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去る4月29日、佐藤愛子さんが102歳で逝去されました。ふりかかってきた苦難にはまっすぐ対峙し、怒りとユーモアで自らを鼓舞。世の不条理には堂々と立ち向かう。作家の鋭い感性から生まれ出た真摯な言葉をご紹介します。

【漫画】孫が綴る佐藤愛子さん102歳の姿

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人には「慣れる」という
有難い力が与えられている。
それから「忘れる」という力も。
もしも私がこの二つの能力を人よりも多く与えられていなかったら、私の人生は悲惨の見本みたいなものになっていただろう

(『幸福とは何ぞや 増補新版』)

全部失ってごらんなさい。どうってことありませんよ。私はすべて失ったうえに借金まで背負いこんだけれど、不幸だと思ったことはない。
むしろ元気が出ましたよ、
ヤケクソの元気が。
どんな境遇になっても平気でいられる、そういう人間になることが一番の幸せじゃないですか

(『気がつけば、終着駅』)

もし、誰かに、あなたの人生でひとつ満足だったことは?と問われたら、
私は「苦しいことから
逃げなかったことです」
と答えるでしょう

(『幸福とは何ぞや 増補新版』)


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私は攻撃的な人間ですから、平和な時代には滅んでいく種族だと思うのです。でも困難が訪れたとき、
これらの欠点が戦う刃になった。
大きな欠点が、現実のあり方によっては美点にもなるし、またその逆もある。だから人間を簡単に頭から決めつけるものじゃないんですよ

(『気がつけば、終着駅』)

五十年前は古い日本人の
精神性というものが
まだいくらか残っていた。
何が美徳か、美しい行いとは何かを子どもに教える大人がいました。でも今は美徳を教えないで、損得を教えるようになっていますね

(『百一歳。終着駅のその先へ』)

人生は安泰でなくとも、たとえ波瀾続きであっても面白いものだし、それなりの生き方が必ずあります。不如意なことは力が出るチャンスです。
幸福とは何か? いい時も悪い時も
腐らず怨(うら)まず嘆かず、
どんな時でも平然としていられる
ことだと私は思っています

(『幸福とは何ぞや 増補新版』)

欲望が涸れていくということは、
らくになることなのだ。
それと一緒に恨みつらみも嫉妬も心配も見栄も負けん気も、もろもろの情念が涸れていく。それが「安らかな老後」というものだと私は思っている

(『気がつけば、終着駅』)