「経営トップ自らが現場の裏方まで」…「モードの帝王」イヴ・サン=ローラン氏を支えた長年のパートナー、ピエール・ベルジェ氏の献身
モードの帝王の光と影
2010年にドキュメンタリー映画が1本、2014年に伝記映画が2本と、フランスのファッションデザイナーであるイヴ・サン=ローラン氏(2008年没)にはスクリーンが似合う。
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とはいえ、この伝記映画2本には違いがあった。イヴ・サン=ローラン財団とサン=ローラン氏のパートナーだったピエール・ベルジェ氏が全面協力したのは、先に公開されたピエール・ニネ主演版のみ。ギャスパー・ウリエル主演版(老年期はヘルムート・バーガー)はベルジェ氏と内容の折り合いがつかず、完成後に同氏の批判を受けた。
サン=ローラン氏の生涯は光と影の差があまりにも大きかった。公私にわたるパートナーだったベルジェ氏が、スクリーン上での“描かれ方”にこだわるのはもっともである。加えて自身も重要な登場人物であり、恋人関係を解消した後の役割や敏腕実業家としての顔など、彼にも“描かれ方の問題”があった。2025年のドラマ「カール・ラガーフェルド:Becoming」(ディズニー+)では、ラガーフェルドと対立する実質上の“敵役”として描かれてもいる。

「華麗なランウェイとは正反対」とよく言われるファッション業界の内幕。スクリーン上に浮かび上がるベルジェ氏は、モードの帝王を支えるためならば光にも影にもなる、非常に興味深い人物である。では、実際はどうだったのか。2017年に86歳で世を去ってから9年、9月8日の命日にあわせ、「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」でその生涯を振り返る。
(以下、「週刊新潮」2017年9月28日号掲載「墓碑銘」を再編集しました)
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「サン=ローランさんを守っていた」
1998年春夏オートクチュールコレクションの舞台袖から、花束を手にランウェイへ飛び出す黒縁眼鏡のイヴ・サン=ローラン氏の写真。“モードの帝王”とまで称賛された、フランスの服飾デザイナーである。その背後で両手を突き出し、彼を送り出しているのは、ブランドを共に立ち上げ、経営面を担ったピエール・ベルジェ氏。約半世紀もの間、公私にわたり支え続けたパートナーだ。
1970年代からパリでサン=ローラン氏の新作発表を取材してきた服飾評論家の堀江瑠璃子氏は振り返る。
「会場でモデルが歩き始める合図をベルジェさんが鋭い表情で出している様子が、ちらりと見えて驚きました。終了後、記者が取材に押しかけても、ベルジェさんが相手を選び10人ほどしか会わせてもらえません。シャイなサン=ローランさんを守っていたのです。経営トップ自らが現場の裏方まで務めていました。ファッションは芸術で、作品が第一ですが、ビジネスとの結びつきもないと才能が世に出ることは難しいものです。創造に専念できる環境をベルジェさんは整え、実務を担いました」
独立して初めて作品を発表した日
ベルジェ氏は1930年、フランスのオレロン島生まれ。作家やジャーナリストを志しパリに出た。持ち前の行動力と熱意で主宰した刊行物にはアルベール・カミュやジャン・コクトーらも寄稿してくれた。画家のベルナール・ビュッフェのマネジメントを手がけ、人気を押し上げることで頭角を現す。
サン=ローラン氏とは1958年、パリの社交界で出会う。時にベルジェ氏27歳、サン=ローラン氏21歳。ファッションに興味は薄かったが、時代を切り開くような才能に衝撃を受ける。ほどなく共に暮らし始めた。同性愛の恋人関係を隠さなかった。
急死したクリスチャン・ディオール氏の後を託され、サン=ローラン氏は前途洋々のはずが徴兵された。軍隊生活ですぐに精神が不安定になり、ディオール社から解雇。ここでベルジェ氏が動いた。人脈を活かし資金を集め、サン=ローラン氏のブランド会社を創設したのだ。
「ふたりの思い出を聞くと、いっぱいありすぎるけれどもと前置きして、“1962年1月29日”と節をつけ、歌うように話してくれました。独立して初めて作品を発表した日でした」(堀江氏)
異なる才能と人柄
しばしば来日。京都が好きだった。1970年代のパリでは堤清二氏の妹である堤邦子氏、デヴィ・スカルノ氏、岸惠子氏らと縁が深かった。
「美を創り出すのはサン=ローランさんだと尊敬していましたね。ふたりの異なる才能や人柄が組み合わさり、強さを発揮していました」(デヴィ・スカルノ氏)
化粧品や香水、ライセンス商品も手がけて利益を上げ、資金の心配などさせない。
「不動の地位を得た後も鬱に長く苦しんだサン=ローランさんを、保護者のように見守っていました」(堀江氏)
サン=ローラン氏は2002年に惜しまれながら引退し、2008年に脳腫瘍のため71歳で死去。先立たれたベルジェ氏は、ふたりで集めた美術品や家具をオークションにかけて手放した。落札総額は日本円に換算すると420億円を超えていた。得たお金はエイズ対策の基金などに広く寄付している。
功績を後世に伝える重責
政治にも関心が深く左派を支持。2010年には、経営危機に陥った大手紙のル・モンドを、他の実業家と共同で買収、救済した。
ファッションが作品の良さで評価されるのではなく、大きな広告を出す見返りに雑誌の表紙や記事にするような風潮に失望していた。ふたりの関係は映画化され、成功と重圧が心に響いた。2017年9月8日、フランス南部の自宅で、86歳で逝去。
筋萎縮症で闘病していたが、6月に車椅子姿で記者会見に臨んだ。サン=ローラン氏の作品やデザインスケッチを、ふたりのゆかりの地であるパリとマラケシュ(モロッコ)の2カ所に設ける美術館で10月から一般公開すると発表したのだ。
開館目前に旅立ったが、功績を後世に伝える重責を果たした。
デイリー新潮編集部
