「地上波に乗る勇気がなかった」テレビから離れた“空白の3年”…高校生でデビューした北川景子(40)の“知られざる挫折”〉から続く

 今年(2026年)8月22日に40歳を迎えた北川景子。夫・DAIGOとの結婚からも10年が経ち、理想の夫婦として名前があがることも増えたが、家庭と仕事の両立に深く悩んだこともあったという。2児の母になった北川の転機、そして仕事への“変わらない姿勢”とは?(全2回の2回目)

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北川景子(映画『ファーストラヴ』(2021年)の舞台挨拶) ©文藝春秋

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 北川景子はデビュー10周年を迎えた2013年、自ら提案して写真集『27 KEIKO KITAGAWA』(SDP)を刊行、その後も30歳、20周年と節目を迎えるたびに写真集を出し、それまでを振り返ったロングインタビューを収録している。

 30歳で出した写真集『30 Keiko Kitagawa』(SDP、2016年)でのインタビューでは、「女優としてのこれからに期待することは?」との質問に、《ずっと仕事をし続けていられたらいいなっていうのが、一番の願いです》と答えた。それに続けて、デビューから毎回新しいことに挑戦をし続けてきたゆえ《安心できる仕事ばかりやる自分には、まだなりたくない》と言い切っている。

 同時期の雑誌のインタビューでも、《安心してできる仕事ばかりしていても、そこに成長はありませんから。(中略)怖いけれど、挑戦している時のほうがやりがいがあるし、自分の伸びしろを感じることができます》と語っていた(『MORE』2016年8月号)

29歳でDAIGOと結婚

 DAIGOと婚姻届を提出したのは、まさに30歳になる目前、2016年1月のことだった。彼とは2011年に北川主演のドラマ『LADY~最後の犯罪プロファイル~』(TBS系)の第1回で共演したのが馴れ初めである。だが、距離が一気に縮まったのは、結婚する2年前、彼がレギュラー出演していたバラエティ番組『火曜サプライズ』(日本テレビ系)で一緒にロケを行ったのがきっかけだった。

 ロケ中、彼の連発する「DAI語」に北川が関心を示したりして、おおいに盛り上がる。収録のあいまも話をするうちに打ち解け、彼から「ロケ以外でも食事に行きたいですね」と誘われたという。

 しかし、当時の彼女は多忙をきわめ、その約束はなかなかかなわず、2人での会食が実現したのは1ヵ月ほど経ってからだった。それでもその後、互いに休みをとれるタイミングが重なったこともあって会う機会が増え、早い段階で結婚を前提に交際を申し込まれる。

もともと結婚願望はなかった

 それ以前の北川は《仕事がやっぱり大事だし、人と一緒に住むとかもありえない》と公言し、結婚願望はまるでなかった(『anan』2013年10月30日号)。仮に結婚するにしても相手には求めるものばかりだと、次のように理想を挙げていた。

〈《まず、家族を大切にするとか、礼儀がちゃんとできているとか、思いやりがあるとか、人として当たり前のことができていてほしい。こちらが向こうの仕事を尊重するのと同じくらいに、こちらの仕事も尊重してもらいたいし、(中略)なにより、その人の子供が欲しいと思わないと、結婚したいと思わないでしょうね》(『anan』前掲号)〉

 そんな北川が交際の申し込みを受け入れ、結婚するにいたった。結婚後、その決め手は何だったのかと問われた彼女は、《それこそ、仕事人間という私のスタンスを認めてくれて、ありのままの自分でいられる相手だったからです》と答えている(『MORE』前掲号)。

 プロポーズされたのは、2015年にDAIGOが『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)でチャリティランナーとして100キロを完走した直後だった。これに対し北川は「よろしくお願いします」と喜んで応えた。だが、それと同時に、そのときすでに決まっていた仕事や事務所のことなどがいろんな人の顔とともに脳裏に浮かんだというのが、いかにも彼女らしい。もちろん、DAIGOのほうも、婚姻届を出すのは彼女の仕事関係の調整ができたタイミングだと十分理解したうえでのプロポーズだった。

 2016年は年明けから続けざまにドラマの撮影があったため、彼が4月の挙式・披露宴の段取りを全部つけてくれた。おかげで彼女は仕事に集中でき、挙式前の準備で自分がしたのはドレスのフィッティングだけで済んだという。

 DAIGOとつきあうようになってからというもの、仕事のことを含めフラットに相談したりと、二人三脚できる安心感と心強さを初めて知った。

 2016年秋に放送されたドラマ『ヒポクラテスの誓い』(WOWOW)も、撮影が時期的に披露宴の準備と重なり、体力的に不安で引き受けるかどうか悩んでいた北川を、「どれだけ眠れなくても辛くても、この作品は絶対に受けたほうがいいよ」と後押ししてくれたのは彼だった。

家庭と仕事のバランスに苦悩

 ただ、彼にどれだけ理解があっても、結婚すると家庭に対しても責任を感じてしまい、仕事とのバランスに悩んだという。

《両立は……できないんですよ。どちらかが絶対におろそかになってしまう。『一生ついてきてください』とファンの方に言ったのは自分なのに、その私が仕事をセーブしているような状況は自責の念に堪えなかった》と振り返る(写真集『37 20th anniversary Keiko Kitagawa』SDP、2023年)。

 他方で、30代初めには、ネット社会の闇やSNSの怖さなどをテーマにした作品にあいついで出演した影響もあり、伝えることの難しさに打ちのめされて、何も話したくないと心を閉ざしてしまった時期があったという。

