格差の拡大にブレーキをかける方法としては、一般に社会保障制度の整備などが挙げられる。一方、格差の拡大は社会保障制度の整備を妨げることだけでなく、ひいては社会保障の基盤を根底から掘り崩すことにもなりかねない。ここでは以下の二つの視点から考えてみる。

(1)社会保障の所得再分配機能

 社会保障といえば、「弱者救済」という言葉を使いたがる政治家などが多い。しかし、社会保障は、すべての労働者や国民の生活の課題を解決し、「不安」を緩和するための社会的公共事業である。

 資本主義社会は、市場原理主義に支えられた自由市場経済社会と言われている。市場競争は社会における資源配分の効率性を高めるが、資源配分の公平性を必ずしも生み出さない。だから、資源配分の公平性を維持し、社会における富の再分配を行うことは政府の責務、政治の重要な課題とされる。高所得層から低所得層への富の再分配が行われることで、社会の安定性や国民の一体感が保たれるのである。

 第二次世界大戦中のイギリスで発表された「ベバリッジ報告書」をベースに、戦後西側諸国に共通して生まれた福祉国家体制は、資本主義市場経済のシステムを進化させつつ、すべての労働者や国民の生活の課題を解決しようとする新たな国家体制であった。そして日本でも、1961年の「国民皆保険・皆年金」体制の確立から1970年代にかけて、高度経済成長とともに福祉国家への道を着々と歩むことになった。

 2回のオイルショックをきっかけに西側諸国は高度経済成長にピリオドが打たれ安定成長に転じた。日本もバブル経済がはじけて、「失われた10年」さらに「失われた20年」へと経済低迷が続いてきた。特に1990年代以降、グローバリゼーションの急進展が福祉国家の成り立つ基盤を急速に切り崩してきており、福祉国家体制は未曽有の存亡の危機に直面している。日本も、年金、医療、介護、福祉など、社会保障のあらゆる分野において「穴」が開き、財源が不足し、抜本的な制度改革が求められている。

 一方で、こうした危機的な状況下であるからこそ、戦後の福祉国家体制の役割を見つめ直す必要がある。「福祉国家の危機」と叫ばれて久しいが、福祉国家のオルターナティブ(代替物)が見付からない限り、すべての労働者や国民の生活の課題を解決するための福祉国家体制は決して存在価値を失ってしまったわけではない。

 とりわけ日本のような先進国にとっては、福祉国家体制なしではやっていけない。経済成長も、日本にとっては優先目標になりえない。資源節約・環境保全型の成長モデルを追い求めると同時に、底上げの国民教育を徹底的に実施し、誰でも安心できるような社会保障を再構築する。これは日本が目指すべき中長期的な国家ビジョンではないかと思う。

 社会保障をテーマに取り上げた『厚生白書平成19年版』では、社会保障の機能として、社会的安全装置(社会的セーフティネット)、所得再分配、リスク分散、社会の安定および経済の安定・成長、の四つを挙げている。

 賃金等の形で一度分配された所得をもう一度分配することは「所得再分配」と呼ばれる。市場経済の下では、個人の所得は基本的に生産活動に対する報酬という形で得られる。しかし、市場経済の成り行きだけに任せていると、市場経済のルールに乗りにくい高齢者や障害者、乳幼児を抱えたひとり親などの世帯の所得は低くなりがちである。そこで、社会保障制度は、市場経済メカニズムを通して分配された所得に対して政府が租税や社会保険料を課すことで得られた財源を用いて、高齢者等の生活保障のための給付を行っている。社会保障制度による所得再分配には、年金等の現金給付だけではなく、医療サービスや保育・介護サービス等の現物給付を通じての再分配もある。

 厚生労働省は2010年9月1日、「平成20年所得再分配調査」の結果を公表した。所得格差の改善に社会保障制度が寄与している状況を示している。

 同調査は、社会保障制度における給付と負担、租税負担の所得の分配に与える影響等を調査するもので、昭和37(1962)年度以降、3年に1回実施しており、今回で15回目となる。所得や租税、社会保険料、社会保障給付は2007年の状況を対象としている。

