羽生善治三冠インタビュー 「親の期待がなかったから強くなれた」
突き抜けた才能を持つ人たちは、子どもの頃にどんな教育を受けていたのか。また、大人になった今も、どのように自身を磨いているのか。連載第1回は、将棋の羽生善治三冠を取材。将棋界で初の7タイトル独占(七冠)を達成した「天才」は、40代になった今もなおトップ棋士としてしのぎを削っている。日々更新される将棋の「常識」とどう向き合い、闘い続ける極意について伺った。
(聞き手は、子どもの学習支援や成人向け就労支援事業などを行う(株)ウイングル代表の長谷川敦弥氏。構成は書籍オンライン編集部)
将棋よりサッカー漬けの
小学校生活
長谷川 幼少期の羽生さんはどんなお子さんでしたか。
羽生 宿題や勉強はそれなりにやっていました。端的に言うと「支障がない程度にやっていた」という感じです。得意科目は算数でした。
長谷川 将棋を始めたのは……。
羽生 小学校1年生の時です。
長谷川 学校の先生から褒められたことはありましたか。
羽生 あまり学校の先生から褒められたっていう記憶はないですね。怒られたっていう記憶もほとんどありません。自分で言うのも何ですが、非常に印象の薄い生徒だったと思います。
長谷川 算数が得意だった理由は何ですか。
羽生 小学校2年生から中学3年生まで、公文式をやっていました。当時、『ドラえもん』(当時は、テレビ朝日で月〜土曜の18:50〜19:00、毎日放送されていた)が始まる前まで公文の宿題をやり、番組が始まったらテレビを観るというのが日課でした。
長谷川 小学校では何をして遊んでいましたか。将棋一筋だったのでしょうか。
羽生 いいえ、そんなことはありません。流行りものも、ひと通り遊びました。ルービックキューブとかヨーヨーとか。休み時間は、小学校の高学年の頃は、だいたいサッカーをしていました。『キャプテン翼』の漫画とともにサッカーが流行り始めた頃だったので。郊外の学校でグラウンドが広かったこともあり、20分休みや昼休みなどの長い休み時間は、ほとんど外でサッカーでしたね。
家に帰ってからは将棋を指すことが多かったと思いますが、学校ではクラブ活動の週1回以外は将棋はやりませんでした。