波乱万丈の芸能生活41年 大西結花が声を大にする「ウィキペディアの情報は結構間違っている」
11日に記念ライブ
「スケバン刑事III」の風間三姉妹の長女役や、映画「台風クラブ」で80年代を鮮烈に彩った女優で歌手の大西結花(58)。10月11日には、東京・コットンクラブでのアニバーサリーライブを控える。これまでの道のりを振り返ってもらった。(全4回の1回目)【福嶋剛/ライター】
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【写真】かわいすぎる…40年前の高校時代、「制服姿」の大西結花。大胆シーンにも挑戦した20代も
--40周年記念+1のアニバーサリーライブを都内で開催されますね。
昨年の40周年で開催する予定でしたが、準備が整わず一年遅れで、10月11日にCOTTON CLUB(東京)で行うことになりました。
ライブは毎年開催していますが、せっかくの周年で、ファンのみなさんに感謝を伝えるコンサートなので、今回はゴージャスな場所で、お食事も楽しんでいただきながら一緒に盛り上がりたいと思っています。まだ少しお席もあるようなので、ぜひ遊びにいらしてください。

--どんな内容を予定していますか。
見てのお楽しみです(笑)。35周年の時はシングルを全曲披露したので、今回はどうでしょうね? どんな曲たちがあるでしょうか?(笑)ファンのみなさんが喜びそうな構成を考えているので、楽しみにしていてください。
--デビューから歌手と役者の両輪で活動されていますが、歌はずっと大切にされていますね。
歌もお芝居も両方大切ですが、ステージに立つとファンのみなさんからたくさんの元気をいただけるんです。最近はファンの方から「ありがとう」と言っていただくことも多いんですが、「それはこちらこそですよ」って(笑)。
ありがたいことに今もアイドル時代と同じキーで歌えています。声質や歌い方は変わってきているかもしれませんが、オリジナルのキーで歌える限りは頑張っていこうと思っています。
--今回は大西さんの58年を振り返って頂ければと思っています。
ありがとうございます。私は波乱という言葉がぴったりの人生みたいなんですけど、大丈夫かな(笑)。
--まずは生い立ちから教えてください。
大阪府豊中市で生まれました。両親と二人姉妹で、5歳年上の姉がいます。父はもともと板前で、母と二人で営んでいました。常連さんが集まるにぎやかなお店で、忙しい時はビールを運んだり、お持ち帰り用に魚の醤油差しに醤油を入れたりするお手伝いはしたような記憶もあるのですが、手伝いなさいと言われたことはほとんどなかったように思います。お休みには家族で海や山に旅行に出かけていましたね。
おてんばだった幼少期
--どんな幼少期でしたか。
おてんばを地で行くような子でした。男の子に交じって遊んでいて、けんかも強かったと思います。母には「女の子なんだから」としょっちゅう怒られて、そのたびに「男の子に生まれてたらよかったのに」って思っていました(笑)。
姉とは小学生くらいまではよくケンカしてましたけど、中学になると急に仲良くなって。私が中学に上がった時、就職していた姉に初任給でワンピースを買ってもらった思い出があります。
--芸能界への憧れはいつ頃からですか。
家族でよく歌番組を見ていて、ピンクレディーさんやキャンディーズさんを毎週楽しみにしていたんですが、中学に上がる前に松田聖子さんが登場して、ハートをズキュンと撃ち抜かれました(笑)。
私はかわいい衣装に目がなくて、バレエを習ってチュチュをつけて踊るのが夢だったんですけど、通うことができず、アイドルになればかわいい衣装を着られると思ってオーディションを受けました。
ただ、合格した劇団はレッスン料がかかるので親に反対され、母に「本当に芸能のお仕事をやりたいならスカウトされるようになりなさい」と言われました。
--そこからローラー族に入ったそうですね。お姉さんの助言がきっかけだったとか。
それは違うんです。ウィキペディア情報ですよね? 姉の名誉のためにもお話ししますけど、姉は全く関係ありません。私のそこの情報は結構間違っているんですよ。今日はそれも正していかせてください(笑)。
--では、どういう経緯で?
