阿部公彦さん/『父たちのこと 一九四四年のクラスメイト』/講談社

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【本の内容】
「事務」に関心を抱く英文学者が、「事務屋」であった海軍主計官の父の視点を通して見た戦争を描くノンフィクション。海軍経理学校を卒業してすぐ戦地へ赴いた21歳の青年は何を見たのか。戦後、何を考えて細部にわたる記録を文章として残そうとしたのか。人間の運命とは、生死とは何かを考えさせられる。作戦を遂行する当事者が見た戦場とは異なる、少し後方から全体を見る記録者の視点で、敗色濃厚な戦争末期の、あまり語られてこなかった過酷さを浮かび上がらせる。著者の父も含めた、あの過酷さを体験した青年たちのその後の道のりも語られている。

父の世代が見た戦争を再現してみようと思った

 英文学者で東大教授の阿部公彦さんが、2011年に亡くなった父克巳さんが残した手記や手紙の下書きなどを参照して、海軍経理学校を卒業したばかりの新米士官が見たあの戦争を書き起こした。

 研究者として著書や翻訳書はたくさんあるが、戦争を題材にしたノンフィクションを書くのは阿部さんにとって初めての試みとなる。『事務に踊る人々』を書くときに、海軍の主計将校だった克巳さんの手記をあとがきで引用したところ、編集者に執筆を勧められたそうだ。

「父が海軍で庶務的なことをしていたことや、軍艦に乗っていたときの画帳があることは覚えていたので、『事務』に繋がる何かあるのではと遺品を見直したのがきっかけです。同窓会誌や公刊された雑誌に掲載された父の文章に目を通すなかで、父の世代の人たちが見た戦争を再現してみようと思ったんです」

 克巳さんは、1943年9月に20歳で海軍経理学校を卒業している。克巳さんたちの33期生は1クラス51人が在籍したが、うち20人が戦死している。

 生き残った同期の結束は固く、海軍の機関誌「水交」のほかに、33期の同窓会誌「燦燦会だより」も発行していた。克巳さんはこうした雑誌に、自身が参加した「オルモック輸送作戦」の記録や軍隊の経験などを文章にして発表していた。

 学校を卒業して練習生として重巡洋艦に乗り、主計少尉に任官して駆逐艦「秋風」に乗船した。「秋風」では、民間企業なら人事や庶務にあたる部署を担当、「食事がまずい」という苦情に対応したり、毎月の給料の袋詰めに苦労したことなどを、手記にはきわめて具体的にしるしていた。

 主計官のおもな仕事のひとつに軍務の記録があった。克巳さんはスケッチも正確で、簡潔な線で、見たものの特徴をよくとらえている。

「昼間、船を見ながらスケッチするんじゃなく、見たものを覚えていて、夜になってから机に向かって描いたそうです。自分だったら、実物を見ながらでも描けないのでそれを知って驚きました。輸送船に搭載された特殊なクレーンを描いたスケッチがどこかに掲載されたときは、興味を持った人から連絡をもらったこともあったようです」

 軍にいたのは敗戦までの1年半だが、多くの同僚の死を目撃し、克巳さん自身、何度も生死の境に立たされる、濃密で凝縮された1年半だった。

 諸事情で司令が「秋風」から「夕月」に乗り換えたため司令付の克巳さんも同行したところ、翌月、それまで乗っていた「秋風」が、200人の乗員もろとも米軍の魚雷で轟沈したこともある。

 陸軍と海軍が合同で実施したレイテ島への増援作戦である「オルモック輸送作戦」に参加したことや、戦地で再会した経理学校の同期から「ビハール号事件」(注:イギリスの商船を撃沈した日本海軍が捕虜を虐殺した事件)について聞いたことなども、事実をゆがめず、書き残していた。

雑音的なエピソードを拾うのが不思議とうまい

 印象深いのは、「秋風」の最期を見届け、文章で再現しつつ、「護衛していた空母『隼鷹』を守るため魚雷に向かっていった」と、海軍で信じられている「美談」に、いくつか例証を挙げて、それは事実ではないのではないか、と疑問を呈しているところで、正確な記録を職務としている人ならではだと思う。

「秋風」から乗り移った「夕月」も攻撃を受け大破し、克巳さんたちは海に飛び込んで救助される。マニラから台湾へと脱出するが、小型飛行機には10人しか乗れず、「4人降りてくれ」と操縦士に告げられる場面など、小説を読むような緊張がある。独身者なのに「降りる」と言えない自分を恥ずかしく思うが、のちに逃亡犯があの場に紛れ込んでいたことがわかって唖然とする……。

「小説は探偵小説ぐらいしか読まなかったせいか、レトリックに凝るとか、そういう虚飾が少ない。記録として具体的に書いているので、読んでいても面白かったです。散文的というのか、微妙にズレた雑音的なエピソードを拾うのが不思議とうまいんです。

 自分を美化しようとか勇敢に書こうとかいう気持ちはなかったと思いますね。実際、勇敢ではなかったようですし」

 何度も死と向き合う経験をして、自分が生き残ったのは「偶然の運だけ」だと克巳さんは書いている。

「父はこのころ20歳、21歳で、私が日ごろ接している学生たちとほぼ同じです。そう思うと何とも言えない気持ちになります」

 克巳さんが元気だったころ、経理学校の同期生が訪ねてきて、「この人に助けてもらったんだよ」などと教えられることはあったが、系統立って話を聞かせてもらうことはなかったそうだ。

「本を書き終えて、父の経験は私の想像を超えていて、言葉にうまくできないものがありますし、消化しきれてもいません。

 何か少し違っていたら、父もあそこで死んでいたかもしれない。父が乗るはずだった駆逐艦『秋風』が爆撃を受け、沈んだのが11月3日で、その日は偶然、私の誕生日なんです。本当に個人的な思いですけど、そのことに勝手に因縁を感じたりもしました」

【プロフィール】
阿部公彦(あべ・まさひこ)/1966年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授。英米文学研究と文学一般の評論を行う。1998年「荒れ野に行く」で早稲田文学新人賞、2013年『文学を〈凝視する〉』でサントリー学芸賞を受賞。『英詩のわかり方』『英語文章読本』『小説的思考のススメ』『即興文学のつくり方』『スローモーション考』『幼さという戦略』『詩的思考のめざめ』『英文学教授が教えたがる名作の英語』『病んだ言葉 癒やす言葉 生きる言葉』『事務に踊る人々』『文章は「形」から読む』など著作多数。

取材・構成/佐久間文子

※女性セブン2026年9月17日号