「秋篠宮家のお名前を呼ぶ声はほとんど聞こえず…」 20歳を迎えられた「悠仁さま」がこの1年、向き合われたもの 一般参賀デビューで見えた「天皇ご一家とのコントラスト」「紀子さまの焦燥」とは
6日、20歳の節目の誕生日を迎えられた悠仁さま。この1年のご活動を「週刊新潮」記事を元に振り返る。【前編】では、成年式を小室眞子さんと圭弁護士夫妻、祝宴を愛子さまがご欠席された“複雑な事情”について記した。【後編】では、秋篠宮家について未だに向けられる厳しい視線と、それに悠仁さまがどのように向き合われたのかについて詳報する。
【前後編の後編】
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紀子さまの強いご意向が
昨年9月、晴れて成年式を終えられた悠仁さま。その後は学業を優先されながらも、成年皇族としてご公務への参加が徐々に増えていった。一方で、母・紀子さまが気を揉んでおられたのが、宮内庁のInstagramでの「格差」であった。

宮内庁では、2024年4月からInstagramの運用を始めた。開始当初から天皇ご一家のご動静を公私にわたって伝えており、フォロワー数は200万人を超えている。ここに昨年8月18日、新たに秋篠宮家、そして常陸宮家・三笠宮家・高円宮家のご活動を紹介する投稿が加わった。
“第1弾”となった秋篠宮家の投稿では、昨年7月のご夫妻での大阪・関西万博ご視察や、ご一家で「被爆80年企画展」をご覧になった際の様子など、ご公務中の写真20枚がアップされた。
「週刊新潮」2025年9月18日号で、宮内庁関係者はこう述べている。
「この投稿のタイミングについても、成年式を見据えて、悠仁さまをはじめご一家のご活動を世間に知らせたいという、紀子さまの強いご意向があったと聞いています」
歴然とした差
ところが、そうしたご意思に反するかのように、当該の投稿にユーザーから寄せられた“いいね”は、掲載から3週間ほど過ぎた時点で、わずか4万余りにとどまった。同じ日の、他の3宮家合同の投稿は約8万4000(掲載3週間時点、以下同)と、“ダブルスコア”がついてしまった。さらに天皇ご一家と比べても、夏の須崎御用邸でのご静養で陛下がラッシュガードをお召しになっているお姿などの投稿(8月27日)に55万もの“いいね”が集まっており、その差は歴然となったのだ。
ともすれば「人気投票」と化してしまうSNS。それが現実となった格好である。秋篠宮家については、毎月上旬に前月のご活動をまとめて投稿する方針だったが、これとは別に成年式の模様は当日夜から、例外的な迅速さでアップされた。悠仁さまの装束姿など、加冠の儀を中心とした投稿には約24万、宮中三殿への拝礼や朝見の儀を映した投稿には約13万の“いいね”がついた。とはいえ、当日の動きをまとめたショート動画は、130万回ほど再生されながら、“いいね”はわずか5万程度となっている。
「天皇家とは異なり皇嗣家の投稿には、秋篠宮さまのご意向もあって今後もプライベートな場面は含まれない見通しです。そもそも、更新の頻度も月1回と、決してハイペースとはいえません。これでは、慶事をきっかけに国民に悠仁さまへの親しみを持ってほしいと望まれる紀子さまのお気持ちも、なかなかかないそうにありません」(同)
評判を回復なさろうと
そもそも、秋篠宮家を巡っては、
「平成の終盤にわき起こった眞子さんの結婚騒動以来、世間から批判的な声が寄せられてきました。こうした状況下、何とかして皇嗣家の評判を回復なさろうと、ご一家内ではもっぱら紀子さまが心を砕いてこられました。とりわけ、将来のお世継ぎであられる悠仁さまの“露出”については、きわめて意欲的なご姿勢を示されてきたのです」(同)
2024年、春の園遊会に愛子さまが初めて出席され、大いに話題を呼んだ。そのことで紀子さまは、
「焦燥感を抱かれていました。愛子さまの人気が高まる中にあって“お世継ぎはあくまで悠仁さま”といったメッセージを国民へ発信なさる機会を、かねて紀子さまは模索なさってきた」(同)
今回の成年式は、そうしたアピールに絶好の機会だったといえよう。が、Instagramに表れた「格差」は、紀子さまの“ご懸念”を吹き飛ばせなかったのだ。
初の一般参賀で…
続いて、2026年年明けの1月2日、一般参賀にデビューされた際も、悠仁さまは、天皇家と秋篠宮家のコントラストに直面された。
1回目のお出ましは10時10分。ベランダに現れたモーニング姿の悠仁さまは、姉の佳子さまと寛仁親王妃信子さまとの間に並ばれた。
「最初は、やや表情が硬くて緊張気味にうかがえました。それでも、陛下がおことばを述べられた後は、笑みをたたえて参賀者に手を振られていました」(「週刊新潮」2026年1月15日号 宮内庁担当記者の証言)
一方で、現場では気になる光景が繰り広げられていたという。
