【レポート】大阪府・道頓堀にもあるグリコの「走る人」マークの誕生秘話 -広報さんに聞いてみた
グリコのロゴマークといえば、あの「走る人」のマークを誰もが思い出すでしょう。大阪府・道頓堀でもライトアップされた「走る人」が一番目立っています。このマークはどうやって作られたのでしょうか? 江崎グリコ株式会社 グループ広報部の山本京子さんにお話を伺いました。
○あの「走る人」は「ゴールインマーク」
――大阪・道頓堀のランドマークにもなっている、あのグリコのマーク「走る人」ですが、正式には何という名称なのでしょうか?
弊社では「ゴールインマーク」と呼んでいます。
――なるほど。このゴールインマークはどうやって誕生したのですか?
弊社の創業者・江崎利一が考えたものです。江崎利一は考え事をするときには八坂神社(佐賀県)境内※1をよく利用していました。そして、グリコの商標と惹句(じゃっく)※2をどうしようかと考えていた利一の目に、境内で遊んでいた近所の子供たちの姿が飛び込んできました。
それは、駆けっこをしていた子供が両手を大きく上げてゴールインした瞬間でした。
「人間は誰でも健康でありたいと願っている。そのためには身体を鍛えなければならない。そうだ、スポーツこそ健康への近道だ。子供の遊びの本能もスポーツにつながっている。ゴールインの姿はそれらの象徴ではないか。これほどピッタリの商標はない」
と利一はさっそく原画を描きました。それまでに描いていた、花や鳥、象、ペンギンなどの候補と共に、近くの芙蓉小学校に持参し、先生に頼んで子供たちに見てもらいました。そして人気投票を行った結果、圧倒的に「ゴールインマーク」の人気が高かったのです。
※1……江崎利一さんは1882年(明治15年)神埼郡蓮池村(現佐賀県佐賀市蓮池町)の生まれです。大阪で事業を始める前は、佐賀県で活動されていました。
※2……惹句とはキャッチコピーのことです。
――なるほど。子供たちの姿がヒントになったのですね。実際にゴールインマークが完成したのはいつですか?
1921年(大正10年)のことです。
――もう90年以上も前のことなんですね。
「一粒300メートル」という惹句も同時期に生まれました。江崎利一が小学生のころに「博多まで」という大きなあめ玉があったそうです。佐賀県から汽車に乗って、しゃぶっていても博多まで持つという意味だったとか。
それをヒントに「一粒○メートル」というフレーズを思いついたのです。グリコの栄養価を計算したところ、およそ2、300メートルを走るだけのカロリーだったのです。
「500メートルでは大げさすぎる、100メートルでは弱い。300メートルではどうか。語呂もいい、真実にも近いし、ゴールインマークにぴったりだ」と考え、グリコの栄養価を300メートルに調整しました。
こうして「一粒 三百米突(メートル)」という惹句が完成しました。
○顔が怖いという意見で描き直し!
――ゴールインマークのデザインに変遷はあったのでしょうか?
はい。1923年(大正12年)ごろ女学生から「顔が怖い」という指摘があったようで、江崎利一はその表情を描き直すことにしました。
――そのときにモデルになった人はいるのでしょうか?
特定のモデルはいません。グリコの記録に残っているのが「極東オリンピック(第5回極東選手権競技大会)で優勝したカタロン選手(フィリピンの選手でマラソンで優勝)をはじめ、パリオリンピック(1924年開催)に出場した谷三三五(たにささご)選手やマラソンの金栗四三(かなぐりしそう)選手で、その他、当時の多くの陸上選手らのにこやかなゴールイン姿をモデルにした」そうです。
――その後も変化はあったのでしょうか?
現在まで少しずつ変化しながら使われてきました。そして、今でも弊社のシンボルマークとしてお客さまに親しまれております。
グリコの「ゴールインマーク」には創業者の熱い気持ちが込められていました。90年以上も子供たちに親しまれているのは、気持ちの熱量が要因なのかもしれませんね。
○そのほかのロゴの秘密も紹介中
(高橋モータース@dcp)