サッカー元日本代表・井原正巳「撮っていいって言われてたのに」中国で捕まってカメラ没収された過去
ワールドカップ(W杯)フランス大会の日本代表主将で、Jリーグ・横浜F・マリノスなどでプレーした「アジアの壁」井原正巳さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演した。
指導者を目指したきっかけや国際大会で経験した「ヒヤリとした」事件を、番組MCの元日本代表・中澤佑二さんに明かした。(読売新聞ポッドキャスト 山根秀太)
教員になるつもりがプロ選手に
井原さんは、教員になるつもりで筑波大に進学したという。しかし、大学在学中に日本代表に選出され、卒業後は日産FC(現・横浜F・マリノス)に入団。程なくしてJリーグが発足した。
「サッカーに携わりながら仕事ができればと思って教員を目指していましたが、プロリーグ(Jリーグ)ができたことで、プロサッカーの指導者になれればと、現役時代から少しずつ(指導者の)ライセンスを取得していった」
選手引退後のキャリアプランも、現役時代から準備していた。
「セカンドキャリアでもサッカーに携わりたいと思ってましたし、今までお世話になった人たちへの恩返しにもなると思っていたので」
井原さんが影響を受けた指導者は?
日本代表時代に監督だったオフトさんや岡田武史さんの名前も挙げたが、2008年北京五輪代表監督の反町康治・清水エスパルスGMだという。
井原さんは北京五輪代表では、アシスタントコーチとして反町監督を支えた。
「北京五輪は初めての指導者の経験でしたし、若い香川真司だったり、岡崎、本田、長友。そこに関われた経験は大きいです」
中国ではヒヤリとする体験もしたという。
「北京五輪では相手チームの練習をビデオに撮っていたら中国の公安の人に捕まって。『撮っていい』って言われて撮ってたんですけどね。(映像は)全部、没収されました」
指導者のコミュニケーション

Jリーグでは、柏レイソルのコーチから指導者のキャリアがスタートした。
「(当時の監督だった)ネルシーニョさんは『俺が全部責任取るんだ!』というパワーがある。ブレないので選手もついていかざるを得ない。本当にみんなを平等に扱って、結果が出れば選手もついてくることを、コーチ視点で経験しました」
指導者は選手を納得させるコミュニケーション能力が問われると語る。
「いかに選手に動いてもらう言語力があるか、熱量があるか、そういうところがすごい大事かな」
当然、監督から選手への一方的な「コミュニケーション」ではない。
「『何で僕は出られないんですか?』とか。『ここを改善してくれ』と言うと、『あの選手もできないじゃないですか』と。データや映像を示して丁寧にやらなきゃいけない」
井原さんは、監督を支えるコーチなどスタッフ陣が重要になると語る。
「コーチ陣が選手をよく見てくれていて、声をかけてくれるチームワークがすごい大事。チームが勝っている時は良いけど、負けるとネガティブな雰囲気が増えて歯車が狂ってくる。(チームが)崩れるのは本当に早い」
プロフィル
井原正巳(いはら・まさみ) 筑波大学在学中に日本代表選出。大学卒業後に日産フットボールクラブ(現・横浜F・マリノス)に入団。1995年にアジア最優秀選手。日本代表の守備の要として「アジアの壁」と呼ばれた。代表では国際Aマッチ122試合。W杯フランス大会では主将。引退後はU-23北京五輪代表コーチ、アビスパ福岡監督、柏レイソル監督など。1967年生まれ。滋賀県出身。