「皇居正門が開門した朝9時30分の時点で、1万5000人余りの参賀者が列を作っていました。その後、東庭まで誘導されていったのですが、やはり両陛下の正面にあたる中央に陣取ろうとする人たちが多く、続いて愛子さまがお立ちになる、ベランダに向かって左側にも人が集まってきました」(前述号の「週刊新潮」 宮内庁関係者の証言)
実は、愛子さまのポジションについては年末からSNS上でも拡散されており、参賀者は、事前にこうした情報を把握した上で、陣取る位置を決めていたと思われる。
「安全の観点からも、本来は東庭のスペースに満遍なく参賀者を配置しなければなりません。実際に、警備にあたる職員からは『右へ行ってください』『右の方が空いています』といったアナウンスがなされていたのですが、なかなか人が動こうとしませんでした。正面に向かって右側というのは、これまで皇嗣家が立たれてきた位置。今回も、悠仁さまを含めたご家族が並ばれていたのです」(同)
数字には結びつかず…
開始時刻が近づくにつれ、混雑とともに参賀者はそうした偏りをなくすべく左右に割り振られていったのだが、
「1回目のお出ましが始まると、天皇ご一家には『万歳』の叫び声に交じって『雅子さま』『愛子さま』といったかけ声があちこちからわき起こりました。ですが、これに比べて初出席の悠仁さま、秋篠宮ご夫妻や佳子さまのお名前は、ほとんど飛び交っていませんでした」(同)
図らずも、天皇家と皇嗣家のコントラストがあらわになってしまったというのだ。前述の号の「週刊新潮」で、さる皇室ジャーナリストが述べている。
「今回の参賀者は合計6万140人。都心は好天に恵まれましたが、昨年から500人以上減っています。悠仁さまの“デビュー”が数字には結び付かなかった、と言わざるを得ません」
振り返れば、眞子さんの結婚騒動から続くご一家への風当たりに、紀子妃は絶えずお悩みになってきた。
「そうした悪い流れについて紀子さまは、悠仁さまの成年式を機に断ち切りたいとのお考えでした。ところが、折からの愛子さま人気に押される格好となり、思い通りには進んでいないのが現状です」(同)
世論調査の結果
一般参賀の翌月2月には衆院選が行われ、高市早苗総理率いる自民党が圧勝。これを機に、これまで停滞していた安定的な皇位継承の確保を巡る議論が再び動き出した。6月に取りまとめられた「立法府の総意」では、「悠仁親王殿下までの皇位継承への流れを揺るがせにしてはならない」ことが確認され、皇室典範改正の焦点は、女性皇族が結婚後も皇族に残ること及び、旧宮家の男系男子を養子にすることを可能にする案とに絞られたものの、議論が進む中で、世間では「愛子天皇」を望む世論が高まった。
今春から夏の調査では、読売新聞=85%、朝日新聞=72%、毎日新聞=73%、産経新聞=81%、日経新聞=84%と、全国紙でいずれも女性天皇の賛成、容認が反対を大きく上回ったのである。
将来への期待
しかし、こうして両家のコントラストが強まる一方で、悠仁さまは、着実に公務に励まれている。
この1年で「初」となる公務だけでも、初の単独での公務(万博お成り、2025年9月)、初の宮中祭祀へのご出席(秋季皇霊祭、2025年9月)、初の国事行為へのご出席(新年祝賀の儀、2026年1月)、初の宮中晩さん会へのご出席(フィリピンのマルコス・ジュニア大統領夫妻を歓迎、2026年5月)、初の公式行事でのお言葉(広島・日本スカウトジャンボリー、2026年8月)などが挙げられる。
「週刊新潮」2026年7月23日号で、パフォーマンス学の専門家はこう評価している。
「昨年9月の成年式でも『成年皇族としての務めを果たしていく』と述べられていました。その初々しいお姿は国民に好感を抱かれ、今後大きく成長されることでしょう」
宮中晩さん会での所作についても、
「成年式で窺えたぎこちなさは随分と和らいでいました。カメラを向けられながら愛子さまと笑顔で乾杯されるなど、比べ物にならないほど表情が柔らかくなっていたのがわかります」
皇室問題に詳しい大学教授も、同号の「週刊新潮」で指摘している。
「現在、愛子さまに比べて悠仁さまの露出ははるかに少ない。まだ学生なので限定的になってしまいますが、愛子さまのように広く国民に受け入れられていくためにも、いっそう国民と接する機会を増やしていくべきだと思います。それによって国民が悠仁さまにさらに親しみを覚え、将来への期待が大きくなるのだと思います」
秋篠宮家に対する逆風の中でも、着実な歩みを進められる悠仁さま。次の1年はどのような年となっていくのだろうか。
【前編】では、昨年9月6日の成年式を小室眞子さんと圭弁護士夫妻、祝宴を愛子さまがご欠席された理由について記した。姉夫婦といとこが、門出の儀式に異例のご不在となった“複雑な事情”とは--。
デイリー新潮編集部
