〈東山紀之が社長退任「SMILE-UP.」設立前史…ジャニーズ「解体」の引き金となったBBC報道《週刊文春取材班は40人以上の被害者の声を集めた》〉から続く

 9月28日、株式会社SMILE-UP.は、元少年隊の東山紀之氏が9月末で代表取締役社長から退任することを発表した。

 東山氏が社長を務めた株式会社SMILE-UP.は、2023年に社会問題化したジャニー喜多川による性加害の被害者補償のための会社だ。同社が誕生した経緯やジャニーの性加害問題とは何だったのかを当時の取材状況とともに明らかにしているのが、髙橋大介氏による連載「Voices 週刊文春ジャニーズ取材班の290日」だ。

「週刊文春」はジャニーの性加害問題を1999年から報じ続けていた。一方、2023年にBBCの報道によって本問題が世間の関心を集めていく--。連載第1回の後編を特別に無料公開する(前編はこちら)。


タレントから被害補償会社の社長に就任した東山氏は任期満了で退任 ©文藝春秋

ジャニーの行為は“なかったこと”にされた

 1999年、文春はジャニーの少年たちへの性加害について、14週にわたってキャンペーン報道を行った。キャンペーン開始から間をおかず、ジャニーとジャニーズ事務所は、出版元の文藝春秋を名誉毀損で訴えた。

 東京地裁での一審は文春側の敗訴。だが、二審判決では〈原告喜多川が(中略)セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである〉と認定。04年、最高裁は原告の訴えを棄却して二審の判決が確定、文春の実質勝訴だった。

 ところが、それを報じたメディアは全国紙では朝日新聞と毎日新聞のみ。テレビとスポーツ紙は一切触れず、ジャニーの行為は“なかったこと”にされた。彼は相変わらず、社長として少年たちに関わり続けた。

 当時、大学生だった私は週刊誌を読む習慣がなく、記事のことは知らなかった。04年の判決確定のニュースも、まったく記憶にない。

 だが週刊誌記者の仕事を始めると、芸能界とメディアにおいて、この問題は常識のように知れ渡っていることがわかった。当たり前過ぎて、いまさら問題にもならないとされているというのが私の肌感覚だった。

 その問題を、いまBBCが取り上げた。ハリウッドの映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン問題など、エンターテインメント界での性加害問題については世間の関心も以前より高まっている。日本でも映画監督による女優への性暴力が話題となっていた。今度こそ、大きな社会問題にできるかもしれない。

 編集長の加藤晃彦もまた、BBCの放送は大きな展開を生むと考えた。ワインスタイン問題はニューヨーク・タイムズとニューヨーカー誌が被害者の声を報じて一気に燃え上がり、ワインスタインは刑務所に入った。ジャニーの被害者はまだ生きている。99年に報じたにもかかわらず、不完全燃焼で終わった文春としては、やらないわけにはいかない、と。

 早速、編集部で取材班が組まれた。文春では原稿の執筆と取材班のとりまとめを担当する記者を「カキ」、取材に専念する記者を「アシ」と呼ぶ。芸能取材がメインで、ジャニーズ関連記事を担当することが多かった私がカキを任された。よくジャニーズの記事を一緒に取材していた遠藤遥(仮名)、オンラインメディアから転職してきたばかりの西山里緒がアシとなった。週によっては増員されたが、この3人が中核となった。遠藤は突破力に優れており、編集長の加藤は取材協力者、証言者へのケアが細やかであることも評価していた。西山は週刊誌のスタイルにはまだ慣れていなかったが、留学経験があり、英語が堪能だ。BBCとのやり取りに打ってつけだった。

BBC取材班の驚き

 次の号はイギリスで放送された番組の内容を詳報し、BBC取材班に話を聞いて構成することになった。

 ディレクターのメグミ・インマンは父がイギリス人で母が日本人。小4から中3まで日本に住んでいたこともあり、日本語を話すことができ、SMAPやTOKIO、嵐のことは当時から知っていた。だが取材者としてジャニーズ事務所に向き合うと、彼女はその異様さに驚いたと話す。

「何度も取材をしたいとコンタクトしました。しかし、取材には応じられないという返事でした。日本のエンターテインメント界でここまで力を持ち、大きな会社が取材を受けないということにとても驚きました」

 国際基準に照らし合わせれば当然そうだろう。だが、ジャニーズ事務所の場合、「回答無し」はむしろスタンダードなのだ。多くのメディアはジャニーズ事務所のタレントに登場して貰うために、スキャンダルを扱うことはほとんどない。一方、文春などの批判的なメディアの質問には答えないことが多かった。TOKIOの元メンバー・山口達也の未成年少女に対する強制わいせつ事件では、山口の会見に行った文春記者が会見場に入れず、別室でモニター越しに見るように言われたこともある。

 私は一番訊きたいことをZoomの画面越しに訊いた。元ジュニアにはどうやって取材に応じてもらったのか。するとインマンはこう答えた。

「我々BBCは日本の芸能界とは何も接点がない。アウトサイダーの立場だから、彼らに危害が及ぶこともないと説得しました」

 レポーターのモビーン・アザーも似たことを言う。

「日本人に話すより話しやすかったかもしれません。日本語が話せないことは、結果的に役に立ちました」

 外国メディアだからハードルが下がったという。つまり、日本メディアで、日本人相手に話すとなると、心理的な障壁が高まるのだろう。

 だが続報を出すとなれば、我々も被害を訴える元ジュニアへの取材を取り付けないわけにはいかない。

判決確定後も変わらずジュニアに…

 まずは、番組に出ていた元ジュニア3人を探した。

 そのうち、リュウは居酒屋を営んでいることもあり、見つけ出すのは容易だった。東京近郊の、住宅が混在する通りにポツンと建つ、カウンターだけの小さな店だった。

 私と遠藤は「2人なんですけどいいですか?」と純然たる客のふりをして奥の席に座った。客はほかに30代とおぼしき女性1人で、常連客なのかリュウと話し込んでいた。黒Tシャツに引き締まった身体のリュウは居酒屋の若大将が板についていたが、整った顔立ちはジュニアだったことを何よりも物語っていた。

