「オタク」といえば秋葉原、というのもひとつの定番イメージです(写真はイメージです)。

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日頃の言動や、趣味の傾向、趣味への投資額や時間、所持品の傾向などから、「どう見てもオタク」な人はいるものだ。
でも、そういった人に何気なく「オタクだよね」と言って、「いやいや、オタクじゃないから!」と否定されたこと、ないだろうか。

傍から見ると立派にオタクなのに、「オタクじゃない!」と言う人たちには、それぞれの「言い分」があるようだ。典型的ないくつかのパターンをご紹介したい。

(1)身だしなみに気を遣っているから
「オタク=ファッションや髪型などに気を遣わない感じ」とか「メガネをかけて、リュックを背負って、アキバにいそうな感じ」とか、オタクに対して一定の外見的イメージを抱いている人は少なからずいるようで、オタクを否定する人たちの言い分には以下のようなものが挙げられる。
「オシャレに気を遣っている!」「スポーツとかしていて、体も鍛えているし」「身ぎれいにはしてるつもり」「流行もちゃんと知ってる」

(2)周りに合わせられるから
「オタク=周りの空気を読まず、誰も知らない・興味のない話を一方的にまくしたてる」「誰も聞いていない話をブツブツひとり言で話し続ける」というイメージがあるようで、「自分は相手が興味なさそうだったら、話さないから」「ちゃんと相手を見て話してるから」「相手の反応を見ながら話してみて、パクっと相手が食いついたら、ちょこっと出す。そこでまたパクっと食いついたら、またちょこっと出す」などの主張があった。

(3)オタクじゃなくて単なるミーハー
「オタクは、一つのことを熱心に深く掘り下げる傾向がある」という思いから、否定する人の言い分としては以下のようなものがある。
「自分は熱しやすく冷めやすいだけ。好きになると、一時的にものすごく熱くなって調べまくったりはするけど、マイブームが去ると他のものに夢中になるから、単なるミーハーだと思う」「あれもこれも好きだから、オタクというわけではない」

(4)「オタク」の足元にも及ばない
「オタクは、知識量や投資額・情熱の注ぎ方がハンパない!」という主張は実に多数。だから、「オタク」と言われて否定する人たちの言い分には、「(照)」や「謙遜」が含まれていることが多い。たとえば、よく聞かれるのが、こんな否定の仕方だ。
「いやいや、自分なんてまだまだ全然浅い知識だから、『オタク』なんて呼ばれるレベルにはとてもとても……」「世の中には本当に詳しい人がたくさんいるから、自分程度でオタクなんて言ったら笑われる」「自分くらいの知識じゃ、オタクの足元にも及ばない」

ちなみに、面白いと思うのは、「4」の逆パターンで、浅い知識や他人の受け売りばかりにもかかわらず、「私、○○オタクだからさ」などと言ってのける「自称オタク」の人たちもけっこういるということだ。

以上、「オタク」呼ばわりされることを否定する人には、「オタクを嫌う」人と、「オタクリスペクト」の人の両方がいることがわかる。
でも、確かに、「オタク」と言われても、よほどじゃないと堂々と「はい、そうですよ」なんて言えないですよね……。
(田幸和歌子)