『覚悟の言葉 悩める奴らよでてこいや!』高田延彦/ワニブックスPLUS新書
“タレント・高田延彦”しか知らない人からすると、ビックリするような内容だと思う。

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個人的な話で恐縮なのだが、3ヶ月前に知人女性と同居生活をスタートしている。現時点で言えることは、もう完全なる大失敗だった。帰りたくないし、誰かを道連れにして帰りたいし。
自分と合う人物なのかどうかの判断、私は見誤ったのかもしれない。熟考していたつもりだけど、まだまだ足りない。相性や人となりを、掴み損ねていた。きっと向こうも、同じように考えているだろう。

話は変わるが、高田延彦について。そういえば、私は彼が大嫌いだった。思い返すと、20年くらい前の高田延彦が。
プロレスラーであることのコンプレックスが、すべてマイナスのベクトルで発散されていて。彼がエースを務めていた「UWFインターナショナル」なる団体ではインカムを着けたスタッフが会場内を走り回っていたものだが、「プロレス会場にインカムを持ち込んだ罪は大きい」という当時の某専門誌の断罪は、我が意を射たり! 当時の私は、何度も膝を打ったものだ。
だいたい、結婚相手に向井亜紀を選んでいるのが解せない。なんで、向井亜紀なのか。素人さんでも、良い人イッパイいるじゃない。
それらのすべてが、「プロレスラー」であることへの歪んだコンプレックスに見えた。プロレスラーがコンプレックスを持つのは結構だが、その持ち方が応援できなかった。馬場や猪木や前田とは、明らかに種類が違う。一言で言うと「鼻に付いた」のだ。

ところが、最近の高田延彦。いや、恐らく「総合格闘家」にシフトして以降の高田延彦。そのすべてが、少なくとも私は応援できた。“最強”(UWFインター時の高田が標榜したキャッチフレーズ)という鎧を脱いだ高田は、剥き身の魅力に満ちていた。
総合格闘技のリングで、世界の強豪にメッタ打ちにされる高田。「正直、今の自分を誰も“最強”と見てはいないと思う」と吐露する高田。
バラエティ番組における、屈託のない高田延彦も好きだ。「かいてかいて恥かいて 裸になったら見えてくる 本当の自分が見えてくる」という猪木のメッセージを最も実践しているのは、今の高田延彦なんじゃないかとさえ思えるようになってきた。

「この場所は、私にとって『アウェー』。だから、私は緊張をしてしまう」
これは『覚悟の言葉 悩める奴らよでてこいや!』(著者・高田延彦)という新書からの一節。ちなみに「この場所」とは、テレビ局のこと。
私は、またしても見誤っていたようだ。「肩の力を抜いたナチュラルな高田延彦は、実はこんなにも魅力的だった」と再発見したつもりが、とんだ思い違いだった。“タレント・高田延彦”は、彼にとって非日常の姿なのだ。

「引退してからの私だけを知る方々には、私はただ単に、図体の大きい剽軽なオジサンというイメージなのだろう」(同書より)
それは、大いなる誤解である。我々の勝手な先入観を一つ一つ荒々しく剥がしてみせる同書の内容について、順を追って見ていきたいと思う。

「自分のことを、こんな風に言うのは、あまり良くないことかもしれないが、いまの私は輝いていない。自分が一番分かっていることだ」
衝撃的な告白。あの高田延彦が、自ら語っているのである。しかし、そんな日常を彼は肯定する。そしてその背景にあるのは、彼が今までの人生で起こした10度にも及ぶ記憶喪失。プロレスラーという職業柄、避けられない体験である。
その際、激しい頭痛を感じながら「ひょっとしたら、俺は死んでしまうのかもしれない」という恐怖に取り憑かれる日もあった。そしてその手の恐怖心に襲われる瞬間は、現役引退後の今でもあるという。だからこそ「長期的な計画なんて明日死んだら、大怪我でもしたら、完璧に断ち切られちゃうものなのだから」と、今日という日を大切にエンジョイする高田。
「とりあえず今日やりたいことやできることだけは済ませて、今宵の眠りを大いにエンジョイしよう」
「これだって、幸福な暮らしだと思わないか」
「自分が、自分で期待するぐらい輝いていなくたって、それはそれで幸せじゃないか。違うかな?」

「私の中で『親友』という言葉は歳を重ねるごとに死んでいき、ついになくなってしまった」
高田延彦は、「親友はいらない」と断言している。
「こちらが一方的に相手のことを『親友』だと思っていて、何かを期待するとしよう。相手は相手で、こっちのことを『ただの知り合い』としか思っていないかもしれない。だとすれば、かれにとって、こちらの期待なんてものは、ただの勘違い」
そして「私自身も、べつに友人とも思っていない人間から、先方だけの思い込みの信頼を押し付けられたって、そんな押し付けには応じられるわけがない」とまで表明している。
要するに、期待し合いつつも、互いに「依存」してしまっている親友という関係性に疑問を呈しているのだ。
「私は、もっと極論を言いたい。『期待する』とか『依存する』というのは、相手になにか頼み事や相談をすることにつながる。私は、それが苦手なんだ」
誤解していただきたくないので付け加えるが、「一人の実物大の人間というものは、そんなこと(友人の多さ)では測れないと思うのだ」とも高田は語っている。つまり、そういうことである。

最後に、「夢」について。彼は「夢」を、以下のように定義している。
「自分の持つすべてを犠牲にしても、それだけは獲得したいと願うこと」
そして、彼の人生における夢は「プロレスラーになること」ただ一つだけだったという。では30年以上前に新日本プロレスに入門した高田延彦は、それ以来「夢」を持っていないのか?
「正直に言えば、その通りだ。私が考える『夢』の定義からすれば、いま生きている私は夢を持っていない」
この言葉、ネガティブに捉えないでいただきたいのだ。そこで、「KAMINOGE Vol.10」における高田延彦インタビューを引用させていただきたい。
「『新日本プロレスに入門する』ということが、俺の唯一の夢だった。それを叶えることができた。でも、そこで満足をしていたら、もう終わっていたわけです」
それからは日々、目の前にある現実を一つ一つクリアしていく。例えば、身体の線が細かった入門当時の高田は、毎月2キロ体重を増やさなければクビになる可能性があったそうだ。だからこそ「体重を増やしたい」、「ベンチプレスをこれだけ上げたい」、「スパーリングで負けたくない」など、手を伸ばせば掴めるような距離のことだけを追いかけていく。
「一生懸命やってたことが結局、日々の積み重ねじゃない? なんでも同じで、地道に積み重ね続けることが」
デビュー時からUWFを理想に描き、総合格闘技を志向し、PRIDEを目標地点に置いていたわけではない。今日、明日、あるいは一週間先といった短いスパンの分岐点を設定し、フルパワーで向かって行く。
「あくまで結果だからね。だからおもしろいんだよ。思いもしなかった結果が待ってるっていうのがありうるから」
前田日明を兄貴のように慕い、そして袂を分かった。「道場でのスパーリングでは滅法強い」と言われるまでになり、「いざとなったら、(骨を)折れるのは高田だ」とまで評される男となった。PRIDEで、偉大なる“時代の捨て石”にもなった。田村潔司、桜庭和志、高山善廣といった優秀な弟子も残している。それら全てが、あくまで結果なのだ。

「親友も夢もなくても生きていける」という意思表明を、早合点で誤解してほしくない。高田延彦による、完全無欠のポジティブなメッセージである。
(寺西ジャジューカ)