田久保前市長のPCから「卒業証書」データ発見も有罪立証は難航? 「現物なし」で“正副議長の証言”が鍵を握るワケ【弁護士解説】
静岡県伊東市の前市長・田久保真紀氏が、自身の学歴詐称疑惑をめぐり有印私文書偽造・同行使などで起訴されている事件で先月末、田久保氏のPCから「卒業証書」のデータが発見されたと報じられた。
田久保氏が起訴されている被疑事実は、2025年6月、東洋大学法学部の卒業証書と称する書類を市議会の議長・副議長に見せたというもの。
「卒業証書」のデータが田久保氏のPCに保存されていたことは、一見すると偽造を裏付ける「決定的な証拠」のようにも思われる。しかし、刑事弁護の専門家で刑事訴訟における事実認定の実務に詳しい岡本裕明弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所代表)は、「ことはそれほど単純ではない」と指摘する。
検察側は、有罪を立証するにはどのようなプロセスをたどる必要があるのか。岡本弁護士に聞いた。
「卒業証書」の現物がない中での立証の難しさ本件の最大の問題点は、偽造の事実を立証するための最も重要な証拠である「偽造された可能性のある卒業証書」の現物が提出されていないことにある。
田久保氏のPCから発見されたデータは有力な状況証拠ではあるが、それのみで「偽造された卒業証書そのものが存在し、それを行使した」ことまでを直接証明するものではない。
報道によれば、現物は田久保氏の代理人弁護士が金庫で保管し、刑事訴訟法105条の押収拒絶権を根拠に提出を拒んでいる。
岡本弁護士:「弁護人側からその書面を出すメリットのある状況を想像することが困難です。今後も現物が提出される可能性はきわめて低いように思います」
刑事裁判では、「合理的な疑いを差し挟む余地がない」程度にまで事実を証明することが求められる。物証が乏しい状況で有罪を立証することは、検察側にとって大きな壁となる。
岡本弁護士:「PCデータは強力な証拠ですが、それだけではパズルのピースが足りません。現物がない以上、検察側の立証のハードルは通常よりも高いと言わざるを得ないでしょう」
もっとも、偽造された文書の現物がなくとも、犯罪の成立が認められる可能性が全くないわけではない。
岡本弁護士:「過去には、偽造公文書そのものの証拠調べがなされなかったにもかかわらず、他の証拠によって偽造の事実認定を認めた最高裁判例が存在します(最高裁昭和23年(1948年)10月23日判決参照)。
したがって、理論上は、今回のような事案でも、複数の周辺証拠を総合して有罪の立証を行う余地はあります」
検察側が越えなければならない「合理的な疑い」の壁では、検察側は具体的にどのような事実を積み上げていく必要があるのだろうか。岡本弁護士は、まず争いのない事実関係を固めることの重要性を指摘する。
岡本弁護士:「まず、田久保氏が議長と副議長に『卒業証書』を見せた、という事実。見せた時間の長短については争いがあるようですが、見せたこと自体は田久保氏本人も認めているようですから、『卒業証書』を見せた事実の有無は争いにならないでしょう。検察としては、ここを立証の出発点とすることになります」
次に、提示された文書が「偽造されたもの」であったかどうかが最大の争点となる。これについて、大学側は田久保氏に卒業証書を交付していないと明確に否定している。
岡本弁護士:「東洋大学が、田久保氏の卒業の事実も、卒業証書の交付の事実もないと断言している以上、田久保氏が提示したとされる文書が、大学の正規の手続きを経て作成されたものではないことは間違いないように思います。
つまり、田久保氏が見せた『卒業証書』が、東洋大学が発行した卒業証書ではないことが強く推認されます」
その文書が偽造文書であることを明らかにできれば、その文書を所持し、議長らに提示したという事実から、田久保氏自身が偽造行為そのもの、あるいは偽造されたものであると知りながら行使したという、一連の犯行への関与が推認されることになる。
そして、最終的な鍵を握るのが、議長と副議長の証言である。
岡本弁護士:「東洋大学が発行した卒業証書が存在しないからといって、議長らに提示した書面が偽造文書であると証明されたわけではありません。その書面自体が証拠として存在しないからです。
『卒業証書』の現物が提出されない以上、彼らが見たとされる書面が、一体どのようなものだったのかが証明される必要があるのです。検察官としては、議長らが見たという『卒業証書』が、PCから発見されたデータと一致することを立証することになるはずです」
公判では、検察官が正副議長を証人として尋問し、提示された卒業証書に記載されていた氏名、学部名、授与年月日、学長の氏名、そして学長の印影といった具体的な記載内容について、記憶に基づいて詳細に語らせることになる。
岡本弁護士:「検察官は、証言の客観性を担保するため、PCのデータを直接見せて『これと同じでしたか?』と聞くような誘導尋問はできません。あくまで証人の記憶の中から、PCデータと一致する情報を引き出さなければならないのです。
例えば、証人が『卒業証書』に学長名の記載と学長印の押印があったと証言した場合、『印影はどのような形でしたか』『学長の名前はなんと書いてありましたか』といった形で、一つ一つ確認していく地道な作業になります」
その証言内容が、田久保氏のPCから見つかったデータや、田久保氏が別途発注していたとされる学長印の印影と整合すれば、状況証拠の連鎖はより強固なものになる。
弁護側の想定される争い方は?もちろん、弁護側はこの証言の信用性を徹底的に争うことが想定される。
岡本弁護士:「弁護側は、『卒業証書は一瞬見せられただけなので、細かい文言や印影の形まで正確に記憶しているのは不自然だ』『時間が経過しており、記憶が曖昧になっているのではないか』『PCデータの報道に影響され、記憶が汚染されている可能性はないか』といった観点から、証言の信憑性を弾劾してくるでしょう」
一部報道によると、弁護人は、PCから見つかったデータについて、第三者が作成した可能性を指摘しているとされる。
岡本弁護士:「『第三者が偽造した文書を、正当な卒業証書だと誤解した上で議長らに示してしまった』という主張も考えられ、上述したような点ではないところで争われる可能性もありそうです。
しかし、その場合であっても、『卒業証書』自体が証拠として提出されないのであれば、裁判官が、正副議長の証言をどこまで信用できると判断するかが焦点となることに変わりないでしょう」
PCデータの存在は、田久保氏側にとってきわめて不利な状況証拠であることは間違いない。しかし、岡本弁護士が指摘するように、現物がないという事実は検察側の立証活動に大きな制約を課す。
今後の公判では、客観的な証拠と関係者の証言を突き合わせ、合理的な疑いを差し挟まない程度の立証が行われるかが焦点となる。

