その「吸収力」は他の86年組にも当てはまる。岡崎もCF、トップ下、サイドハーフ、ウイングと、所属先でチャンスを掴むために様々なポジションに貪欲に挑戦。やがてシュツットガルトで“プレス要員”のような扱いを受けて苦悩し、「結果=ゴール」にこだわると誓う。
 
 そう吹っ切ったあと、ゴール数はたちまち増えた。また長友は明治大でMFからSBへの転向を機に台頭。反町ジャパンでは当初控えだったが、周囲の技を貪欲に吸収し、爆発的な運動量をチームに還元する術を身に付けた。
 
 一方、85年組の代表格だった平山はFC東京に加入した06年以降、ルーカスらとの共存策を見出せず、もがき苦しんだ。城福浩監督時代にブレイクしかけたものの、結局、自らの殻を突き抜け切れず現在に至る。もちろん現代表でCFは人材難なだけに平山のロシア行きの可能性は十分あるが、これまでの歩みは、本田や岡崎とあまりに対照的である。
 加えて、86年組のタフさも特筆すべき点に挙げられる。反町は「圭佑は海外組だったが、代表に招集した時は必ず来ていた」と振り返る。クラブの事情による招集拒否や彼自身の怪我などによる離脱はなく、小さな国際大会にも必ず参加した。そのスタンスはA代表に定着したあとも変わらない。
 
 タイトな日程やハードな移動よりも代表に選ばれる誇りを優先し、しかも手を抜かない。そうやって長年に渡り、日本代表でのポジションを守ってきたのだ。その姿勢は同い年の岡崎や長友にも多大な影響を与えた。
 
 ハリルホジッチが新たに代表監督に就任した。ポジション争いもゼロからのスタートだ。新チームはポゼッション重視ではなく縦に素早く仕掛けるスタイルを試みる。それはこれまで積み上げてきたものを否定することになるのでは? 3月31日のウズベキスタン戦後、本田はその問いに対し、次のように答えている。
 
「間違いを認めることでこそ、新しい自分が見つかる。試行錯誤すれば、考えは変化するもの。僕は否定から入ることを、決して怖れていない」
 
 時には間違いを認める――。「これだ」という確信を否定する作業は、二度と立ち直れなくなるかもしれないリスクさえ伴う。それでも本田は自らの奥底にあるマイナス面を直視することから逃げない。その試行錯誤が、最終的には進化につながってきたという自負があるからだ。
 
 本田の基本スタンスは、少年時代から変わらない。そのブレない太い根幹に支えられ、彼独自の吸収力やタフさは豊穣に養われたと言える。
 
 そしてウズベキスタン戦でスーパーミドルを突き刺した青山敏弘(現広島)も86
年生まれで、北京五輪代表の落選から這い上がってきたひとりだ。本田、岡崎、長友、青山……第一線に立つ86年組には、間違いなく通底するものがある。
 
 挫折や苦悩を乗り越えてきたタフな世代。今は下からの突き上げという挑戦を受ける側に立つ。しかしその突き上げが強ければ強いほど、彼らはその刺激をも進化の糧にするのだ。負けてたまるかという86年組の意地が、日本代表をより逞しく、タフな集団にする。 (文中敬称略)
 
取材・文:塚越 始(サッカーダイジェスト編集部)

※『サッカーダイジェスト』2015年4月23日号より転載