『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(田中仰 著)

「ミステリーノンフィクション」という帯コピーに惹かれて手に取ったら一気読みしてしまった。期待以上の面白さだった。

【画像】「高校野球を変えた」豊かな白い髪、貫禄たっぷりの風貌で人気に…甲子園の名将・蔦文也を見る

 池田高校の蔦文也監督と言えば、四国の山間にある県立高校を3回も甲子園大会優勝に導いた「名将」。当時の常識を覆す超攻撃野球で「高校野球を変えた」とも評され、豊かな白い髪をなびかせた貫禄たっぷりの風貌と、阿波弁で饒舌に語る独特のキャラクターで全国的な有名人になった。

 しかし、実はこの蔦監督、選手に野球の指導をろくにしておらず、有名になってからは講演会にかまけて練習や試合をおざなりにしていたと関係者が証言。当時の部員の一人からは「金の好きな欲望ジジイ」として告発状が書かれたという。

 一体、蔦監督の正体は? というミステリなのである。

 面白いのは著者が1992年生まれで、蔦監督をリアルタイムで全く知らないこと。まるで歴史上の人物を調べるように、フラットな視点で蔦監督の実像に迫ろうとするものの、これが一筋縄ではいかない。蔦監督の息子と孫、野球部の元コーチ、元部員などに訊いていくと、謎と矛盾に満ちた蔦監督の素顔が浮かび上がってくるのだ。

 一面は純朴な野球好きのおじさん(おじいさん)。池田がまだ弱かった頃は一人で昼休みにグラウンド整備をしたり、球の縫い目のほつれた部分を自分でかがったりしていた。

 一方で、野球の指導は川原良正さんというコーチに任せきりで(元部員はみんな、この川原さんに感謝している)、試合中もサインはしょっちゅう間違えるし、臆病な性格からスクイズのサインもなかなか決断できなかったというほどダメな監督だったという。

 また、練習中の水分補給が否定されていた時代にスポーツドリンクの摂取を指示するという先進性を持ちながら、試合前に球場へ行く途中で霊柩車を見た日は勝てると信じて、霊柩車を見ると大喜びしたとか、重い金属バットをいち早く導入したのも飛距離ではなく打ったときのキーンという甲高い音が気に入ったからだとか、あまりに子供っぽい逸話にも事欠かない。

 ある人は今でも蔦監督を神のように崇め、ある人はボロクソにけなす。まるで芥川龍之介の『藪の中』あるいはそれを映画化した黒澤明の『羅生門』のようだ。

 取材は混迷を深めるが、著者は驚異的な粘り強さで蔦監督と池田高校野球部に関するあらゆる「定説」を検証し、それを覆していく。

 中でも、池田の伝説的な超攻撃野球の「定説」が崩されたのには驚いた。では池田はなぜ強かったのか? 蔦監督の役割は? 謎が謎を呼ぶ。

 読後は誰もが「蔦監督って実はこういう人だったんじゃないか」という自説を考え、それを人に話したくてしかたなくなるだろう。構成も文章も見事なミステリーノンフィクションの傑作だ。

たなかあおぐ/1992年生まれ、千葉県出身。ソニー・ミュージック(SME)に入社し1カ月で退職。のち編集プロダクション「KWC」を経て、2021年から文藝春秋「Number Web」編集部に所属。本作で長編ノンフィクションデビュー。

たかのひでゆき/1966年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞を受賞。

(高野 秀行/週刊文春 2026年9月17日号)