左から「民主進歩党」結党に関わった游錫堃(ゆうしゃくこん)前立法院長(国会議長)、台湾の対日窓口機関「台湾日本関係協会」の謝長廷(しゃちょうてい)会長、周清玉(しゅうせいぎょく)氏(いずれも中央社記者撮影)

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(台北中央社)与党・民進党は28日、結党から40年を迎えた。結党当時の台湾は国民党による一党支配体制下で戒厳令が敷かれており、政党の結成が禁じられていたため、反対勢力は「党外」と呼ばれていた。結党に関わった游錫堃(ゆうしゃくこん)前立法院長(国会議長)や台湾の対日窓口機関「台湾日本関係協会」の謝長廷(しゃちょうてい)会長、当時の党外運動に加わった許信良(きょしんりょう)元党主席(党首)らがこのほど、中央社のインタビューで当時を振り返った。

▽美麗島事件や林一家殺害事件、結党の意志をくじく

国民党政権は1949年、国共内戦の情勢を受けて戒厳令を公布。87年に解除されるまで、政党結成や集会、デモ行進などが禁じられ、人々の権利が大きく制限された他、「白色テロ」と呼ばれる政治的弾圧も行われた。

79年には許氏らが党外雑誌「美麗島雑誌」を創刊。同年に南部・高雄で講演会やデモ行進を行い、政府に戒厳令解除や政党結成の解禁などを求めた。だが警察との衝突があったこの活動を政府は「暴力事件」と認定。主要メンバーが軍事裁判にかけられ、無期懲役などの重い刑が言い渡された。一連の出来事は「美麗島事件」と呼ばれている。

さらに80年には、美麗島事件で逮捕されて拘置所に収容されていた林義雄(りんぎゆう)氏の母親と娘2人が、台北の自宅で何者かに殺害される事件(現在も未解決)もあった。

許氏は「党外の人々は美麗島雑誌を通じて『党名のない党』を作ろうとしていた。だが美麗島事件の一斉逮捕や林氏一家殺人事件が、人々の政党結成への意志を大きくくじいた」と語る。

▽秘密裏の結党準備 「政治犯の家族」の力も

86年7月、党外の人々が結党について秘密裏に協議を始めた。游氏や謝氏、後に監察院長などを務めた陳菊(ちんきく)氏ら10人が、党の綱領や結党宣言などを作成した。家族にも口外しなかったという。

話し合いは、民進党結成後に党主席などを歴任することになる姚嘉文(ようかぶん)氏の妻、周清玉(しゅうせいぎょく)氏の自宅で行われた。周氏は美麗島事件で収容された姚氏の意志を継ぎ、80年の国民大会代表(当時の国会議員)を決める選挙に出馬して当選していた。

グループは、結党のタイミングを「選挙前」に決めた。游氏は、周氏のような「政治犯の家族」が選挙で高い支持を得ていたことを踏まえ「選挙前に結党を発表すれば、政府が逮捕に動いても、家族が出馬して高得票率で当選できる可能性さえある。逮捕されなければ、党外の人々は新党の名で選挙に出られる」と話した。