何かを批判するときに気をつけたいポイントとは(写真/イメージマート)

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 マンガにせよ小説にせよ、どんな作品だって支持する人がいれば批判する人もいます。誰しも好きな作品もあれば気に食わない作品もあります。世の中に発表された作品が、いろんな意見を言われるのは仕方ありません。そして、自分が読んだ作品に対して、どういう感想を抱くかは自由です。批判するのも自由です。

【写真】『みいちゃんと山田さん』アニメ化決定、炎上騒動後の製作委員会のコメント。他、アニメ化決定後の原作者のコメントなども

 どこからも誰からもまったく批判されないのは、作品にとって「不名誉」なことと言っていいでしょう。心を揺さぶる力を持った作品は、多くの人に感動を与えたり考えさせてくれたりするいっぽうで、批判や反発も付きものです。「どこからも批判されないこと」を重視して作られた無難な作品なんて、間違いなく面白くも何ともありません。

 マンガ「みいちゃんと山田さん」(作・亜月ねね、講談社)をめぐる議論が、おもにネット上で盛り上がっています。歌舞伎町のキャバクラで出会ったみいちゃんと山田さん。ふたりはそれぞれの困難を抱えつつ、ひどい目にも遭いつつ、不器用に生きていきます。

 2024年9月にマンガアプリ「マガポケ」で連載がスタート。夜の街の現実や発達障害、毒親など、難しくて重い問題に果敢に切り込んだ内容で人気を集め、累計発行部数300万部(紙+電子)を越える大ヒット作になります。連載は終了しましたが、自分自身を顧みたりいろんなことを考えさせてくれたりする「とてもためになる面白いマンガ」でした。

 この作品を取り巻く状況が大きく変わったのは、7月下旬に「2027年のアニメ化」が発表されてからです。アニメ化を危惧する声や作品に対する批判的な声があちこちから上がり、一種の炎上状態になりました。ひと月以上たった今も、まだ燃え続けています。

「批判する気持ちよさ」に溺れて身を持ち崩さないためのポイント

 繰り返しになりますが、読んだ作品にどんな感想を抱くかは自由だし、批判するのも自由です。いっぽうで、忘れたくないのが「批判という行為の怖さ」。何かを批判するのは、けっこう気持ちがいいものです。その気持ちよさに溺れると、気が付かないうちに困ったヤツになってしまったり、みっともない姿をさらしたりしかねません。

「みいちゃんと山田さん」の内容やアニメ化を批判している人のほとんどは、それぞれの思いや信念があってやってらっしゃるのでしょう。大いにけっこうなことです。ただ、この作品がらみに限らずですが、張り切って批判に精を出している人の中には、気持ちよさに溺れているように見える方が少なくありません。

「批判」という大切で意義のある行為を悪用しないために、その気持ちよさに溺れて身を持ち崩さないために、何かを批判するときに気をつけたいポイントを考えてみましょう。

 何はさておき、批判のための最低条件は「作品を読むこと」。当たり前といえば当たり前ですが、ほかの人の批判に調子を合わせて、読まずに批判している人もちらほら。たいていの場合は、本人の得意気な様子とは裏腹に、的外れな意見をドヤ顔で披露して恥をさらしていらっしゃいます。

 根っこは似た感じですが、ハナから「批判する」という目的ありきで作品を読むのも危険。「今はこれを批判するのが流行りだから、ツッコミどころを探してやろう」と思いながら読んでも、その作品の魅力は味わえません。世の中の風向きを察知しつつ悪口のネタを拾おうとするのは、イジメっ子と同じです。やればやるほど性格が悪くなって、どんどん気持ちがささくれ立っていくでしょう。

 また、自分は気に食わなくても、その作品を好きな人やその作品で救われた人はたくさんいます。そこに目を向けず、何の迷いもなく「正義は我にあり」と思って攻撃的になるという落とし穴もあります。ひとつ間違えると罵詈雑言をぶつける快感が癖になって、常に攻撃する対象を探さずにはいられない困った体質になるかもしれません。

大前提は「どんな作品もいろんな見方がある」

 たとえば、あるマンガに対するこの批判を読んで、どう感じるでしょうか。

「主人公がとことん他力本願で、泣きつけば何度でも助けてもらえると思っている。自分は特別な恩恵を受けるのが当たり前という認識で、ろくに感謝もしないし学習して成長しようという姿勢も見えない。しかも、話の展開は荒唐無稽で現実味がない。こんな物語を子どもに読ませるのは、どう考えても教育上よくない。焚書にすべし!」

 お察しのとおり、猫型ロボットが出てくる国民的なマンガについての「批判」です。「こういう言い方もできなくはない」という例として、無理に書いてみました。

 多くの人は「くだらない」「悪意に満ちたこじつけだ」「作品を冒涜するな」と感じたのではないでしょうか。ただ、作品を批判するという行為には、同じ構図が当てはまる可能性が常にあります。世間の空気や一時的な感情に振り回されて、ある作品を「ケシカラン!」と声高に責め立てるのは、軽率かつ傲慢な姿勢に他なりません。

 自分の頭で考えて「この作品はよくない」「こういう問題点がある」と批判するのは、とても素晴らしいことです。ただ「どんな作品もいろんな見方がある」「善悪や正誤の判断なんて簡単にはできない」という大前提を忘れてしまうと、ひとりよがりだったり何かの尻馬に乗ってしまったりして、説得力のある批判にはならないでしょう。

 以上、作品の批判という楽しくも危険な行為一般について、僭越ながら警鐘を鳴らさせていただきました。特定の作品を取り巻く昨今の状況とは、関係ないと言えば関係ないし、関係なくもないと言えば関係なくもありません。お互いに気をつけましょう。(コラムニスト・石原壮一郎)