【芸能生活50周年・舘ひろしインタビュー】“よく遊び、よく遊び”がモットーだった石原プロを語る 「炊き出しでのプレッシャー」「託された映画製作の夢」
今年、芸能生活50周年を迎える舘ひろしに、インタビューを行った。テレビドラマ初出演となった『西部警察』で渡哲也と出会い、1981年に石原プロモーション入りした舘。2021年に石原プロが解散したあと、舘プロを立ち上げた今も、石原プロの精神を引き継いでいる。炊き出しなどのボランティア活動、高校時代からの愛読書について語ってくれた。(文中敬称略)【全3回の第3回】
人生の教本は『自由と規律』
俳優としての実績はもちろん、彼にはシンガーソングライターという顔もある。売り上げ約25万枚のヒット曲「泣かないで」の甘い歌声を覚えている方も多いだろう。
歌手デビューは1975年で、クールスのボーカルとして歌った「紫のハイウェイ」だった。作詞は舘ひろし。詞が生まれた背景は青春そのものだ。
「夜中に青山で遊んで、オートバイで横浜のガールフレンドに会いに行くときに、首都高を走ると夜明け前の空が紫色だったんです。背中に受ける陽はオレンジ色で……」
彼が作詞したほとんどの曲は恋の歌である。
それでも文章を書くよりは読書の方が好きだという舘の愛読書は、池田潔著『自由と規律』だ。
英国における紳士教育の神髄を描いた名著とされるこの著作には〈規律なき自由は放縦であり、自由なき規律は専制である〉と記されている。
「高校のときに読んだのですが、ずっと僕の人生の教本になっています」
心身ともに自己を律することが身についているのだろうか。彼の体型は、中年太りとは無縁でスリムさを保っている。
「ジムは昔から大嫌い。ああいうストイックさはないですね。食事も好きなものを好きなだけ食べている。ただ、うちの家系はみんな痩せていて、同じ体型なんです。だから、この身体はご先祖様から貰ったDNAのお蔭かもしれません」
石原プロから託されたもの
取材中、彼は何度も笑顔を見せてくれた。一番楽しそうに笑ったのは、石原プロのエピソードを語るときだった。
「年に1回忘年会がありましてね、無礼講ですから、もう無茶苦茶でした。『忘年会始めま~す』の掛け声と大太鼓の合図とともに、トップレスの女の子がパンティを配って歩いたりね。今なら犯罪ですよ(笑)。僕はいつも最後の締めをやってました。『本日、ここであったことは、なかったこと』とか言って(笑)」
"よく遊び、よく遊べ"がモットーだった石原プロは、一方で、炊き出しを中心としたボランティア活動にも積極的だった。
「売名行為と言われることもありましたが、僕らが行って喜んでくれる人がいるのなら、やった方がいい。ただ、被災地の方たちに迷惑をかけないように、水や食料、ガスボンベ、寝袋、携帯トイレなどを持参するのは基本中の基本です」
炊き出しはなんども経験しているものの、2016年の熊本地震のときに、痛感したことがある。
「絶対に食中毒を出してはいけないんですよ。だから、何度も何度も食器を煮沸消毒しました。そのプレッシャーがあって、炊き出しを終えた日は、もう椅子から立ち上がれなかったですね」
取材の最後に、彼に憧れる人たちへ何かメッセージを、とお願いすると。
「僕に憧れないでください!(笑)というのは冗談ですけど、自由が一番大事かな。難しいだろうけど、思い通りに生きろ、ということです」
舘ひろしが魅力的なのは、英国風のスーツが見事に決まる外見のダンディさだけでなく、"常に紳士たれ"という規律を守り貫くメンタリティを兼ね備えているからだ。
2021年に設立した『舘プロ』では、映画製作を目標に掲げている。
「それが、石原プロの皆さんから僕が託された夢だろうと思うので、少しずつ準備をしています」
幾多の困難はあるだろうが、天空の闇が深ければ深いほど星は輝く。
Best of luck on your new journey!
(第1回から読む)
【プロフィール】
舘ひろし(たち・ひろし)/1950年3月31日生まれ、愛知県出身。1976年、映画『暴力教室』(東映)で俳優デビュー。『西部警察』『あぶない刑事』シリーズをはじめとする映画やドラマ、歌手業などで幅広く活動。今年、芸能生活50周年を迎えた。
取材・文/松田美智子(作家) 撮影/西條彰仁、ヘア&メイク/岩淵賀世、スタイリスト/中村抽里
※週刊ポスト2026年9月25日・10月2日号