 しかし、しばらくしてコロナ禍に入ると、外で人と会って話をする機会がなくなり、しだいにもっと人と会いたいという欲がふつふつと湧き起こる。それと同時に、自分の仕事は、受け取ってくれる人がいるからこそ成り立っているのだと、そのありがたみに気づかされたという。

34歳、コロナ禍での長女出産

 第一子となる長女を出産したのは34歳となった2020年と、ちょうどコロナ禍のさなかだった。結婚会見では「いずれは子供がほしい」と語っていたものの、その時点ですでに30歳、31歳の仕事は決まっており、周囲に迷惑をかけるような形で子供を授かりたいとは夫婦ともに考えていなかった。

 その後、2019年11月に主演映画『ファーストラヴ』(公開は2021年)の撮影が終わったときが妊娠しても大丈夫なタイミングだと判断し、幸運にも子供を授かった。

 出産後は、子供がなかなか寝てくれなかったり、つくった食事を引っくり返されて、つくり直すはめになったりと、もちろん大変なこともたくさんあった。それでも次のように語っているのは、俳優としてさまざまな経験を積んできた彼女ならではと思わせる。

〈《子育てを通して初めて知ることが多くて、興味や発見のほうに心が持っていかれることが多かった。一生懸命作ったものを食べてくれなくてイラッとするときもあるけれど、でもそこにはちゃんと理由があるんですよね。(中略)よくよく聞いてみると子どもなりに意志がある。この年齢でも人間なんだ、頭ごなしに叱るのではなく向き合うことが大事だと気づかされました》(前掲、『37 20th anniversary Keiko Kitagawa』)〉

産後2ヶ月で復帰したが…

 長女を出産後、出演映画の公開にあわせて2ヵ月で仕事に復帰した。ただ、これはさすがに早すぎたと、あとになって彼女は反省している。このときはしっかり休みをとる選択肢もあったにもかかわらず、メインキャストとして宣伝活動を断るわけにはいかないと持ち前の責任感から復帰したのだが、想像以上に大変だったらしい。

 体力が思うように戻らず、ホルモンバランスも乱れて、理由もなく涙が流れてしまうこともあった。いままでとは生活のルーティンも変わり、眠れないまま現場に入ったり、頭が回らないままインタビューを受けたりということもあり、こんな状態の自分に一体何ができるんだろうと打ちのめされたという。

 失敗の原因は、子育てと仕事を何とか両立しようと自分を追い詰めてしまったからだと、周りの人たちから「完璧じゃなくて大丈夫だよ」と言われて気づけた。それからというもの《自分を責めるのはもうやめよう。できる限りの誠意を持って、最善を尽くしていけば大丈夫。そんな風に少しずつですが考え方が変化していきました》という(前掲、『37 20th anniversary Keiko Kitagawa』)。

 2024年には長男も儲け、現在は2児の母親として、夫とも支え合って子育てをしながら仕事を続けている。

30代に入ってからの“仕事の変化”

 結婚して30代に入ってからは、役の幅がどんどん広がった。若い頃は、紅一点としてそこにいてくれればいいというような見た目優先の役も多くて、もどかしさを感じていたという。それが30歳をすぎてからは、真剣に仕事と向き合う役や、社会的なメッセージ性のある役をオファーされるようになり、やりがいを覚える。

 30代も後半になると、年齢的に母親役や職場の上司役も少しずつ増えていった。母親を演じるにしても役柄はさまざまで、昨年(2025年)にはドラマ『あなたを奪ったその日から』(フジテレビ系)で子供を事故で亡くして復讐心を抱く母親を演じたかと思えば、映画『ナイトフラワー』では、2人の子供を抱えながらも生活苦からドラッグの売人へと追い込まれるシングルマザーを演じた。

『ナイトフラワー』での北川のセリフはすべて関西弁だったが、さすがは兵庫出身だけに自然で、子供とのやりとりも「ママ」や「お母さん」ではなく「おかん」と呼びたくなる雰囲気を醸し出していた。おかげで、主人公たちは終始つらい境遇に置かれながらも救いを感じさせた。

 このように本作でも挑戦する姿勢を貫き、俳優として新たな一面をうかがわせる。これについて本人は公開時のインタビューで、《俳優という仕事は、時代や年齢に合わせて変化していかなければ淘汰されます。驚かれるような役に挑むことこそが醍醐味であり、生きている実感につながる。今は、新しいことに出合えることが、ただ純粋にうれしいんです》と語っていた(「クロワッサンONLINE」2025年11月26日配信)。

 あいかわらず仕事への闘志は変わらないが、一方で、家では仕事の話はしないよう心がけているという。また、娘の幼稚園への入園準備で色々なものをミシンでつくったのをきっかけに、いまでは手芸がささやかな趣味になっているようだ。そんな話を知ると、彼女が夢中になれるのは仕事ばかりではないのだと何だかホッとさせられる。

 40歳の誕生日を迎えたこの8月には、『NHK 夏の音楽祭 うたであえたら 2026』の司会者として夫のDAIGOとも久々に共演したのに続き、『24時間テレビ 愛は地球を救う』のなかで放送された実録ドラマ『幸せはある』で、ミュージシャンのつんく♂のがん闘病を支えた妻の役を好演したことが記憶に新しい。

 節目に出演したいずれの番組も、夫婦や家族の絆を感じさせるものだったことは、何やら40代の彼女の行く道を暗示するようだ。

(近藤 正高)