり切っていることだ。ただ、黒田という投手の評価は、残してきた数字だけで判断することはできない。いったい、「黒田のすごさ」とは何なのか? 入団時からの黒田を知る者に聞いてみた。

 黒田の先輩であり、入団当時、広島のエースだった佐々岡真司二軍投手コーチの答えは「気持ち」だった。

「入ってきた頃は、完成された投手というよりも、これからさらに成長する投手だと感じていました」

 まだ成長過程にあった体力と技術力を向上させたのが、強い気持ちだというのだ。

「春季キャンプで、オレが300球の投げ込みをしたら、翌日、黒田はその球数以上の投げ込みをしていた」

 エースに追いつき、追い越そうとする思いが、先輩を上回る数の投げ込みに駆り立てたのだろうか。黒田は、入団5年目の2001年に初めて2ケタ勝利を挙げた。同年オフには、佐々岡に「今年はアイツが主役」と認められるまでの存在となった。

 佐々岡コーチと同じように「心」と言ったのは、入団時にブルペン捕手として黒田の素顔を知る水本勝己二軍監督だ。球場だけでなく、一緒に何度も食事に出かけるほどの間柄。水本は言う。

「アイツとは野球の話しかしていないかもしれない。どうしたら勝てる投球ができるのか。常に野球のことばかり考えていました」

 四六時中、野球のことばかり考えている。大投手となった今でも、球団関係者が「登板2日前には気安く話しかけられる雰囲気じゃない」と言うほどだ。プロ入りしてから20年、そうした積み重ねが黒田という投手を創り上げてきたのだろう。

 長くバッテリーを組んできた倉義和選手兼任二軍バッテリーコーチは、黒田について次のように語る。

「やると決めたことを徹底できる人です」

 勝てる投手となるために大きな目標を掲げ、愚直なまでに突き進む。その過程において、努力を怠らず、貫き通してきたからこそ今がある。40歳となった昨季も「気持ちだけで勝てる世界ではないが、気持ちがなければ勝てない世界」とも言っていた。今でもそのスタイルは変わらない。

 立場が変われば、見方が変わることもある。広島の初優勝を知るベテランの福永富雄トレーナーは、黒田のすごさについて「体の強さ」を挙げた。

「あの年齢になってもあれだけ追い込むことができるのはすごいこと」

 技術向上のための投げ込みも、一切の妥協を許さないトレーニングも、強靭な体力がなければできないことだ。

 心と体という大きな土台の上で技を磨き、投手として成長を遂げてきたのだ。

 だが40歳を超え、今季も首回りのしびれや右肩痛で一度、選手登録を抹消されたように体は満身創痍。150キロを超すストレートで押し込んだ20代の頃のような勢いはもうない。代わりに、その日のコンディションのなかで最大限のパフォーマンスを発揮する術を身につけ、球質の改良や制球力の向上、さらに打者との駆け引きでアウトを重ねてきた。

 古くから黒田を知る東出輝裕一軍打撃コーチは言う。

「本当に自分の白星はどうでもいいと思っている。チームの優勝のことしか考えていない。そこがすごいところですね」

 黒田にとっては日米通算200勝もただの通過点にすぎないのだろう。その先にある大きな目標こそが、41歳の黒田を支えている。黒田は言う。

「同じしんどいことでも、今はやっていてやりがいがある。気持ちを奮い立たせてくれるのか、体は動くし、なにより充実感がある」

 最大のモチベーションは、25年ぶりの優勝だ。メジャー球団からの好条件のオファーを蹴ってまで、広島復帰を決めた。あの日の思いが、黒田を突き動かしている。

「クロ(黒田)はいつもチームの勝利のために投げてくれるし、言葉でもそれを発信してくれている」

 緒方孝市監督も黒田の"フォア・ザ・チーム"の姿勢を称える。

 無名の投手から広島のエースにまで上り詰め、海を渡ってもエースと呼ぶにふさわしい投球を続けてきた。日本に復帰しても、若手の鑑(かがみ)となるような立ち居振る舞いで "生きた教材"としてチームメイトに様々な影響を与えてきた黒田。切望してきた歓喜のときは刻一刻と近づいている。

前原淳●文 text by Maehara Jun