倉本聰さん

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 人気テレビドラマ「北の国から」「前略おふくろ様」などでしられる脚本家の倉本聰(くらもと・そう、本名=山谷 馨・やまや かおる)さんが18日、多臓器不全のため死去した。91歳だった。理事長を務める倉本財団が28日、発表した。11月3日に北海道・富良野演劇工場で「お別れの会」が営まれる。

 倉本さんは、山形や岡山に疎開した戦時中をのぞいて、東京生まれ東京育ち。1959年にニッポン放送に入社したが、4年で退社。フリーで脚本家になるも、NHK大河ドラマ「勝海舟」の制作中に演出をめぐってトラブルが生じて途中降板。週刊誌に報じられたことで、倉本氏は北海道に移住を決意。その出来事が、名作が生まれる契機となった。

 富良野市に移り住んで4年がたった81年10月に「北の国から」がスタートした。富良野に移住した黒板五郎(田中邦衛さん)と息子の純(吉岡秀隆)、娘の蛍(中嶋朋子)の成長を描いて人気を博した。以降も「’83冬」「’84夏」「’87初恋」「’89帰郷」「’92巣立ち」「’95秘密」「’98時代」と放送し、国民的人気シリーズに。02年には、最終回となった「2002遺言」を放送。「遺言」の前編は、単発ドラマでは歴代1位となる視聴率38・4%を記録した。

 18年の「第55回ギャラクシー賞 贈賞式」では「いつ倒れるか分からない」と車いす姿で登壇したが、その後もテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの刻~道」(19~20年)の脚本を担当するなど精力的な活動を行った。

 21年4月、田中さんが死去した際には、「必死の人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇というチャップリンの言葉があるが、邦さんの芝居はその意味でまさに喜劇。悲劇的なシチュエーションに置くほど喜劇になる。とても貴重な俳優だった。僕の中で五郎は(今も)富良野で生活していて、町中で邦さんにふと『先生』と肩をたたかれる錯覚をするんです。そう簡単に田中邦衛が死んだとは思えません」と悲痛の思いを口にしたが、その後も映画「海の沈黙」(若松節朗監督)では、「海へ~See you~」(88年、蔵原惟繕監督)以来36年ぶりに映画脚本を担当するなど最期まで書くことをやめなかった。国民的シリーズを生み出した、まさに国民的脚本家だった。

 ◆倉本 聰(くらもと・そう、本名・山谷 馨(やまや・かおる)1934年12月31日、東京都出身。東京大卒業後、ニッポン放送を経てフリー。おもにテレビドラマの脚本家として活躍。東京から北海道へと居を移し、「前略おふくろ様」「北の国から」など多くのヒット作を手掛けた。2000年に紫綬褒章、10年に旭日小綬章を受章。妻は、女優の平木久子。