レーンを見つめる尾見支配人。長い歴史とたくさんの思い出がにじむ

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歌舞伎町から、またひとつ昭和の風景が消える。
2026年9月末、歌舞伎町の老舗ボウリング場「新宿コパボウル」が営業を終了する。

約55年という長い歴史の中で、この場所には学生、会社員、家族連れ、観光客、夜の街で働く人々など、実にさまざまな人が訪れてきた。

歌舞伎町はすっかり安全な街に

かつて歌舞伎町は「怖い街」「近寄りがたい街」とも言われたが、現在では映画館やライブハウス、商業施設が並び、若者や外国人観光客も訪れる街へと変化した。

その変化を長年見続けてきたのが、新宿コパボウルの支配人を務める尾見大輔さん(51歳)だ。1998年、新入社員として同店に配属され、現在まで歌舞伎町とボウリング場の変遷を見てきた。

◆やむを得ない理由で閉店が決定

「まさか自分が最後を締めるとは思わなかった」

今年7月、新宿コパボウルの閉店がSNSで発表された。理由は、同店が入居する「ヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町」が老朽化に伴い建て替えられるためだ。

発表後には利用客から惜しむ声が寄せられた。

「立地やコンセプト的に常連さんが多い店ではないのですが、数少ない常連さんから『寂しい』という声もいただきました」

テレビや新聞などからの取材も相次いだ。そのきっかけの一つとなったのが、TBSの安住紳一郎アナウンサーの発言だ。安住アナはラジオ番組で「金曜夜の新宿コパボウルは集中力が鍛えられる」と語るほどの愛好者として知られる。

「金曜日の夜なんて、本当にうるさいんですよ(笑)。酔っ払いの声が飛び交う中で投げる。逆にそれが集中力を鍛えるには最高の環境なんです」

週末の夜には隣のレーンから歓声が飛び、酒を飲みながらボウリングを楽しむ客も多い。競技性よりも、誰もが気軽に楽しめる娯楽施設として親しまれてきた。

尾見さんにとっても、新宿コパボウルは社会人としての原点だ。

「1998年に大卒で当時新宿コパボウルを運営していた会社に入社して、最初の配属先が新宿コパボウルだったんです」

その後、別の店舗を経験し、新宿コパボウルの運営会社も変わったが、約15年前に再び戻ってきた。

「まさか自分がこの店を閉めることになるとは思っていませんでした。歴代の支配人がいる中で、自分が最後になるというのは感慨深いですね」

◆30年前、歌舞伎町には「熱気」があった

尾見さんが働き始めた1998年の歌舞伎町は、現在とは大きく様子が違ったという。

当時はコマ劇場やミラノ座、飲食店、ボウリング場など、さまざまな娯楽施設が集まっていた。新宿コパボウルがある4階までエレベーターで上がると、多くの客で熱気に包まれていたという。

一方、2000年代初頭には東京都の石原慎太郎知事(当時)が「歌舞伎町浄化作戦」を掲げ、違法営業や反社会的勢力の排除を進めた。街の姿も徐々に変わっていった。

「25年ぐらい前は反社会的勢力の方も多くいました」

当時、新宿コパボウルではボール販売も行っていた。

「小指や薬指がない方もいて、3本の指で投げられるように特殊な開け方をしたこともありました」

トイレに注射器が落ちていることもあったという。

「スタッフが掃除中に誤って触ってしまって、病院で検査したこともあります」

ただし尾見さんは、当時を単純に美化するつもりはない。

「昔は怖さやディープさがありました。でも今は誰でも来やすい街になったと思います」

◆映画館が変えた街並み…境界線が消えた

歌舞伎町が変化するきっかけの一つになったと尾見さんが考えているのが、2015年に開業したTOHOシネマズ新宿だ。

「TOHOシネマズができたことは大きかったと思います」

かつて新宿コマ劇場があった場所に映画館ができたことで、歌舞伎町を訪れる層も変わったという。