現役時代の井上一樹氏が漏らした「優勝争いの辛さ」とは?

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 いよいよペナントレースも大詰め。阪神タイガースと福岡ソフトバンクにマジックが点灯しました。「勝負の9月」と言われるだけに、残り30試合を切ったこれからが、まさに正念場でしょう。東海ラジオで35年間、プロ野球実況を担当した村上和宏さんは、優勝争いの最中、選手たちがどのような思いを抱いているか、長く取材をしてきました。選手たちが抱えるプレッシャーの重さ……その舞台裏を教えてくれます。

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いよいよマジック点灯

 今年もセ・リーグは阪神タイガース、パ・リーグは福岡ソフトバンクと、去年と同じチームがマジックを点灯させ、優勝へのカウントダウンが始まりました。

 前年優勝したチームが、今年も優勝争いを演じるのには様々な理由がありますが、今回はそのうちの一つ、「優勝経験」について触れます。

現役時代の井上一樹氏が漏らした「優勝争いの辛さ」とは?

 私が長年取材してきた中日ドラゴンズは、残念ながら2011年を最後に優勝から遠ざかっていますが、昔から優勝できない年数が長くなればなるほど、ある深刻な問題が出てくると言われています。

 それは「選手の経験値」です。

 この「経験値」とは、優勝できなくてもシーズン最後まで優勝争いに加わることも含みます。現在の仕組みに沿って言えば「クライマックスシリーズ進出争い」に加わることができない年数が長くなるとその問題が生じる、という表現になると思います。

 私が東海ラジオに入社後、初めて経験したドラゴンズの優勝は、第2次星野仙一監督の1999年でした。優勝は1988年(こちらは第1次星野監督でした)以来でしたから、11年ぶりの頂点でした。

 99年シーズンを取材していて感じたのは、首位で優勝争いをすることの大変さでした(この年は7月以降、首位を独走したものの8月にマジックが出てからは一進一退でした)。

 88年の優勝後、94年に当時のジャイアンツ監督、長嶋茂雄さんが「国民的行事」と表現した、史上初の同率首位同士の直接対決「10・8」など、何度か優勝争いを演じてはいましたが、頂点に立つことはありませんでした。

 今でこそ40代の選手は珍しくなくなりましたが、当時のプロ野球界は30歳の声を聞くと、そろそろ「引退」の二文字が現実味を帯びる時代でした。現役としてプレーする年数が今よりはるかに短いということは、それだけ選手の入れ替わりが多かったわけです。

「優勝争い」は選手にとって相当な負担になります。

 例えばレギュラークラスの選手が、本来なら治療に専念したほうがいいくらいの故障を抱えていても、優勝のために無理して出場を続けることはどのチームでもあり、シーズン終了後に「実はここを故障していました」と明かされます。

 以前も書いたように、半年以上に及ぶシーズンで、体に不調が全くない選手は一人もいないと言っても過言ではありません。故障とどのように付き合いながら試合に出続けるかが、選手に課せられた命題となります。

想像以上の「優勝のプレッシャー」

 体の問題以上に選手の負担になるのが、優勝争いの「プレッシャー」です。

 負けられない試合が毎日続く中で、パフォーマンスを維持することがいかに難しいかを99年の優勝争いを取材しながら痛切に感じました。

 一つ一つのプレーが持つ重みが格段に上がるからです。一つのエラー、バント失敗、送球ミス……記録上はシーズンの数字の一つですが、同じエラーやバント失敗でも、負けられない試合では優勝争いに大きく影響します。

 また、ピッチャーが点を取られる、バッターがチャンスで打てないという、野球では当たり前のことも優勝争いの中ではその持つ意味が違ってきます。

 特に優勝マジックが一桁になってからのプレッシャーは相当なもので、1点の重みが一気に高まります。そうした状況下で、自身の持つ力を発揮するには強い精神力が求められます。プレッシャーと闘いながら集中力を高め、最高のパフォーマンスを引き出すことがいかに大変か、優勝後のインタビューでは、どの選手も異口同音に語っていました。

 このような経験を経て優勝を勝ち取った選手たちは、優勝することがいかに大変か、難しいかを身をもって感じ、それを克服した自信と充実感を得るのです。

 これこそが「選手の経験値」です。

 優勝争い、あるいはクライマックスシリーズ進出争いのプレッシャーを経験できていない選手は、実際にそのプレッシャーと向き合うことになった時、どのようにそれを克服するかのすべを知りません。ゼロから自分で学んでいくしかないのです。

 だからこそ「優勝経験者」の存在が重要になります。どう向き合えばいいのかわからない選手に、自分の経験からアドバイスができるからです。チーム内に優勝経験者が多ければ多いほど、チームとしてのプレッシャーとの闘いが有利になります。

 ドラゴンズの場合、1999年の優勝時、88年の優勝経験者は現役ではほとんどいませんでした。大半の選手が手探りでプレッシャーと闘いました。この年は星野監督だったからこそ、そのような選手たちを鼓舞し、チームをまとめて優勝に結びつけたのかもしれません。これについてはまた別の機会に触れたいと思います。

 このような理由から、前年に優勝したチームは「経験値」を生かして翌年のシーズンを戦います。もちろん戦力が揃っているからですが、その戦力を遺憾なく発揮するすべを知っているのです。

別のプレッシャーも

 余談ですが、1999年の優勝時、ドラゴンズの選手たちには、今では考えられない別のプレッシャーがありました。

 当時はまだ、巨人戦が全国ネットでほぼ毎試合生中継されていた時代でした。ニュース番組でも、プロ野球に関しては巨人戦中心で、巨人ファンが全国にあふれていました。この年は巨人との優勝争いだったのですが、現監督の井上一樹選手(55)が優勝後のインタビューで語った言葉が忘れられません。

〈優勝に向けてどれだけ頑張っても、ニュースを見れば「巨人が逆転優勝するには」とか「巨人が勝って中日とのゲーム差を縮めた」とか、巨人ばかりが主語になっている。俺たちは優勝してはいけないのかと思うほど、巨人の優勝をみんなが願っているように感じていた。中日は完全に敵役扱い、それがとても悔しかった。〉

 今のニュースのスポーツコーナーといえば、大谷翔平(32)所属のロサンゼルス・ドジャースが中心で、日本のプロ野球は序列としてかなり下の方になってしまいました。今の選手は当時の井上選手が感じたようなプレッシャーが少ない分、まだマシと言えるかもしれませんね。

村上和宏(むらかみ・かずひろ)
フリーアナウンサー。1967年、広島県出身。専修大学法学部卒業後、91年に東海ラジオ放送入社。制作局アナウンサーとして、主にスポーツ実況を担当。2025年の退社まで、プロ野球をメインに多くの番組制作に携わった。現在、バンテリンドームナゴヤのDAZNドラゴンズ戦実況、「プロ野球ニュース」(フジテレビONE)などに出演中

デイリー新潮編集部