雪朱里さん/『わずか2ミリの活字のもと“種字”を手彫りした彫刻師たち 活字の種をつくった人々』/水鈴社

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【著者インタビュー】雪朱里さん/『わずか2ミリの活字のもと"種字"を手彫りした彫刻師たち 活字の種をつくった人々』/水鈴社/3520円

【本の内容】
 温かみのある風合いが若い人に人気の活版印刷。今から40年ほど前まで主流だった活版印刷の時代、活字を鋳造するにはもととなる「種字」が必要で、数ミリの文字を手彫りする、種字彫刻師たちがいた。何千もの必要な文字を鏡文字にデザインして短時間で彫り上げていく。活字文化の、文字通りの礎といえる仕事をした人たちだが、できあがった本にも、記録にも名前がほとんど残らなかった。彼らの仕事を、活版印刷の歴史をひもときながら写真や図版をまじえて丁寧に紹介していく。築地体や秀英体、精興社書体など、現在のデジタルフォントにも引き継がれている各書体がどのように生まれたかも、彼らの切磋琢磨から生まれたことがよくわかる。

本にして残さないと、次の世代に伝わらない

 活字という言葉は、活版印刷が印刷の主流ではなくなった今もふつうに使われる。活字がどういうものか知っていても、活字のもとになる「種字」の存在を知っている人はかなり少ないのではないだろうか。

 活版印刷の時代、活字を大量につくるために型どりのための種字というものが必要で、種字専門の彫刻師がいたことを、雪朱里さんの『活字の種をつくった人々』を読んで初めて私は知った。

 明治、大正、昭和と、印刷をめぐる技術革新の流れのなかで活躍の場を広げ、その後、役割を終えるも、彼らの書体デザインは、現代のデジタルフォントに引き継がれている。

 雪さんが種字というものに関心を持ったのは、本でも紹介されている種字彫刻師の清水金之助さんを2006年に取材してからだ。

「現代の職人を紹介する雑誌の企画で取材させていただきました。活版からオフセット印刷の時代になって、清水さんも彫刻師の仕事はやめておられたんですけど、私がお目にかかる数年前に、すすめられて彫刻を再開し、お客さんの前で実演するようになっていらして。私が取材したときも目の前で種字を彫ってくださったんです」

 これが清水さんの種字です、と雪さんから小箱を差し出された。数ミリからルビ用の極小の文字まで、清水さんが鏡文字で彫った種字が、きっちり収められている。かつては、この種字から型を取り、鉛の活字が大量につくられていた。

「そのとき清水さんは83歳でしたが、下書きもせずに縦横の十字だけしるしをつけて、鶴や亀の複雑な正字を、話をしながらどんどん彫っていかれるのでびっくりしました」

 誰かが種字を彫らない限り活字ができなかった時代があった、ということに思い至り、なぜこんな重要な仕事がほとんど知られていないんだろうと考えたそうだ。

 清水さんの仕事に感銘を受けた雪さんは、清水さんに聞き書きして『活字地金彫刻師・清水金之助』という本を出す。クラウドファンディングがまだない時代で、ブログをつくって協力を呼びかけ、本文総活版印刷、500部の本ができた。

 清水さんは2011年に亡くなるが、2022年の生誕100年に種字彫刻師の展示が企画された。2023年11月から2024年6月まで、大日本印刷の文化施設「市谷の杜 本と活字館」で、種字彫刻師についての展示が開かれ、雪さん自身もかかわった。この展示をするなかで、「展示内容を本にしたい」という気持ちが強くなったという。

「すばらしい展示で感動したんですけど、本にして残さないと、次の世代に伝えていくのは難しい。清水さんの聞き書きを本にするときもお世話になった津田淳子さんが編集協力してくださることになり、こうして本にすることができました」

 日本における活版印刷の始まりから、活版印刷のしくみ、種字彫刻の始まりから役割を終えるまでの流れをわかりやすく伝える。名前が残っている最初の種字彫刻師・竹口芳五郎から、清水さんや唯一の昭和生まれである中川原勝雄さんまで、14人の彫刻師の仕事を紹介していく。

週刊誌の隆盛も彫刻師の手仕事に支えられていた

 巻末に掲載した、種字彫刻師の人的つながりがわかる「種字彫刻師 人物相関図」は前出の展示でも注目度が高かったそうだ。

「種字彫刻師っていうからすごく昔の話だと思っていたのが、最先端の『アドビ』とか、今すごく使われているフォントの『モリサワ』とかが出てきて、自分たちと関係ない話じゃなかったんだ、と言う人が多くて。この人たちがつくった文字が、今のデジタルフォントにもつながっているんだな、というのが図を見ていただくことで伝わったようです」

 作家に愛好者が多く、今も文芸書によく使われる精興社書体が、どういう流れでできてきたものなのか、種字彫刻師の歴史を踏まえて初めてよくわかる。

 戦後、ベントン彫刻機が導入され、種字なしで活字の量産が可能になり、種字彫刻師たちはその仕事を失う。廃業する人も多いなか、彫刻刀をペンや筆に持ち替え、ベントン彫刻機用の原図デザインに仕事を変えた人たちもいた。橋本和夫さんや小塚昌彦さんのように、種字彫刻師の師に学び、写植の時代にも、デジタルフォントの時代にも、多くの後進を育てた人もいる。橋本さんは、91歳の今も現役書体デザイナーとして仕事をされているそうだ。

 紹介されている彫刻師のなかで一番若い中川原勝雄さんは、戦後の出版社系週刊誌の創刊ラッシュを経験、1960年代には印刷会社に机があり、種字ではなく、「足し駒」と呼ばれる、母型のない活字をその場で直彫りしていた。週刊誌の隆盛がこうして手仕事に支えられていたことも、まったく知らなかった。

 本に掲載された種字の写真がいずれも目を見張るほど美しく、「超絶技巧」という言葉を使いたくなる。

「一つひとつ手で彫られた文字のかたちが、100年以上の時を経て、今も使われるというのは、それだけ優れたデザインだったということだと思います。

 人間国宝レベルの技術だと私は思うんですけど、名前も残さず、文字だけ残していった職人さんがほとんどで、本当の意味で文化の礎となった人たちです。活字文化がこうした人たちに支えられていたことを、本を通して少しでも多くの人に知ってもらえたらいいなと思います」

【プロフィール】
雪朱里(ゆき・あかり/1971年生まれ。武蔵大学人文学部日本文化学科卒。写植(写真植字)からDTP(パソコン上でデザイン、レイアウトなどを行うこと)への移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。著書に『活字地金彫刻師・清水金之助』『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』『もじモジ探偵団 文字バンザイ編』『時代をひらく書体をつくる。──書体設計士・橋本和夫に聞く活字・写植・デジタルフォントの舞台裏』『印刷・紙づくりを支えてきた 34人の名工の肖像』『描き文字のデザイン』『もじ部』『文字をつくる9人の書体デザイナー』など。

取材・構成/佐久間文子

※女性セブン2026年9月24日号