東映時代の張本勲さん(C)共同通信社

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 10日、プロ野球名球会東映(現日本ハム)、巨人、ロッテで活躍した張本勲氏が9日に都内の病院で亡くなったことを発表した。86歳。

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 1940年、広島生まれ。59年に東映フライヤーズに入団。75年オフに巨人に移籍し、リーグ連覇に貢献。ロッテ移籍後の80年に前人未到の3000安打を達成した。通算2752試合で打率.319、504本塁打、1676打点。通算3085安打はいまも破られぬNPB記録だ。タイトルも首位打者7回、最高出塁率9回。当時はタイトル外だった、最多安打も3回マークしている。

 東映、巨人で共にプレーした4学年後輩の高橋善正氏(82)は「日本でナンバーワンの打者だった」と、当時を振り返る。

「本人は『俺はホームランバッターじゃない』と話していたが、長打を狙わずとも年間30本塁打を打つ。さらに足も速く、シングルヒットの時はノーサインで盗塁し、必ず成功させていた。通算319盗塁だったので、狙えば本塁打王も盗塁王も獲得できたのではないか」

 一方、幼少期に負ったやけどの影響でグラブをはめる右手が不自由。肩も弱く、外野守備はイマイチだった。

完全試合を達成した時、最後の打者が…

東映の投手は、『なるべくハリさんの守る左翼には打たれないようにしよう』という意識があった。ただ、それで助かったこともある。私が完全試合を達成した時(71年8月21日、西鉄戦)、最後の打者が左翼に痛烈な当たりを放った。これは抜かれると思いましたが、ハリさんは自分でも守備が苦手と思っていたので、常に左翼後方を守っていた。これが奏功し、フェンス直撃という当たりをあっさりと捕球。ハリさんに助けられました」

 豪快で酒好きのイメージも強いが、「それほど強くはなかったようです。よく年上の土橋正幸さんや西園寺昭夫さんと飲みに行っていましたが、ハリさんが先に酔いつぶれて、いつも2人に担がれて宿舎に帰ってきた」(高橋氏)という。

 王、長嶋のように、キャンプでは練習後も宿舎の自室で素振り。しかし、ONとは違う点がある。

「ハリさんは必ず同室の選手を『入ってくるなよ』と閉め出してから、素振りをしていた。王さんや長嶋さんは、人前でも気にせずにバットを振っていた。当時は『人気のセ、実力のパ』と言われたものですが、セと比べるとパは個性的な選手が多かった。いくら同僚といえども、技術を盗まれたくなかったのでしょう」(高橋氏)