 私たちは女性客が帰るのを待って話しかけた。店の様子を聞くと、「夏にはかき氷を売っていて、近所の子供たちが食べに来るんですよ」と、地元に馴染んでいる様子が窺えた。

 しばらく他愛もない話をした後、私は取材で来たことを切り出した。するとリュウは「あぁ、そうですか」と、さして驚いた様子も見せず、取材に応じてくれた。番組と同様にジャニーがマッサージをしてきて、次第に手が性器まで伸び、ギリギリのところで拒否したと話してくれた。

 リュウはジュニア内で組まれるグループのメンバーになったこともあり、嵐のバックダンサーを務めたり、雑誌に登場するなど、活躍した実績があった。デビューできなかったのは拒否したからだと思わないか? 私たちの問いを彼は否定し、「ジャニーさんから見て、おれは輝く光じゃなかった」と言った。事務所に入ったばかりの後輩にデビューを越されたとき、ダンスや歌といった実力だけではない、スター性が必要なのだと実感させられたのだという。

 私たちは彼の体験は重要な意味を持つと考えていた。彼が被害に遭いかけたのは15歳か16歳の頃。07年か08年のことだ。つまり、ジャニーと文春の裁判で、性加害を認める判決が確定した後のことである。ジャニーは判決確定後も変わらずジュニアに手を出していたことになる。

ジャニーの自宅マンションで

 次にジュンヤの名前で番組に証言した平本淳也に取材した。

 80年代にジュニアだった彼は、すでにジャニーの問題に関する有名人だった。というのも、いわゆる“暴露本”を多く出していたからだ。

 暴露本とはジャニーの性加害について、元ジャニーズ事務所所属の人間が書いた本を指す。その嚆矢といえるのが、フォーリーブスの北公次によって88年に出版された『光GENJIへ』だ。平本も同書の改稿版で自身が見聞きしたことを語り、96年に自著『ジャニーズのすべて 少年愛の館』を出版している。

 知り合いから聞いた平本の携帯電話に連絡すると、横浜駅そばの喫茶店「ルノアール」を指定された。

 昼過ぎの店はほぼ満席だった。テーマがテーマなだけに、他の客との距離も近い状況では話しづらいのではと危惧したが、平本は気にするそぶりも見せずに喋った。

 番組では、ジャニーからの行為を「マッサージしてもらったレベルの、ほんの少しの延長」と話していたが、実際にはジャニーの性器を握らされるなど、明らかに被害といえる行為だった。だが、平本の口調はあっけらかんとしていて、「オレは被害と思ってないから」と言う。そして、「取材には、俺もかなり協力したんですよ」と元ジュニアを紹介したことなど、BBCのコーディネーターの役割を果たしたことを強調する。当時の私は、平本のこういう“プロっぽさ”が被害者としての深刻性を薄めてしまうのだと不満に感じていた。彼がこんな態度を取る理由が、家族に対して自分の被害の詳しい内容を打ち明けられていなかったため、と知るのはだいぶ後になってのことだ。

 実はハヤシについても、平本がBBCに紹介したと聞き、私も紹介を頼んだ。平本はLINEでハヤシと私を繋げてくれるという。

 だが、ハヤシの取材はスムーズには進まなかった。

〈BBCの反響が凄く、ネットを見ていると怖くなってくるので、もう少し様子みてもいいですか。申し訳ありません〉

 取材依頼のメッセージを送ると、こんな返事が返ってきた。番組の中でハッキリと被害に遭ったと話しているのはハヤシだけだった。インパクトが強い彼に、注目が集まるのはたしかに自然なことだった。

 じりじりと返事を待つこと2日。週刊誌のスケジュールでは長い時間だ。彼から電話があり、なんとか取材を受けてくれることになった。その日は記事の締切日のため私は取材に行けず、遠藤がハヤシに会いに行き、その場から電話で取材内容を伝えてくれ、ギリギリで彼の証言も盛り込むことができた。ジャニーの自宅マンションに行った際、夕食にカレーが出たこと、近藤真彦が使っていた部屋で眠ったことなど、証言にはディテールがあった。

 だが、BBCに登場した3人だけでは十分に取材したとは言えない。私たちは並行して、取材に答えたことのない元ジュニアを探していた。

 その後、33週に及んだキャンペーン報道の核は、被害を受けた元ジュニアたちの証言を載せることだった。彼ら一人ひとりの声を集める。被害者の声が積み重なったとき、それぞれの証言の説得力は、相互補完で強みを増すだろう。

 しかし、証言者集めは想像以上の苦戦を強いられることになる。《続く》

 この続きでは、元ジュニアの被害証言を集める取材の裏側のほか、事務所スタッフの関与やSMILE-UP.東山社長誕生の前に開かれたジュリーと大物タレントたちの食事会などについても取り上げている。「週刊文春 電子版」では連載第1回以降の回もあわせて読むことができる。

(文中敬称略)

(たかはしだいすけ/1978年、岩手県生まれ。早稲田大学卒。2025年まで週刊文春の特派記者として芸能を中心に取材し、フリーに。16年、ベッキーと川谷絵音の不倫報道で「第23回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」大賞を、23年、ジャニー喜多川氏によるジャニーズJr.への性加害報道で「第3回調査報道大賞」大賞を受賞した。)

(髙橋 大介,「週刊文春」編集部/週刊文春 2026年7月16日号)