中学になるとお小遣いをためて自分でフワフワしたお洋服を買い、週末には街を歩いたり、当時流行っていたロックンローラー族のお洋服が好きで大阪城公園まで見に行ったりしていました。
中学2年の時に「一緒にやらない?」と声を掛けてもらって。最初は断っていたんですけど、夕方5時になるとゴミ拾いまでして解散する健全なグループだったので、一緒に踊らせてもらうようになりました。
一番年下だったので可愛がってもらい、ある日「ミスロックンローラー」というコンテストがあるということで、先輩に「グループの名前を売っておいで」と言われ、ツイストやジルバを教えられました。
すると、全国大会まで行けることになって、そこで準優勝してスカウトを受けたんです。思いもよらず全国大会で東京にも行くことができて、念願だった原宿の竹下通りを歩きました。
憧れは松田聖子
--念願の芸能界入りは、歌手より先に俳優としての仕事から始まりました。
ミスコンで優勝した子は歌手デビューが約束されていたんですけど、私は準優勝だったので別の形でスカウトされ、のちにドラマのヒロインオーディションにより、ドラマの主役が決まりました。アイドルになりたかったんですけど、お芝居にも興味があったのですごくうれしかったです。
でも、演技は学芸会しか経験がなかったので、最初は周りの先輩に迷惑だけはかけないようにとやっていました。一番大変だったのは方言ですね。東京に来たばかりで大阪弁しか話せないから、標準語指導の先生が付きっきりで特訓してくれました。
--1985年の映画「台風クラブ」では、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞しました。
すごくありがたい賞で、映画評論家さんから「(新人賞は)一生に一度しかもらえない貴重な賞なんだよ」と言われて嬉しかったです。ただ当時はまだ高校1年生で忙しすぎる毎日でしたし、世の中のことを全然知らなかったので、「へえ、そうなんだ」くらいにしか思っていなかったんです。
--歌手としても、並みいる85年組アイドルの中で第12回横浜音楽祭の新人奨励賞を受賞しました。
それも、ぼんやりとした記憶しかなくて(笑)。
--忙しすぎて覚えていないことも多いですよね。
そう。でもね、85年組は仲が良かったんですよ。当時は新人アイドルが出演する番組がたくさんあったから、楽屋はだいたいメイク室や大部屋にみんな集められて、部活みたいにキャッキャ言いながらしゃべって、和気あいあいとしていました。
よく誰々に意地悪されたとか、そういうゴシップネタってあるじゃないですか。「それっていったい誰?」って突っ込みたくなるくらい、本当に仲が良かったんですよ。
--そして「スケバン刑事III」の風間三姉妹の長女・風間結花役で大ブレイクしました。
このドラマがきっかけで、女優としても歌手としても大西結花を知っていただいた方がたくさん増えました。紛れもなく私の代表作です。
--アイドル時代の大西結花を振り返ってみてください。
松田聖子さんのような王道アイドルソングでデビューはできなかったけれど、演技もやっていたので、歌詞が大人すぎて意味がわからなかった曲も、想像しながら歌の主人公を演じることができていたのかなあ? と思います。
歌うこともお芝居も楽しくて、寝る時間はなかったけれど、とにかく一生懸命やっていたと思います。あとは……真面目だったかな。寮を抜け出して彼氏と会うとか、そういうことをしたらみんなに迷惑がかかるから絶対にダメと言われていたので、芸能記者さんはつまらないアイドルだと思っていたんじゃないかな。アイドル時代の暴露ネタを聞かれても何も出てこないですから(笑)。
--アイドルを卒業し、本格派女優として大胆なラブシーンにも挑戦した時のお話もお聞きしたいのですが……。
その話題を振られるといろいろと出てきてしまいそうですが(苦笑)。お話しします。
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第2回【ヌードになると普段いない関係者まで集まってきて…大西結花が明かす、31年前の大胆ラブシーン撮影】では、大胆なヌードになった映画撮影などを振り返っている。
大西結花(おおにし・ゆか)
1968年7月6日、大阪府生まれ。83年「ミス・ロックンローラー・コンテスト」準優勝をきっかけに芸能界入り。84年ドラマ「家族の晩餐」で俳優デビュー、85年「アラベスク・ロマネスク」で歌手デビュー。同年、映画「台風クラブ」で第7回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。86年「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」の風間三姉妹役でブレイク。所属事務所の倒産を経て、現在も個人で俳優・歌手として活動。2012年に17歳年下の一般男性と結婚。26年10月11日、東京・コットンクラブで『40周年記念+1 anniversary live「ずっと大好き!!」』を開催。
福嶋 剛
ライター。1971年生まれ。TV局映像編集、ロケーションコーディネーター、音楽サイトの編集長、ニュースサイトの記者などを経験。ベテランアーティストや元アイドルのインタビューをはじめ、イベントの進行役などエンタメを中心に活動中。
デイリー新潮編集部
