要するに、スタジアムの魅力について知ってもらう機会は少ないわけだ。ファンも知る機会を得られないわけだ。
 
 こうした情報を伝えやすいのは本来、雑誌だ。あらかじめ欲している情報にダイレクトに飛ぶのがネットだとすれば、雑誌は欲していないものまで“ながら”で目に飛び込んでくる。思いがけない情報が満載されているのが雑誌。だとすれば、サッカーとの相性は目茶苦茶良いはずだ。サッカー界は、思いがけない情報の宝庫だから。サッカーは世界のスポーツ。日本人が知らない情報が、この世界にはごまんと溢れている。
 
 かつてのサッカー雑誌には、そうした面白さがあった。世界の広さを痛感させてくれる情報、すなわちサッカーの魅力を伝えてくれる情報が満載されていた。中学時代、高校時代にもし、サッカー雑誌がなかったら、おそらく僕はここまでサッカー馬鹿にはなっていなかったと思う。77年に発売された、サッカーマガジン別冊「素晴らしきサッカー野郎たち」などは、それを代表する一冊になるが、いま、そうした雑誌になかなか遭遇できなくなっている。
 
 欧州が良くも悪くも近くなってしまったからだと思うが、今回のユーロの旅は違った。まさに過去にタイムスリップしたような非日常的な体験をさせてもらった。それでいながらスタジアムは超モダン。最新式の作りになっていた。このギャップに、なにより僕はビックリさせられたのである。サッカーの中身より、そっちの話をしたくなってしまう理由だ。
 
 思えば、南アW杯の旅もそんな感じだった。日本がベスト16に入った話など、誤解を恐れずいえば、途中からどうでもいい話になっていた。現地はそれ以上の驚きで溢れていた。来るブラジルW杯も、遠くへ行った気分に浸ることが出来る旅になるだろう。そしてそれこそが、僕が一番伝えたいものになるはずなのだ。
 
 もっとも今回、現地で遠さをたっぷり味わっているときに、ネットで日本のニュースを見ていて、驚かされたことがある。ザッケローニが日本代表監督の契約を2年延ばしたというニュースである。それに対して、誰も異を唱えていないこと。少しも問題になっていないこと。それがあたりまえのように報道されていることに、僕は計り知れない遠さを覚えてしまった。
 
 平和ボケとは、日本の姿を現す言葉として一頃、しきりに用いられたが、ユーロの現場で「ザッケローニ続投」のニュースを知ると、それこそ日本はボケているんじゃないかと、その暢気さを憂いたくなった。日本が違う意味で遠くの国に見えてしまった。
 
 これこそニュースの核心だと僕は思う。簡単にハイそうですかと納得してしまってはまずい話。まさに突っ込むべきポイントだと思う。
 
 本当に重要なニュースとは。伝えるべきニュースとは。それが、あるべき順番通りに並んでないのが日本の姿だ。そしてそれはサッカーに限った話ではないと思う。情報の送り手の責任は重い。僕はそう思う。