太平洋戦争最末期の昭和20年7月、当時の青森県知事は、空襲を恐れて都市部から農漁村に疎開する者が増えたことを受け、これでは空襲時に消火に当たる者がいなくなる、28日までに元の家に戻らなければ食糧や物資の配給を停める、などと言った趣旨の発言を行った。それを聞いて多くの市民が疎開先から帰宅した。その28日の夜に青森市は米軍機の空襲を受け、1000人を超える犠牲者を出した。人間の生命よりも国の防衛が優先されること