「ん、ん、ん、ん、ん」夫は40代で倒れ58歳で若年性認知症に…"Tシャツにおむつで徘徊"でも腹を括った妻の献身

「シングル介護」とは、配偶者や親の介護をたった1人で担っているケースを指す。
2023年度の厚生労働省によると、家族・親族による高齢者虐待の相談・通報件数は4万1814件(同比1428件増)あまりとなり、過去最多を更新。2022年の国民生活基礎調査では、家族介護者は全国で約653.4万人(2021年時点)と推計され、主な介護者と要介護者との関係は、同居家族が45.9%、別居家族が11.8%(2022年時点)。同居家族の内訳は、配偶者が22.9%、子が20.7%、子の配偶者が7.5%となっている。
たった1人で介護を担う「シングル介護」は年々増加しており、介護時間の長期化や精神的・身体的負担の大きさが不安視されている。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
■早朝に「ドーン」という大きな音
関西在住の大津綿菜さん(仮名・50代)の夫は、仕事の重責と激務から2017年3月にうつ病と診断され、仕事を休職し始めていた。
休職に入った夫は一日中何もせずにリビングのこたつに座り、ぼーっとしていた。同じ年の11月、朝6時半頃。「ドーン」という大きなものが床に倒れたような音がしたため、大津さんは飛び起きて見に行くと、夫がベランダに出る掃き出し窓の手前で、タバコを咥えたまま倒れていた。
おそるおそる大津さんが「おはよう」と声をかけると、
「ん……ん……ん……ん……」
と夫は声にならない声を絞り出す。
異変を感じ取った大津さんは、急いで救急車を呼んだ。
「びっくりしました。『義母より先に逝かないで! そんな親不孝はあかん!』と必死でした」
搬送先の病院で受けた診断は「脳梗塞」。幸い発見が早かったため、詰まった血栓を溶かすための薬剤を注入し、2~3時間後に終わると、医師からこう告げられた。
「脳の言語を司るところからも、身体機能を司るところからも少しずれているので後遺症はないでしょう。ラッキーでしたね」
今後はタバコも酒もやめるように言われて帰宅し、しばらくはノンアルコールビールや、タバコ型の禁煙グッズなどに変更した夫だったが、いつの間にか元に戻ってしまっていた。それだけでなく「脳梗塞で薬を入れてうつが寛解したわ。霧が晴れたようだ」と急にアクティブになると、翌2018年2月に復職。
ところがわずか1カ月後、会社から帰宅した夫は「なんかまたあかんわ」としんどそうに言う。
「思えば復職した時に張り切りすぎたんだと思います。再発は重くなるということは聞いていましたが、その通りでした」
夫は再び休職に入り、大津さんの過酷な介護生活が約10年続くことになる。
■会社の問題児は組み立て作業のエース
約30年前から、大津さんは部品調達、夫は組み立てと部署は違ったが、ふたりは同じ製造会社の同僚だった。いずれも高校卒業後に入社し、大津さんは異動しなかったが、夫は3回ほど異動し、最終異動先が同じになった縁だった。
「夫は連絡なしで仕事を休んだりする会社の問題児だったのですが、無断欠勤した時に、私がいろいろと世話を焼いたのが交際のきっかけです。入社から20年たった2009年の夏、私40歳、夫42歳で結婚しました」
夫は問題児だったが、組み立て作業をさせたら右に出るものはいないほどの腕前だった。
大津さんはもともと子どもができにくい体質だったため、不妊治療に挑んだ。一度妊娠したが流産してしまい、2人は落胆。仕事を続けながらの治療は負担が大きく、結局2年ほどで諦めた。
■「飛び降りたら下の人に迷惑がかかる」
結婚前に作業長に昇進していた夫は50代に入ったころから徐々に様子がおかしくなっていった。「『作業長なんてなりたくない』と言いつつ、12~13年はなんとかこなしていましたが、51歳頃に異動となり、そこから悪化していったように思います。朝は7時半頃から、夜は21時頃まで会社で働き、帰宅してからもパソコン作業をしていました」
だんだん会社を休む頻度が増え、家で酒を飲んでテレビを見てばかりに。
「夫は病院に行くのを嫌がり、私は知識もなく、どうしたらよいかわかりませんでした。『ツレがうつになりまして』という本を読みましたが『夫とは違うな』と思い参考になりませんでした」
その後、しばらくはなんとか働いていたものの、2017年3月、冒頭で触れたように50代後半になった夫はうつ病と診断された。休職してからの夫は、リビングのこたつで寝起きするようになり、タバコを吸うためにベランダに出ることと、朝、ドラッグストアに酒を買いに行くこと以外、ほとんど動かなくなった。
大津さんの母親(当時70代)が同じ年の9月に口腔がんと判明してからは、大津さんは母親の入院の面会や抗がん剤治療の通院に付き添うように。時には、母親と夫の病院を“はしご”することもあった。
