民進党40周年 戒厳令下での結党、当時の関係者が回顧 謝長廷氏は「遺書」も/台湾
国民党政権は1949年、国共内戦の情勢を受けて戒厳令を公布。87年に解除されるまで、政党結成や集会、デモ行進などが禁じられ、人々の権利が大きく制限された他、「白色テロ」と呼ばれる政治的弾圧も行われた。
79年には許氏らが党外雑誌「美麗島雑誌」を創刊。同年に南部・高雄で講演会やデモ行進を行い、政府に戒厳令解除や政党結成の解禁などを求めた。だが警察との衝突があったこの活動を政府は「暴力事件」と認定。主要メンバーが軍事裁判にかけられ、無期懲役などの重い刑が言い渡された。一連の出来事は「美麗島事件」と呼ばれている。
さらに80年には、美麗島事件で逮捕されて拘置所に収容されていた林義雄(りんぎゆう)氏の母親と娘2人が、台北の自宅で何者かに殺害される事件(現在も未解決)もあった。
許氏は「党外の人々は美麗島雑誌を通じて『党名のない党』を作ろうとしていた。だが美麗島事件の一斉逮捕や林氏一家殺人事件が、人々の政党結成への意志を大きくくじいた」と語る。
▽秘密裏の結党準備 「政治犯の家族」の力も
86年7月、党外の人々が結党について秘密裏に協議を始めた。游氏や謝氏、後に監察院長などを務めた陳菊(ちんきく)氏ら10人が、党の綱領や結党宣言などを作成した。家族にも口外しなかったという。
話し合いは、民進党結成後に党主席などを歴任することになる姚嘉文(ようかぶん)氏の妻、周清玉(しゅうせいぎょく)氏の自宅で行われた。周氏は美麗島事件で収容された姚氏の意志を継ぎ、80年の国民大会代表(当時の国会議員)を決める選挙に出馬して当選していた。
グループは、結党のタイミングを「選挙前」に決めた。游氏は、周氏のような「政治犯の家族」が選挙で高い支持を得ていたことを踏まえ「選挙前に結党を発表すれば、政府が逮捕に動いても、家族が出馬して高得票率で当選できる可能性さえある。逮捕されなければ、党外の人々は新党の名で選挙に出られる」と話した。

