野沢雅子(のざわ・まさこ)
1936年10月25日生。東京都荒川区出身。3歳のときに子役として映画デビュー。アニメデビューは「鉄腕アトム」(1963年)。初主演作は「ゲゲゲの鬼太郎」(1968年)鬼太郎役。「狼少年ケン」「鉄腕アトム」など、アニメーション初期から、現在まで第一線で活躍する声優。少年役を女性が演じることになった草分け的存在でもある。主な代表作に「ゲゲゲの鬼太郎」(1作目・2作目・墓場鬼太郎)鬼太郎役、「銀河鉄道999」星野哲郎役、「ドラゴンボール」孫悟空役ほか、「ど根性ガエル」ひろしなどがある。「アシュラ」では、主役アシュラを演じる。ことばをしゃべれないけだものから、だんだんと人になっていくまでを演じ分けた。想田和弘監督は「演劇」のつぎは野沢さんで「声優」を撮るべきだと思います。

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9月29日から劇場公開される「アシュラ」。15世紀中期(室町時代)。災害により荒野と化した京都は、獣のように生きていくしかない世界。産み落とされてすぐに母親に食べられそうになり、ひとりで生きていくことを余儀なくされた少年、アシュラ。ことばをもたないアシュラは、少女、若狭や法師と出会い、やがて人間性に目覚めていく。
試写を観て(作品レビューはこちら)、アシュラ、野沢雅子に話を聞きたいと思った。ことばをもたないアシュラの声に、衝撃を受けたのだ。9月6日に行われた「アシュラ」の先行プレミアム上映会のあと、時間を取っていただく。新宿バルト9の小さな控え室に野沢さんはいた。


無の状態になったほうがいい

野沢 すごいでしょう。
――はい。もう、なんて言ったらいいのか。
野沢 私もことばじゃ言い表せない。雷が落ちたなんてものじゃない衝撃がありました。なんでも食べられる豊かないまの世の中と、食べるものがなくて殺しあいが行われる「アシュラ」の世界は全然違いますよね。想像もつかない。多分、戦時中でもあそこまでではナイと思いますよ。私も戦争を知らないわけではないですけど、あまりにも小さいころだったのでわからない。よくお芋ばかり食べていたと聞きますけど、「アシュラ」の世界はお芋すらないですから……。
――公式サイトのインタビューでは、無の状態でアフレコに臨んだとありましたが。
野沢 いまの世の中のことがチラっとでも頭をよぎってしまうと「アシュラ」の世界にはなかなか入りにくい。だから、無の状態になったほうがいい。アシュラの世界に自然に入っていけるので。
――どういう感じなのでしょう。
野沢 アフレコスタジオまで電車で行くんですけど、その間周りの人のことがまったく見えない。私の周りにバリアがあって、「この世界に私しかいないんじゃないか」ってくらい。
――なにも考えないくらい、真っ白に。
野沢 アフレコスタジオに食事が用意してあったんですけど、一切口をつけませんでした。
――ん? さっきプレミアム上映会の挨拶で、さとうけいいち監督は大福を食べまくっていたって……。
野沢 言っていましたね(笑)。私は飲み物すら摂らなかった。いま考えるといけないですよね。水分が足りなくて倒れてしまったら多くの方に迷惑をかけてしまう。でも、お腹もすかないし、喉もかわかなかった。
――その緊張状態はアフレコが終わっても続いていたのでしょうか。
野沢 私、わりと役になりきってしまう方なんですけど、アフレコが終わって、スタジオを出るとフっと野沢雅子に戻れる。この切替は持って生まれたものかわからないですけど、よかったと思います。役者をやっている上でプラスになることなんですよ。打ち上げで、みんなで韓国料理屋に食事に行ったんです。まあ……美味しかった! ほんとに幸せだわ、と思いました。私たちは、食べられるということに慣れすぎているんですよね。「アシュラ」では、原点に戻って考えることができた。そこを観ていただきたいです。


キャスティングということばを頭からのぞきたい

先行プレミアム上映会からさかのぼること約4ヶ月。5月15日に開催されたEMIミュージックジャパンの新人コンベンション「EMInext」を取材したのが、映画「アシュラ」との出会いだ。主題歌を担当する小南泰葉が出演、「アシュラ」のプロモーションムービーが披露され、野沢さんが小南さんの応援に駆けつけるというサプライズがあった。そして、小南泰葉のステージがはじまると、なんと出番を終えた野沢雅子その人が、おれの隣に座っていた……緊張した!

――「どの世代に一番観て欲しいか」を聞こうと思っていたんですけど、舞台挨拶で「赤ちゃんにも観て欲しい」とおっしゃっていて。
野沢 そう! 赤ちゃんが観てもわからないんじゃないかと思われてしまうかもしれないですけど、けっしてそんなことはないと思います。生きている以上、何かを感じ取る、体のなかになにかが残る気がします。「アシュラ」は、何年経っても忘れずに、ふとした瞬間に思い出すような映画だと思います。
――野沢さんのなかにも。
野沢 いままで演じた作品はみんな憶えていて、一緒に生きている感じ。でも、この子、アシュラくんはとくに大きな位置を占めています、色濃いんです。……アシュラくんに会えて、長い間声優をやっていて、よかった、幸せでした。キャスティングをしてくださった方には感謝していますけど、キャスティングということばを頭からのぞきたい。アシュラくんから私のほうに歩いて来てくれた。私もアシュラに向かって……、お互いが呼び寄せて一体になったような気がします。

役作りは「こういう役だから、こういう風に演じよう」といった感じで、理屈でつくっていくものなのかなと思ってた。野沢さんは「キャスティングの方には申し訳ない」と話していたけど、「アシュラくんから私のほうに歩いて来てくれた」なんて、キャスティングの人にとっては最大の賛辞なんじゃないだろうか。虚構の人物と「出会って」しまったのだから。

「アシュラ」に捨てカットはない

野沢 「アシュラ」の世界は飢餓だから、みんな死んでいきます。アシュラに言葉と人間の心を教えてくれた若狭ちゃんも食べるものがなくて倒れている。そこでアシュラくんは馬の肉を持っていく
――でも、若狭には信じてもらえないんですよね。
野沢 「人間の肉じゃない! 馬だギャ! 食べなきゃ死んでしまうギャ……!」。でも食べてもらえない。私はアシュラになりきっているから、「なんで食べないのよ!」と思っているんですけど、演技中に泣けないので、必死にこらえているわけです。とても切なかった……。「アシュラ」は表面的には観て欲しくないと思います。すべてに意味がある。映画って、「このシーンを持ってくるために、ここは捨てている」みたいな、捨てカットというものを入れたりするわけです。「アシュラ」にはそういったものは一切ない。「お客さんをここで惹きつける」みたいなものはなくて、最初から最後まで、惹きこんでいける作品だと思っています。


インタビュー中、ところどころでアシュラの声になる野沢さん。そのたびにおれは、ただの一観客になってしまう。聴き惚れてしまいながら、印象的だったシーンはどこか、聞く。
(加藤レイズナ)

(後編につづく)