治療費が年50万円かかっても年金を我慢し続けた…2年で貯蓄460万円が消えた70歳男性の"大誤算"

■1年我慢すれば8.4%増、5年だと42%増
年金の繰り下げ受給とは、受給年齢の65歳から「老齢基礎年金」や「老齢厚生年金」の受給開始を遅らせて、受け取る年金の額を増やすことをいいます。受給開始を遅らせた月数ごとに年金額が0.7%ずつ増額率が加算されます。
増額率=繰り下げ月数 × 0.7%
繰り下げ受給には上限年齢があり、2022年(令和4年)4月から75歳まで引き上げられたことで、最大で84%まで増やすことが可能となりました。参考に65歳時点での年金月額16万円のケースで、繰り下げ受給でどのくらい増えるのかを一覧にまとめました。(1年単位)

図表1を見ると、繰り下げたほうがより多くの年金額が受給できるため、大変お得のように感じますね。物価高が高齢者の生活を直撃していますが、年8.4%の増額率は老後の生活に大きな助けとなります。
ですが、繰り下げ受給には注意点もあります。
■繰り下げ受給で「損をする」落とし穴
繰り下げ受給を選択しても加給年金や振替加算は増額の対象になりませんし、繰り下げ待機期間(年金を受け取っていない期間)中は、加給年金額や振替加算を受け取ることができません。ですから、加給年金額も考慮してシミュレーションを行い、繰り下げるべきかどうかを判断しましょう。
加給年金とは、厚生年金の加入期間が原則20年以上ある人で、生計を維持する配偶者や子がいる場合に、その老齢厚生年金に上乗せして支給される年金です。ですから、厚生年金の加入期間が20年なければ受給できません。
なお、老齢基礎年金と老齢厚生年金は別々で繰り下げができますので、老齢基礎年金だけを繰り下げて、老齢厚生年金のみ65歳から受給すれば、加給年金を受給することが可能となります。
自営業者の場合、国民年金基金に加入している人もいるでしょう。国民年金基金には老齢基礎年金のような繰り下げ受給の仕組みはなく、原則として65歳といった決められた年齢から受給を開始します(※)。つまり、繰り下げによる増額はありません。
老齢基礎年金は繰り下げを選択しても、国民年金基金は決められた年齢に到達した時点で請求を行い、受給をスタートすることになります。
※加入している型によっては60歳から受給が始まるものもあります。

■5年我慢して年金額を増やすはずが…
年金を受給せず繰り下げている間(繰り下げ待期期間)に亡くなってしまい、「年金を1円ももらえずに亡くなってしまった」とか、長い期間待ってやっと繰り下げ受給を開始したにもかかわらず間もなく亡くなってしまい「繰り下げ受給なんかしなければよかったのに」と遺族などが後悔するケースもあります。
また、生きている間に繰り下げしたことで損することもあります。
まず、70歳まで繰り下げ予定で待機しているAさんが、69歳で亡くなったケースをご紹介します。
Aさんは、途中で繰り下げを取りやめて65歳時点の年金を受け取ることもできましたが、「70歳まで繰り下げれば得になるはず」と考えて繰り下げを続けたため、結果的に年金を1円も受け取らないまま亡くなりました。
しかし、Aさんの遺族は請求することで、「未支給年金」を受け取ることができます。
「未支給年金」とは、本人がもらえるはずだった年金を遺族が最大5年分をまとめて受け取れる仕組みです。亡くなる前に入院などで医療費がかかってしまった場合、遺族にとってはとても助かる制度です。
■だれも増額分の恩恵を受けられなかった
このAさんのケースの場合、遺族が受け取れるのはAさんが65歳〜69歳(亡くなるまで)の年金額となります。
ただし、未支給年金は繰り下げしても増えることはありません。あくまでも65歳時点の年金額をもとに計算されることになります。
Aさんの65歳時点の年金額は年間約190万円(月約15万8000円)でした。そのため、65歳から69歳までの4年間に本来受け取れたはずの年金は総額約760万円になります。
未支給年金として遺族が受け取れるのはこの760万円のみで、繰り下げによる増額分(70歳時点で+42%相当)は反映されません。繰り下げによる増額は「70歳以降に生存して受給を続けた場合」に限られるため、Aさんも遺族も増額の恩恵をまったく受けられませんでした。
なお、繰り下げ受給の待機期間が5年を超えている場合、年金の時効は5年となっていますので、未支給年金としてもらえる年金は、さかのぼって最大5年分です。
また、未支給年金は「事実婚」関係であった配偶者も請求できます。未支給年金の詳しい相談や請求は、最寄りの年金事務所または街角の年金相談センターを利用してください。
■増額したい欲が生活費を圧迫させてしまう
繰り下げ期間中に医療費が急増し、無理して繰り下げを続けた結果、貯蓄を大きく取り崩してしまうケースもあります。