「夫が『ここから飛び降りたい。でも下の人に迷惑がかかる』と言ったときは、『心配するのは私や義母、義姉ではなく、下の人?』と、なんとも言えない気持ちになりました。私は次第に家に帰るのがしんどくなっていきました」
この頃の大津さんは、朝泣きながら出社し、泣きながら帰宅していた。
■「コルサコフ症候群」と「てんかん重積発作」
2021年6月。再復職を果たしたが、またしてもうつを発症し、2024年3月には再々休職となった。
そして2025年4月下旬の朝。状況が悪化する。
58歳になっていた夫がトイレではなく、和室で小便をしてしまったのだ。「大丈夫?」と尋ねると、「大丈夫。仕事行っていいよ」と。その言葉を信じて出社したが、17時半頃に帰宅すると、リビングで夫が倒れていた。緑色の吐しゃ物と失禁の跡が枕やカーペットにあり、手足を触ると冷たく、呼びかけにも反応がない。
119番通報し、脳梗塞になった時に搬送された病院を指定する。
病院で検査を受けると、「敗血症かもしれない」と言われたが、結局、原因不明。

5月に精神科への転院が決まると、ようやく精神科医に「コルサコフ症候群とてんかん重積発作です」と診断された。
コルサコフ症候群は、主にアルコールの多飲に伴うビタミンB1欠乏によって生じる「ウェルニッケ脳症」の後遺症として発症する認知症。ビタミンB1不足は、アルコールの多飲や偏食などが原因だと言われる。

「夫は2024年10月頃からお酒を飲むだけで、食事をしなくなっていました。いつも料理を残されるので、私も諦めて、作らなくなってしまいました。その頃から、私は帰宅するたびに、夫の手足を触って生存確認するようになっていました。それくらい生活がすさんでいたのです」
■「羊たちの沈黙」のレクター博士ばりの拘束
2025年春から夫の入院生活が続いていたが、年末年始には一時退院して自宅に外泊することに。だが、年明けに病院に戻ると、発熱してしまう。熱が引いて2~3日経った頃、突然夫は車椅子の足を置くプラスチック製の部分を蹴って破壊し始め、それを止めようとした看護師に反発した。
その知らせを聞いた大津さんは、耳を疑った。夫は会社でも温厚なことで有名で、怒ったところや暴力的なところを誰も見たことがなかったからだ。
病院へ行くと、夫は3本ほどの太いベルトでベッドに拘束されていた。
「映画『羊たちの沈黙』のレクター博士をご存知ですか? あんな感じで拘束されていて、本当にかわいそうでした」
ところが退院させようにも、粗暴行為が問題となり、なかなか退院させてもらえない。
翌年の2月にも一時退院して自宅に戻ったところ、夫は夜中の2時頃に散歩に出たまま戻れなくなり、交番に駆け込んだ。朝の4時頃インターホンが鳴り、飛び起きた大津さんは、玄関モニターに映し出された警官の姿に驚いた。
警官は「ご主人を保護しているので引き取りに来てほしい。パジャマ姿なので上着と靴を持参してください」と言った。夫は真冬にもかかわらず、パジャマ姿で素足。足には自身のものと思われる大便を踏んだ跡があった。
病院へ戻ると拘束されるため、「セカンドオピニオンを希望する」と大津さんが言うと、ようやく退院が決まった。
■Tシャツにオムツ姿で行方不明
夫の退院が決まると、大津さんは在宅介護の準備を整えるため、2026年1月~3月末まで介護休業制度を利用した。
2025年5月に受けた要介護認定の結果、夫は要介護4。訪問看護を週3回利用し始めた。
ただ、デイサービスは、59歳でまだ若かったことと、入院中に粗暴行為があったため、「落ち着いたことが証明されない限り、利用するのは難しい」とケアマネジャーから通達があった。
ヘルパーからも、介護休業制度利用中は妻である大津さんが家にいるため、利用は難しいと言われた。大津さんは夫から目が離せず、休息する暇がなかった。
26年3月下旬。トイレの失敗が繰り返されたため、「布団を汚すから、夜だけオムツしてほしい」と大津さんが頼むと、夫は「すみません」と言ってスムーズに受け入れてくれた。
「『なんでせなあかんねん』とか言う時もありますが、なるべく丁寧に『お願いします』とか『助かります』とか言って履いてもらいます。オムツをしていても、尿意を感じる時はトイレに行こうとします。でも、行くときは尿意があるので何をしに来たのか覚えているのですが、トイレをし終わった後に『次はどうしたらいい?』となり、私が家事をしていても呼ばれるのがつらいです」
そして、猛暑だった今年の8月にも、夫は行方不明になった。
2月に起きた夜中2時の散歩事件以来、玄関に人感センサーを取り付けて、夜間、夫が勝手に外に出たら音が鳴るようにしていたが、昼間はオフにしており、寝る前に初めてスイッチを入れ忘れたのだ。
夫がいないことに気づいた大津さんは、15分ほど近所を探したが見つからず、近所の交番に届ける。すぐに警官が無線で情報を流すと、20分ほどで発見された。
灯台下暗し。夫はマンション内の別の階にいた。保護された時、Tシャツにオムツ姿。大津さんは、持って出た短パンをすぐに履かせた。

