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総務省が2026年7月24日に公開した「令和8年版 情報通信白書」によると、日本国内で生成AIを「使っている」「過去使ったことがある」と回答した個人の割合は2025年度時点で58.8%となり、前年の26.7%から大幅に上昇したそうです。日本でもAIが普及していく中、ジャーナリストや解説者として活躍されている池上彰さんは「『考える前にAIに答えを求める』機会も増えており、自身で考え、判断すること、その過程が失われつつあります」と語ります。そこで今回は池上さんの著書『AI時代に自分の頭でどう考える?: 奪われるのは仕事か、思考か』より一部を抜粋し、「AI社会で人間にしかできないこと」をお届けします。

【書影】重要な問いに対して「まだ答えを出さない」という選択こそ、思考を深める道です。池上彰『AI時代に自分の頭でどう考える?: 奪われるのは仕事か、思考か』

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「わからない」は「わかる」の入り口

わからないことが出てきたとき、生成AIに尋ねる。これはいま、加速度的に当たり前の習慣になりつつあります。

「わからない」という状態は、学びの出発点です。

私が長年、出演し続けている『池上彰のニュースそうだったのか!!』という番組があります。番組名にも使われている「そうだったのか!」という驚きと納得の瞬間は、「わからなかったことがわかった」瞬間にしか生まれません。

「わからない」にぶつかったとき、人はどうするか。昔は百科事典を引き、次には図書館に行き、そしてウェブで検索するようになりました。いまはAIが即座に答えを出してくれる。

しかし、ここに一つの落とし穴があります。「答えを得ること」と「わかること」は、まったく別のことです。

私がNHKの新人記者だった頃、松江放送局に配属されて、ある日の記者会見に出席して「無知」を思い知らされたことがあります。松江地方検察庁が「容疑者を逮捕した」と発表したのです。私も含めて、その場にいた新聞記者たちが「えっ、検察が逮捕できるの?」と顔を見合わせました。逮捕は警察がするものだと思い込んでいたからです。というのも、当時はいまと違って、東京地検特捜部が容疑者を逮捕するような事例はなかったからです。

「検察も逮捕できる」という事実を知った私は、そこでさらに問いを立てました。なぜ、警察と検察の両方が逮捕できる権限を持つのだろうか。

調べていくうちに、両者の役割の違いが見えてきました。警察官は「捜査のプロ」として、容疑者を捕まえることに全力を尽くしますが、ときに前のめりになりすぎて、冤罪を引き起こしてしまうリスクもあります。一方、検察官は「法律の専門家」です。検察は、警察の捜査内容や事件の違法性を法律面からチェックし、別の視点から事件を見直すことで、冤罪や違法捜査を防ぐ役割を担っているのです。もちろんそれでもときに冤罪が起きるのですが。

なるほど、そうだったのか。しかし、私の「わからない」はここで終わりません。では、その逮捕の際に必要な「逮捕状」は誰が出しているのでしょうか。

「わからないこと」にぶつかったらラッキー

かつて私は、ニュースの解説番組で子どもたちに「逮捕状は警察ではなく、裁判所が出します」と教えたことがあります。知識としては知っていましたが、子どもたちに「えーっ」と驚かれたとき、ふと「なぜ警察が自分で出せないのだろう」とあらためて考えさせられました。

これも整理してみると、非常によくできた仕組みであることがわかります。もし警察や検察が自ら逮捕状を出せる仕組みだと、容疑が固まっていない段階で逮捕状を乱発し、むやみに身柄を拘束できてしまう恐れがあります。重大な人権侵害につながりかねません。

そのため、明らかな容疑と証拠があることを担保するために、第三者である裁判所が客観的に検証する仕組みになっているのです。警察や検察が証拠を提出し、裁判官が「問題ない」と判断して初めて、逮捕状が発行されます。逮捕状を「請求する側」と「発行する側」を明確に分けることで、権力の乱用を防ぎ、人権を守る構造になっているわけです。

こうして一つひとつの疑問を解き明かしていくと、単なる「点」としての知識がつながり、日本の司法制度全体がどのような構造や仕組みで動いているのかが、立体的に見えてきます。そこで初めて、心の底から「そうだったのか!」と腑に落ちる。これこそが、本当の意味で「わかる」ということです。

もし私が新人の頃に生成AIがあり、「検察は逮捕できるの?」と尋ねていれば、AIは瞬時に「はい、検察も独自に逮捕する権限を持っています」と正しい知識を教えてくれたでしょう。私はそれを見て「そうか」と納得し、そこで思考を止めていたかもしれません。

「知った」から「わかった」への道のりには、「なぜ?」を重ねる問いかけが必要です。その問いかけをしないまま、AIが出した答えを「はい、そうですか」と受け取るだけでは、事実は頭の中に入っても、知識として定着しない。

「わかったつもり」は、「わかる」の最大の障害です。わかったつもりになると、そこで思考が止まってしまう。「わからない」という不満足な状態に耐えて、掘り続けることの中にこそ、本当の学びがあります。

だから私は学生たちによく言います。「わからないことにぶつかったらラッキーだと思いなさい」と。わからないことは、新しい扉の前に立っているようなもので、その奥にはいままで自分が知らなかった世界が広がっています。

アウトプットを意識してインプットする

では、どうすれば「知った」を「わかった」に変えられるか。私が長年実践してきた方法があります。

それは「アウトプットを意識しながらインプットする」ということです。


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「アウトプットを意識しながらインプットする」とは、何事も「誰かに説明する前提で」情報に触れ、問題意識を持って深く理解していくということです。

私がこの方法の重要性に気づいたのは、NHKで『週刊こどもニュース』のお父さん役を担当していたときでした。たとえばニュースに「日本銀行(日銀)」が出てきたとします。それをそのまま子どもたちに伝えても、当然わかりません。

「日銀って何をしているところだろうか?」「私たちが普段使っている普通の銀行との違いを、どう伝えたらわかってもらえるだろうか?」「金融政策をどのように説明したらいいだろうか?」と、まずは説明するための問題意識を持ちます。

その上で、日銀や金融政策についての専門書を読んでみるのです。私はいつも「これを小学5年生にどうやって説明するか」を考えながら資料を読んでいました。

すると面白いことが起きます。「なるほど」と思った部分だけでなく、「これはどういう意味だろう」と引っかかる部分が、以前より明確に見えてくる。「わからないこと」の解像度が上がるのです。

「アウトプットを意識したインプット」の重要性は

これはなにも子ども向けの番組に限りません。私はいまも、大学の授業や、『週刊文春』の連載コラムを書く際には、常に「どうすれば読者にわかりやすく伝えられるか」を意識しながら資料を読みます。

同じ資料を「なんとなく読む」場合と「誰かに説明するつもりで読む」場合とでは、頭への入り方がまったく違う。後者のほうが、重要な点に自然と目が留まるし、「ここがわかっていない」という気づきも生まれやすい。

AIが答えを出してくれる時代だからこそ、「アウトプットを意識したインプット」の重要性はむしろ増しています。

AIの答えを鵜呑みにせず、「これを自分の言葉で説明できるか」「誰かに話せるか」という問いを自分に課す。それが、情報を「知識」に変えるための実践です。

※本稿は、『AI時代に自分の頭でどう考える?: 奪われるのは仕事か、思考か』(Gakken)の一部を再編集したものです。