日本人は日本の批判を言わない。世界を広く見たくない。リスクを負いたくないというなら、毎週、ハリルホジッチをゲストに迎える必要が生じてくる。

 スポーツを盛り上げる手段は簡単だ。世界を狭く見せれば見せるほど、ドメスティックな試合は映えて見える。最近の日本代表戦がまさにそうだ。W杯アジア2次予選。戦いはまだ始まったばかり。世界の入り口に立ったに過ぎない段階だが、狭く見せる細工を施すことにより、大した試合に見せることができる。「完全アウェイ」では全くない試合まで「完全アウェイ」とアナウンスしたのはアフガニスタン戦を中継した東京放送だが、その程度の誤魔化しは、もはや朝飯前。制作者は、許されるものと認識している様子だ。

 サッカーは陸上や水泳とは違う。日本記録と世界記録が併記された中で試合が行われることはない。フィギュアスケートのように、採点の合計得点で世界的な立ち位置が推し量れる競技でもない。世界基準の物差しが存在するのはせいぜいFIFAランキングのみ。欧州のようなリーグランキング、チームランキングは存在しない。Jリーグはいま世界で何番目のリーグかは不透明。それだけに、この世界に携わる人は、その点に常に気をかけている必要がある。

 謎と向き合う姿勢を放棄し、むしろ意図的に閉ざし、隠そうとする手法。世界を狭くすることで強く見せようとする演出が、日本のサッカーメディアのスタンダードだとすれば、世界で最も盛んなスポーツ、サッカーとの相性は最悪になる。

 サッカーという取材対象物と、どの距離で向き合うか。近すぎる距離で一定しているのが日本。世の中はなぜか近眼で溢れている。高齢化社会が近づいてきていると言うのに、だ。いい大人なのに近眼では、格好悪いと僕は思う。