 世帯単位の所得再分配による所得の状況をみると、平均の当初所得額(年額)が445.1万円(前回2005年調査比4.4%減)、再分配所得が517.9万円(同5.8%減)となっている。再分配所得は、当初所得から税49.7万円、社会保険料50.8万円を差し引き、社会保障給付173.3万円を加えたものである。社会保障制度や税による所得再分配によって、100万円未満および800万円以上の所得階級の世帯数が減少し、100万円以上800万円未満の世帯数が増加している。所得再分配後の世帯分布は当初所得の分布より中央に集中しており、所得格差が縮小している。

 ジニ係数の変化では、当初所得のジニ係数が0.5318に対して、再分配所得のジニ係数は0.3758で、社会保障・税による再分配によって所得の均等化が進んでいる。当初所得のジニ係数は、世帯主の高齢化や世帯の小規模化などの要因で高くなる(所得格差が拡大)傾向を示しているが、再分配所得のジニ係数は11年調査以降0.38前後で推移している。

 再分配によるジニ係数の改善度は29.3%で過去最高となっている。改善度は、社会保障によるものが26.6%(前回調査24.0%)、税によるものが3.7%(同3.2%)となっている。年金をはじめとする社会保障制度が寄与することで、当初所得での格差の広がりが大幅に抑制されている状況にある(「社会保障で格差は縮小へ 厚労省が20年所得再分配調査結果」『週刊社会保障』No.2595 2010年9月13日)。

 いうまでもないが、格差の急拡大が進行する社会において、社会保障の所得再分配機能は非常に限定的とならざるをえない。なぜなら、社会保障の諸給付は基本的に保険料と租税で財源が賄われている。長引く不況は企業の業績を一層悪化させており、雇用形態の多様化・自由化等により、低賃金労働者が急速に増え、「ワーキング・プア」と呼ばれる人々も増加の一途を辿っている。こうしたなか、法人税や所得税、社会保険料の確保はますます困難となった。その結果、社会保障全体が大きな影響を受け、給付範囲の縮小や給付水準の引き下げを余儀なくされている。これは特に社会保険の性格に生じた異変で見るとよくわかる。

(2)格差社会の進行は社会保険の性格を大きく変えている

 格差の拡大というのは、高所得層がますます豊かになり、中間層が縮小し、低所得層が増えることを意味する。その結果、第一に、社会保障で生活の救済を必要とする国民が増大する。第二に、社会保障に対する国民のニーズはより多様化する。そのため、先進国では社会保障制度の運営がますます難しくなり、多くの場合、制度の見直しや抜本的改革を迫られる。一方、発展途上国においては、そもそも社会保障制度の整備が遅れており、経済社会の発展に伴う社会保障制度の構築は格差の拡大によってより高い障壁を乗り越えていかなければならない。

 このような現実は社会保障体系の中核を担う社会保険においてもっとも顕著に現れている。

 社会保険は、特定の事象が発生することによって、保険加入者が決定的な打撃を被り、貧困に陥ることがないようにするための制度である。こうしたことから社会保険には、人々が貧困に陥ることを防止する機能つまり防貧的機能があるとされる。日本においては、社会保険制度の比重が圧倒的に大きくなってきている。一方、中国の社会保障体系も社会保険制度がもっとも重要な役割を担っている。

 社会保険では、民間保険と異なり、保険料は危険に対応して徴収されるのではなく、通常、負担能力に応じて徴収される。これはつまり、社会保険における福祉性が一段と強調され、社会保険を通じての所得再分配が重視されることを意味する。

 社会保険は制度として成り立つため、被保険者の年齢や所得の均一性が求められる。つまり、被保険者集団の形成は社会保険制度の前提であり、その被保険者集団は均一性が高ければ高いほど社会保険制度は安定性が高くなる。

 しかし、所得格差の拡大は被保険者の均一性を大きく崩しており、社会保険制度の成り立ちを脅かしている。保険料の免除、納付猶予、軽減といった措置はまさに所得格差の拡大や貧困層の増加に対応するためのものである。

 日本の国民年金の国庫負担と保険料免除・猶予・特例、後期高齢者医療制度の保険料軽減措置はその典型例である。一方、中国においては、新型農村合作医療(農村部の公的医療制度)、新型農村社会養老保険(農村部の公的年金制度)なども保険加入者間の所得格差に対応するための仕組みが組み込まれている。(執筆者:王文亮 金城学院大学教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)