フェティッシュを分析した写真による研究書、青山裕企の『π/ パイスラッシュ』(エンターブレイン)。露出ゼロなのに、なぜたすきがけにカバンをかけた女性に目が行くのかを、シーンやシチュエーション別はもちろん、距離、角度、素材などまで交えて徹底分析。あなたの好みはどのパイスラ?

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パイスラッシュという単語をご存知でしょうか。
女性がカバンをたすきがけにすると、おっぱいの間を斜めに横断して、胸が強調されますよね。
これが、パイスラッシュです!
まあ、一見どーしょーもないおっぱいフェチの妄想的単語ではあるんですが、この言葉は今すっかりネット上で定着しつつあります。かつてはパイスラッシュを題材にした創作作品のオンリー同人誌即売会が開催されたほど。

そもそも、フェチって体のパーツか衣装を主に指すことが多いじゃないですか。
パーツであれば腋とか、うなじとか、二の腕とか、鎖骨とか。ぼくは脚フェチです。
衣装であれば、ブルマとか、セーラー服とか、黒ストッキングとか。ぼくはスパッツフェチです。
ところがパイスラッシュはどちらにも属さないんですよね。どんな服でもいい。露出なんてゼロに等しい。ただ、たすきがけにカバンを下げているだけ。
二次元イラストではかなり「私の考えた究極のパイスラッシュ」が探求されていましたが、それを写真で研究したのがこの本、『Π/ パイスラッシュ』なのです。

作者の青山裕企は代表作『スクールガール・コンプレックス』を始めとしたユニークな写真集を出して話題になった作家。どこがユニークかというと、撮影するモチーフをそれぞれ記号化しているということ。『スクールガール・コンプレックス』であれば、女子学生という記号をフルに用いて、フェティッシュな部分を浮き上がらせます。
といってもエロ写真集ではありません。露出は多くありませんし、挑発的なポーズもとらない。あくまでも被写体を記号としてとらえ、どういうポーズをとったらフェティッシュか、というのを、まるで若い男子の視点を通じて覗き見るような仕方で撮影するのです。
フェティシズムメインなので、ほとんどの写真に顔が写ってないのも特徴的。だって、女子高生の脚に目がふといってしまう時、顔まで見ていないでしょう。そういうことなんです。
いうなれば、極限まで自然体に見せるために操作した、やらせの虚像なんです。

今回の『Π/ パイスラッシュ』はその決定版とも言える写真集。
様々な服装のパイスラッシュシーンを、時に恋人の目線で、時に友人の目線で、時に電車でたまたま見かけてしまった目線で……とシチュエーションごとに撮影していきます。
今までの写真集もそうですが、なんだか盗撮しているような感覚に陥ります。町中でパイスラッシュの女性に目が吸い寄せられるのは仕方ないじゃないか!
はっ、いかんいかん、これ以上見ては相手にバレてしまう。慌てて目をそらす。そんな一瞬を切り取っています。
……という体で、被写体の女性に演じさせている。
これまたバリエーション豊富。電車でのパイスラッシュ、自動車の助手席のシートベルトパイスラッシュ、着物のパイスラッシュ、などなど。
個人的にキたのは、スカートを短くするために腰で巻いている女子高生のパイスラッシュです。

これだけだったらパイスラッシュシチュエーション集で終わっていたのですが、この本は写真集というより研究書です。
そもそもパイスラッシュに人が惹かれるのは、露出が全くないのに胸の形を想像させる、イメージの刺激に原因があります。
加えて、「パイスラッシュになる=カバンをたすきがけにしてそれがフェティッシュだと気づいていない」という、無防備のフェティッシュでもあります。
ならば究極のパイスラッシュとはなんなのか?
それを研究するために、パイスラッシュ状態の女性を上下左右あらゆる角度から撮影した「Π/°」、どういう距離感で見るのが一番いいのか、顔はあったほうがいいのかどうかを考える「Π/mm」、パイスラッシュは素材によってどのように変わるのかを撮影した(Π/)など、一つ一つ丁寧に検証した写真が掲載されています。

最初は笑いながら見られる本だと思います。いい大人が真剣に、たすきがけパイスラッシュについて考えるってそれだけで面白いじゃないですか。
しかし真面目に取り組み始めると、この写真集のトリックが見えてきます。とことんまで分析していった末に「結論」はありません。あくまでも追求したものをこの写真集は羅列するだけで、答えは見ている側のこちらに託されていることに気付かされるのです。
巨乳とか貧乳とか関係なく、日常の中に潜むパイスラッシュ。ほんのちょっとでもそこに惹かれたとしたら、それはなぜなのか考えるきっかけが生まれます。
自分のフェティッシュ嗜好について考えることは、自分の本質に迫る行為でもあります。読み進めるほどに、自らに向き合う結果が待っている、なんとも不思議な写真集です。

写真家の中にはどこまでも自然体であることを重視して撮影する作家が多くいます。ヌーディストビーチで写真を撮るジョック・スタージスは、人間がもっともホモ・サピエンスである状態であるからこそヌード写真を選択し、被写体の人間には一切ポーズや表情の注文をしないことで人間の自然な一瞬を切り取りました。
青山裕企は全く正反対の手法で瞬間を「切り取る」のではなく「作り上げ」ます。無防備な一瞬の美を、究極の形で見てもらえるよう被写体を調整し、演じさせて写し出します。人を記号として分解する行為に非常によく似ています。

「私たちは、性的に多感な思春期の頃、同じ教室にいる女子の姿を見て、さまざまな妄想を繰り広げていたことと思います。手を触れることすら出来ない。けれど、至近距離に女子が存在する。そんななかで、わずかな露出部分を発見するだけで、気持ちが高ぶっていたものです」

このノスタルジックなフェティシズム感覚の究極系に挑む写真家が、青山裕企という写真家なのです。

そんなわけで、ぼくはTシャツ(綿、ウレタン、ポリエステル)、225°、85mmのパイスラッシュでお願いします。サイズは小さめ、場所は電車で。
ってのをラーメン二郎みたいに注文できるお店ないですかね。見るだけでいいですから。

青山裕企『Π/ パイスラッシュ』
(たまごまご)