夏の高校野球、そのバックネット裏でもうひとつの戦いが行なわれています。ことの起こりは8月12日の東海大相模VS聖光学園戦でのことでした。毎試合バックネット裏の同じ席で観戦をつづける名物ファン、通称「ラガーさん」がなんとふたりいたのです。ラガーシャツに蛍光イエローの帽子という目立つ格好の人物がふたり並んで観戦するさまは、高校野球ファンをざわつかせるものでした。

どうやらこれはファン同士の席取り合戦によるものらしいのです。もともとの「ラガーさん」がいつも座っている座席を狙って、前日昼から入場口前で並んだ「偽ラガーさん」が席取り合戦を仕掛け、その結果両者が隣同士で座ることになったのだとか。(※席取り合戦自体はもともとのラガーさんが勝利した模様)

しかし、この戦いはコレで終わりではありませんでした。もともとのラガーさんとともにバックネット裏で観戦をつづける仲間、通称「8号門クラブ」(※「8号門」はバックネット裏の自由席にもっとも近い入場口のこと)のメンバーが、偽ラガーさんに座席を移動するように圧力をかけたというのです。
バックネット裏を含め、夏の高校野球の座席はすべて自由席です。バックネット裏は中央特別自由席と呼ばれ、当日券なら1枚2000円、全日程の通し券なら26000円で誰でも購入可能なもの。どの席に座ろうが「自由」です。入場口での待機にはローカルルールもあるようですが、今回の偽ラガーさんは前日昼から並んで最前列を確保したようですので、徹夜黙認の何でもアリの競争となっているのでしょう。自由競争であれば、一度座った席を移動させられるいわれはありません。偽ラガーさんの主張のように座席移動の圧力があったとすれば、それは不当な圧力だと言わざるを得ません。

ただ、それはそれとして、どっちの肩を持つとかではなく「両方気持ち悪い」と僕は思います。

双方の是非はともかく、何と不毛な争いであることか。こうした争いを見るにつけ「自由席」というものは、極めて面倒で厄介なものだと感じます。最前列を争って前日から徹夜し、入場開始と同時にダッシュし、席に座っても戦いがつづく。これは「自由」ではなく、「無法地帯」と呼ぶべきものではないでしょうか。映画『マッドマックス』の世界のように、チカラによってすべてを支配する世紀末の様相が、甲子園のバックネット裏にはある。そのような薄ら寒いものを感じます。

こうした「自由」、いや「無法地帯」は将来的に排除されて然るべきものでしょう。こうした自由は「弱者差別」にあたるからです。たとえば普段は車椅子に座っている足の不自由な方や病気によって外出できる時間に制限がある方が、高校野球を大好きで、バックネット裏の最前列で見たいと思ったとき。「徹夜」「ダッシュ」「争い」を掻い潜らねばたどりつけない最前列に座るチャンスはありません。ノーチャンスです。「全席抽選」であれば誰にでも等しくチャンスがあったものを、「自由」という名の「無法地帯」を放置することによって、弱者のチャンスは始めからゼロになっているのです。弱者には良席で試合を見るチャンスはない、そういう差別的世界です。

こんなことを言えば「たかが野球の座席」と言う声も上がるでしょうが、たかが野球ですらそうした差別的状況を変えられないのであれば、実益が絡んだ世の中の仕組みなど永久に変えられないでしょう。今すぐすべてを直すのは難しいとしても、このような争いが顕在化し、考えるキッカケを得られたのです。今こそ変えるチャンスなのではないでしょうか。気づいたところから順番に。

教育の一環であるところの高校野球。ただでさえ炎天下の連戦が残酷ショーと揶揄される中で、バックネット裏を支配する「弱者差別」をも放置するのでしょうか。「バックネット裏のような観戦しやすい良席は指定席とし、抽選での販売とする」だけで、ひとつ世の中がよくなるのです。今年はもうチケットも販売済ですから導入はできないでしょうが、徹夜待機を厳格に禁止するなり、開場前に事前抽選を行なって座席の割り振りを決めるなど、弱者差別の争いを止める動きはできるはずです。

問題が顕在化したときに、どのように対応するか。

それを大人が行動で示すのも「教育」なのではないでしょうか。

それとも、大っぴらには言わないだけで、高校野球そのものが「チカラこそが正義」という教育方針で行なわれていることなのでしょうか。もしそうなら、むしろバックネット裏での弱者差別などは、教育方針に沿った実例として、球児たちの教育にも活かされているのかもしれませんね。競争に負けた弱者は、土でも拾ってオメオメ帰れ、と。それはとても素晴らしい世の中ですね。

(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)