■妻に向けられた夫の暴力
大津さんが一番困っているのは徘徊だった。最悪、命に関わるからだ。
「トイレの場所もわからなくなってきていますし、夜だけオムツをしていても、ときどき漏れて背中まで濡れていることもあります。最近は昼寝をしていても失禁するようになりました。歯磨きも入浴も一人ではできません。短期記憶障害もあるため、毎日は『今日は何曜日だ?』『何月だ?』『仕事は?』と5分おきに聞かれることもあり疲弊します。挙げたらきりがありません」
夫は「9月6日までに復帰できなければ会社規定により退職」と言われており、59歳で選択退職となった。
一方、大津さんも夫の介護のため退職を申し出ているが、何度も引き止められていた。会社からの提案で、介護休業と介護休暇、有給休暇などをフルで使って、年内いっぱいまで休めることになる。
「ありがたいことに『辞めなくていいように』と会社は動いてくれましたが、高校卒業から40年間、私はもう十分働いたので、気持ちが職場復帰に向かうことはありませんでした」
大津さん夫婦にはある程度の貯金があったため、2人で暮らしていくには心配していないというが、唯一存命の義母の施設費用を援助するとなると「少し不安だ」と話す。
今年2月の精神科の退院後から、夫は見違えるように食欲が戻った。酒とタバコをやめた影響かもしれない。
大津さんは、夫が退職したことを機に、デイサービスの利用をしたい旨をケアマネジャーに打診。しかしケアマネは慎重だった。なぜなら、入院中の粗暴行為だけでなく、大津さんに対して暴力を振るったことがあったからだ。
それは今年4月頃のこと。訪問介護のリハビリが終わったあと、突然夫が「ここにあったやつがない! どーゆーことや!」と激怒し始めたのだ。
「私が何を言っても、何を尋ねても『いらん! 出ていけ!』と言い、私が出て行こうとしたら、服を掴まれて40分も離してもらえませんでした。しばらくしたら夫は元に戻りましたが、夫はそんな行動をしたことを忘れても、私は忘れられないのでしんどいですね」
ケアマネジャーに相談すると、相談中も忙しなく動き回る様子から事態の重大さを察知し、ようやくデイサービスを探してくれた。
体験で様子を見た後、週2回、3時間の利用からスタートすることになった。現在介護サービスはそのほかに、週2回の入浴介助と、訪問看護を週2回利用している。
■家族の介護と自分の人生の優先度
「退院したての頃は、私も『これぐらいできるようになってほしい』『できてたはず』などと夫に求めていたように思います。でも最近は私も対応力がついてきたし、今の夫を受け入れることができ、夫の様子を見て何を望んでいるかわかるようになったことで、夫も落ち着いてきました。腹をくくったということでしょうか……。症状がよくなることはないんだなって諦めもあります」
夫は携帯電話も使えず、文字も書けず、留守番もできなくなってしまった。そのため大津さんの持病である甲状腺機能低下症の通院時も、連れていかないといけない。
「昔は器用で組み立てをバンバンこなして、国家試験の電子機器組立作業では大阪府知事賞を受賞したこともあったのに、今の状況はとても残念です。うつでアルコールを多飲したことが原因なので、飲み続けた夫にも止められなかった私にも責任があります。『あの頃もっときちんと向き合っていたら、違う結果になったかな』と思うとつらいです」
大津さんは、ケアマネのアドバイスに従い、自分に万が一のことがあった時のために、関東に住む夫の姉に自分の次の介護のキーパーソンを依頼。快く引き受けてくれたが、なにぶん駆けつけるのに半日はかかるので不安は残る。
不安や不満が溜まった時は、友人やうつの家族会で知り合った人、AIに話すことで気分転換を図っている。
「できる限り在宅介護を希望していますが、最悪施設もありかなと考えています。成年後見人や終活請負などの情報を集めていますが、まだまだ遠いことだと思っています。でも実際はすぐそこですよね……」
今回、大津さんを取材して感じたこと。それは、もし、大津さんが『夫を施設に入れる妻なんて最悪だ』と思っているのだとしたら、それは違うのではないかということだ。
例えば、夫を介護施設に預け、夫の好きな食べ物をお土産として持っていったり、2人だけの思い出を語ったり、そばにいて手を握るだけでもいい。介護は介護のプロに任せて、家族でないとできないことに注力してもいいのではないか。
「お酒をやめていたら」「きちんと向き合っていたら」と自罰的になる気持ちは理解できる。だが、過去は過去。家族も大切だが、自分も大切だ。自分の人生や時間を大切にし、充実させることは、大切な家族に活き活きした笑顔や姿を見せ続けることにつながる。それも介護を担う家族の役割の一つなのではないだろうか。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
