肉ジャガ。といってもただの肉ジャガではない。1938年版の『海軍厨業管理教科書』に記されている海軍レシピを澁川さんが再現したものだ。調味料を入れるタイミングが分刻みで書かれており「とにかくせわしなかった」とのこと。水を入れないということもあり、お味は濃いめだとか

写真拡大 (全3枚)

「えー、得意料理ですかぁ〜。うーん、料理は得意な方ですけど、あえて言うと肉ジャガかな」

ちょっとカワイくて憎からず思っている女の子にこう言われたら、関西人でもないのに
「えーコやぁ。ヨメにするならこういうコが一番や」とうっかり口走ってしまいかねないという自覚のあるアナタ、要注意です。

「肉ジャガというと『おふくろの味』のアイドルみたいなところがあって、いいなと思ってしまう独身男性って多いんですよね」

そう話してくれたのは、食に詳しいライターの澁川祐子さん。

「たしかにご飯との相性もいいですし、ボリューム感もあります。手料理に飢えた独身男性だったらそそられるでしょうね。でも肉ジャガって実は簡単というか、失敗しづらい料理なんですよ。本当に料理が得意な人はあまり『得意料理は肉ジャガ』とは言わないと思います」

おっと、いきなり爆弾発言。

「私の友だちでも『得意料理は肉ジャガ』という女性と付き合って、フタを開けてみたらろくに豆腐さえ切れなかったと嘆いていた人がいますが、それを聞いて『ああ、一杯食わされたな』と思いましたね」

独身男(a.k.a. チョンガーズ)のおふくろの味幻想を破る一言。いや、それどころか、肉ジャガがおふくろの味の不動のセンターの位置を獲得したのは比較的最近のことだと言うのだ。

「そもそも”肉ジャガ”という名前が登場するのが、昭和40年代の終わり頃です。その頃ファストフードが一世を風靡(ふうび)していて、その反動として伝統的な和食を見直す機運がありました。そういう状況の中、昭和50年代に入って”肉ジャガ”の名前の広がりとともに、『おふくろの味』というポジショニングを獲得していったんです」

なんと! ではもともと肉ジャガはどういう料理だったのだろう??

「よく言われているのは、海軍の料理だったというもの。明治時代の日本海軍元帥の東郷平八郎の発案だという説もあるんですよ」

海軍! 東郷平八郎!!
ますますおふくろが遠ざかっていく・・・。

「東郷発案説は俗説との意見もありますが、海軍発祥説はかなり根強いです。とはいえ、海軍発祥説の根拠となる記録が残されたのと同じ頃、一般の料理書にも肉ジャガに似たレシピが載っているので、海軍発祥説も確かだとは言えないんですよね。ただ、1937年の陸軍の標準献立表には「牛肉の煮込み」という肉ジャガと言える料理が2回も載っていますし、1938年版の『海軍厨業管理教科書』にもレシピが載っていますので、普及に軍隊が一役買ったことは間違いありません」

っていうかこの人、肉ジャガの歴史に詳しすぎるぞ。それもそのはず。実は澁川さん、さまざまな定番メニューのルーツをさぐる『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)という本の著者なのだ。

肉ジャガの他、コロッケ、トンカツ、焼き肉、しゃぶしゃぶ、メロンパン、ナポリタン、オムライスなど誰もが食べたことのある定番メニューの発祥を徹底的に追跡する「食探偵ノンフィクション」だ。

少なからぬメニューに起源の通説があるのだが、そうした説が必ずしも正しいとは限らないと澁川さんはいう。

「ネットで検索していくと、Wikipediaのコピーのような情報が多いのですが、丁寧に調べていくと、通説に矛盾があったりするんですよね」

そういう澁川さんは、明治時代にまでさかのぼり新聞や料理本などの書籍を丹念に読み込んで、さまざまな事実を突き止めている。たとえば日本におけるコロッケはクリームコロッケから始まって、ジャガイモのコロッケは日本流のアレンジだというのが通説だったが、明治時代の料理本や女性誌を精査した結果その説が誤りである可能性が高く、むしろジャガイモのコロッケが先に定着していたのではないかと指摘している。

他にも
「しゃぶしゃぶはモンゴル生まれの鍋料理」
「元祖『牛丼』はなんと味噌味だった」
「水戸光圀は『餃子』を初めて食べた日本人!?」

など、表紙には興味深いコピーが並んでいる。20を越えるメニューの中で、どのエピソードが特に評判がよかったか聞いてみると、男性なら焼き肉、トンカツやナポリタン、女性ではメロンパンの話が面白かったという人が目立ったと言いながらも、読者の反応はまちまちだという。

「結局、自分が好きだったり、思い入れのある食べ物が気になるんですよね」

それにしてもこの本を読むと、日本人がいかに多くのものを色々なところから取り入れながら日本食にしていったのか驚く。

「そうですね、日本人の食に対する貪欲さは他に類を見ないですね。とりあえず何でも取り込んでみて自己流にカスタマイズする能力がとても高いと思います」

それはそうと、この本を読んでいると無性に定食屋に走りたくなるぞ。うーん、何を食べよう? とりあえず、ひとまず今日は肉ジャガだけはやめておこうか…。
(鶴賀太郎)