【見田】ひと言でいうと、80年代以降は「情報の力」によって成長し続けてきたんです。しかし、それが限界に達した象徴的な年が2008年であったと僕は思います。

――意外と最近の話ですね!

【見田】2008年は3つの象徴的な出来事がありました。ひとつ目はGMの破綻。ふたつ目はサブプライム問題。実はこのふたつは同じ構造なんですよ。

――どういうことでしょう?

【見田】GMの話を先にしましょう。2008年より前は、トヨタはリッター18km、市街地でも13.5kmとかが普通だったのに対し、GMはリッター4.5とか5とか、ほとんど石油を垂れ流して走っていた。しかし第三世界では燃費のよい車が受け入れられるなど、時代に対応しそこね破綻します。さすが世界トップの経営者なので、その後すぐプリウスを超える燃費の車を打ち出すわけですが、逆に言えばGMの経営者自ら、破綻の大きな要因は環境資源問題だったと認めたといえます。

 ではなぜ、かつてGMはフォードから王座を奪えたかという話ですが。フォードは20世紀初頭、堅牢な車を大量生産して成功しますが、丈夫すぎて1回買ったら10年、20年と長持ちする。それに対しGMは、「車は見かけで売る」というスローン社長(1875〜1966)のモットーで、デザインとクレジットとコマーシャルという「情報の力」を駆使し、3、4年もすれば古い感じがして買い替えたくなる気分を生み出すことでマーケットを何倍にも広げ、大繁栄期を迎えたわけです。

 しかし、2008年にそのやり方が破綻した。情報によってフィクショナルな欲望をかき立て、マーケットをつくりだしてきたのが、環境資源というリアルな問題の限界にぶつかったんですね。

――ではサブプライム問題は?

【見田】アメリカの都市の貧しい層(サブプライム層)が、住宅の値上がりを前提にして住宅ローンを組み、さらに彼らの返済を前提に何重にも債権を組み入れた金融商品がばらまかれました。しかし2008年近く、ついに住宅需要は飽和して住宅が値下がりを始めた。情報操作によって生み出された全世界的な“金融無限空間”が、アメリカの都市の貧しい層がローンを返せなくなったことでパンッと破裂するという、もう非常に汗臭いリアリティですよね。

 つまり、ロジスティック曲線でいえば、すでにリアルな限界に達しているのに成長を続けようとすると、情報の力で「フィクショナルなマーケット」をつくるしかなくなる。しかしそうした虚構の成長も、結局はリアリティの限界にぶつかって破綻したという意味で、GMとサブプライムは同じ構造といえるんです。

■地上に“天国”を実現する段階に達した

――2008年の「象徴的な3つの事件」の最後はなんでしょう?

【見田】例の、秋葉原の無差別殺人事件です。これはもう読者の皆さんのほうが詳しいと思いますが、加藤智大被告は自分の反対の存在として「リア充」をあげていた。事件の5日前には「ただいま、と、誰もいない部屋に向かって言ってみる」と携帯サイトに書き込んでいます。

 そして最初はトラックで通行人を踏みつぶすつもりだったのに、車から降りてひとりひとりを追いかけて刃物で刺そうとしたんですね。相手の肉体の抵抗や飛び散る血といったリアリティを、いかに彼が強く求めていたか――。

 僕が思ったのは、リストカットする女のコたちに似ているなと。当時の僕の大学のゼミでも、女子大生の20人のうち1人は「やっていた」と言い、何人かは「友達がやっている」と言っていました。手首でなく太ももの場合もありますが、あれって最初はアメリカで発生したんですけれど、昨年パリで聞いたらフランスでもあるそうで。もはや先進国に共通する現象なのでしょう。でも、もし100年後の人が現代を振り返ったら、日常的に何十万人もの女のコたちが(男のコも少しいますが)、自分の体を傷つけ血を流す、なんと奇妙な時代だろうと思うはずです。