68歳でがんが見つかり、治療費が年間50万円ほどかかるようになったBさん。本来であれば繰り下げを取りやめて翌月から年金を受け取ることができましたが、「できるだけ多く受け取りたい」と思い、繰り下げを続けてしまいました。
Bさんの65歳時点の年金額は年間約200万円(月約16万6000円)でした。繰り下げ待機中はこの年金を受け取れないため、生活費と治療費(年間約50万円)をすべて貯蓄から捻出する必要がありました。
例えば、生活費が月15万円(年間180万円)かかっていた場合、治療費と合わせて年間230万円を貯蓄から取り崩すことになります。70歳まで繰り下げを続けた2年間で約460万円の取り崩しとなり、繰り下げによる増額分(月+約3万円相当)を回収する前に家計が大きく圧迫されてしまいました。
繰り下げ受給は、状況が変わればいつでも取りやめて翌月から受給開始できます。損するケースの多くは、「繰り下げ期間中に支出が急増したのに、取りやめの判断が遅れた」という点が共通しています。
■医療費+介護費で最低200万円は準備を
老後期間の後半は、医療や介護で大きなお金のかかる期間です。この期間のために繰り下げ受給で年金を増やしておくこと自体は非常にメリットがあります。

厚生労働省「生涯医療費(令和5年度)」によると、1人当たりの生涯医療費は2966万円で、そのうち65歳以降の医療費は1633万円(生涯の55%)を占めます。自己負担は年齢により異なりますが、後期高齢者では約8%、後期高齢者以前では19.1%とあるため、老後の医療費の自己負担は130〜300万円程度が目安となります。
また、厚労省「介護給付費等実態統計(令和6年度)」によれば、介護サービスの平均費用は月20万6300円。自己負担は1〜3割のため、月2〜6万円程度の負担が平均的なレンジです。
介護期間の平均(約5.5年)を踏まえると、介護の自己負担総額は130〜400万円程度が一般的です。

老後は何が起こるかわかりません。繰り下げ受給の待機期間中に、医療や介護で資金が必要になった場合、申請をすれば翌月分から年金は受け取れますので、生活に余裕があるのであれば「とりあえず繰り下げ受給」を選択しておいて、必要に応じて受給を開始するようにしておくのもいいでしょう。
■まとまった金額が必要な人向けの「特例」
さらに、「特例的な繰下げみなし増額制度」というものもあり、繰り下げ待機中に過去にさかのぼってまとめて年金をもらうことも可能です。
ただし、こちらもさかのぼれる期間は「5年分まで」という決まりがありますので、ご注意ください。
例えば、72歳まで年金受給しなかった人が過去5年分を一括請求する場合、5年前に繰り下げの請求があったものとみなして、増額された年金を5年分一括で受け取ることができます。
つまり、72歳時点の増額分(+58.8%)ではなく、5年前の67歳時点での増額分(+16.8%)で計算された5年分の年金額と、翌月からも67歳時点での増額分(+16.8%)での年金月額を今後生涯受け取ることになります。
過去分を一括受給しても、過去の年分にさかのぼって課税・修正申告・延滞税が生じることはありませんが、一括で受け取った年の所得として、その年分にまとめて課税されることになりますので、ご注意ください。

■一目でわかる繰り下げ受給に向いている人
図表4の繰り下げ判断チェックリストで確認してみましょう。チェックマークが多いほど、繰り下げ受給に向いています。チェックマークが少ないと、生活費が枯渇してしまうリスクがありますので、年金の受給開始時期などを検討しましょう。

老後の生活の予測は難しいですが、いずれにせよ、キャッシュフロー表を作成するなどして、老後の生活に余裕のあるかどうかを判断し、受給開始時期を決定するようにしましょう。

年金の繰り下げ受給は、「長生きすれば得」という単純な話ではありません。大切なのは、老後の支出がどのタイミングで増えるのか、そして繰り下げ期間を無理なく過ごせるかどうかです。
繰り下げは、状況が変わればいつでも取りやめて翌月から受給を開始できます。さらに、必要であれば過去5年分まで一括で受け取ることも可能です。制度は柔軟に設計されていますので、「とりあえず繰り下げておく」という選択も十分に現実的です。
高齢化問題が大きくなる日本では、老後の医療費・介護費は確実に増えていきます。だからこそ、受給開始時期をどうするかは、人生の後半を左右する大切な判断です。
今回のチェックリストを参考にしながら、ご自身の生活設計に合った受給開始時期を選んでいただければと思います。
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川淵 ゆかり(かわぶち・ゆかり)
ファイナンシャルプランナー
川淵ゆかり事務所代表。1級ファイナンシャル・プランニング技能士。国立大学行政事務(国家公務員)後にシステムエンジニアとして、物流・会計・都市銀行などのシステム開発を担当。その後FPとして独立し、ライフプランやマネープランのセミナーのほか、日商簿記1級、CFP、情報処理技術者試験の合格経験を活かして、企業や大学での資格講座・短期大学や専門学校での非常勤講師としても勤める。
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(ファイナンシャルプランナー 川淵 ゆかり)
