ロッテ・益田直也 250セーブ達成「無名選手」が歯を食いしばって歩んだ″偉業達成″苦難の道のり
”野球エリート”ではない男が歩んできた道のり
「ホッとしたのが一番です。泣いたらアカンと必死にこらえていた。(記録達成まで)チームに迷惑をかけましたからね」
名球会入りの条件である通算250セーブをあげた瞬間(8月4日の西武戦)を、ロッテの益田直也(36)が振り返る。
250セーブを達成した投手は、元中日・岩瀬仁紀(ひとき)や元ヤクルト・高津臣吾など5人いるが、益田の795試合目での到達は最も遅い。昨年は故障の影響もあり、わずか5セーブと苦しんだ。益田が続ける。
「本当は昨年達成すべきだったんですけど……。思い返すと、頭に浮かぶのは多くが(救援に)失敗した試合です。くじけそうになる気持ちを支えてくれたのは、ファンの声援と家族でした。どんな状況でも味方でいてくれる妻や子どもたちには、本当に感謝しています」
益田は野球エリートではない。全国的には無名の大学から、ドラフト下位指名でプロ入り。悔しい思いをしても歯を食いしばり、苦難の末に偉業を達成した。
「高校(市立和歌山商業)では、甲子園出場経験はありません。しかも心臓の病気を抱えていたため、投手志望でしたが身体への負担を考慮され内野の補欠だったんです。プロを意識し始めたのは、病気が癒(い)え投手としての自信がついた大学生(関西国際大)になってからですね。2年春に全日本大学野球選手権に出場し、準決勝で強豪・法政大を147~148km/hの真っすぐで抑えられたんです。4年春には、阪神大学リーグトップの防御率0.75の成績を残せました」
益田は’11年秋にロッテからドラフト指名を受ける。しかし順位はチーム内で最も低い4位。他の3人(藤岡貴裕、中後悠平(なかうしろゆうへい)、鈴木大地)は大学日本代表だった。
「新人合同自主トレにはメディアの方がたくさん集まりましたが、取材するのは上位3人ばかり。僕のところへは来ません。練習が終わっても3人はファンからサインを求められる一方、僕は一人(ロッテの二軍球場のある埼玉の)浦和から真っ先に自転車で寮に帰っていました。
自分は無名なんだから仕方ないと思う反面、秘する気持ちはありましたよ。結果を残せず『やっぱり益田だけはダメだった』と思われたくない。同期ではなく、自分自身に負けたくなかったんです」
「下を向いて帰るな!」
益田は淡々と練習に打ち込んできた。多い日で走り込みの量は10㎞。益田は一日も休まず2週間で100km以上走る。
「『これだけの量をこなせているんだ』と自信に繋(つな)がりますからね。技術的には、西本聖(たかし)コーチ(当時)からシュートを教えてもらったのが大きい。右打者の内角を攻められるようになりましたから。一流打者でもインサイドを攻め続けられたら、そう簡単には打てないでしょう」
努力が認められ、益田は1年目(’12年)からセットアッパーや抑えを任される。いきなり開幕戦から4連投し、チームの4連勝に貢献。5月までの約2ヵ月間で、14のホールドをあげた。
「コーチから『行くぞ』と言われマウンドに上がり、『帰ってきました』の繰り返しです。無我夢中で捕手のミットにボールを投げていました。結果的に、それが良かった。余計なことを考えなかったため、身体にムダな力が入らず力いっぱい投げられたのでしょう」
同年7月18日の楽天戦では、精神面の成長がうながされる″事件″が起きた。
「1アウトもとれず走者を二人出して代えられたんです。救援に失敗し、落ち込んでいたのでしょう。(現監督の)サブローさんから怒られました。『オマエの背中を野手はいつも見ている。弱々しい態度をとるな。打たれても下を向いて帰るな! チームの代表として投げてんねんから、堂々とプライドを持ってやれ!』と。
サブローさんの一喝は効(き)きましたね。それからです。どんなに落ち込んでも失敗しても、グラウンドで弱々しい姿は決して見せないと心に誓ったのは」
打ち込まれて沈んだ雰囲気は、家庭にも持ち込まないように心掛けた。’21年3月のソフトバンクとの開幕カードで、益田は2試合連続でサヨナラ打を浴びる。チームは開幕3連敗を喫した。
「本当に悔しかったですね。遠征先の福岡から千葉へ飛行機で移動し、自宅へは車で帰ったんですが……。どうしてもテンションの下がった状態で家族と会いたくなかった。気持ちを切り替えようと、自宅の駐車スペースに車を停めずっと車内にいたんです。車内に3~4時間はいたかな。ようやく家の中に入ったころには、日付が変わっていました。
ただ、こうした苦い経験を乗り越えられたからこそ、その後の活躍がある。結果が出ないと、どうしてもネガティブになりがちです。しかしマイナス思考では良い成績は残せません。『大丈夫。今までやってきたことは間違っていない』という信念を持って投げ続けてきました」
『FRIDAY』2026年9月11・18日合併号より
