「45歳で念願のグラビアアイドルデビュー」――。胃がん闘病を公表している不破梨衣さん(49)の半生は波乱に満ちている。20代での挫折、離婚、極貧ワンオペ子育てからの看護学校通い、そして38歳でのご当地アイドルデビューと突然の解雇宣告……。「巨乳じゃないから」と夢を断たれた少女が、なぜ45歳で水着になったのか。波乱の半生を振り返る。

 【画像】20歳の娘との双子コーデを披露する不破梨衣さん(49)


不破梨衣さん

【不破梨衣(ふゎりぃ)略歴】
28歳:結婚。年子を出産。元夫の豪遊・姑からの過干渉で離婚し鬱病に。
31歳:2人の子どもを抱え看護学校に入学(34歳で看護師資格取得)。
37歳:再婚。
38歳:岐阜県のご当地アイドルとして活動開始(1年未満で脱退)。
39歳:別のグループでアイドル活動を再開。
45歳:長年の夢だったグラビアアイドルへ挑戦。
48歳:スキルス胃がん(ステージIII)と診断され、胃を全摘出。

◆◆◆

会社から突き放された過去

――45歳でグラビアアイドルになる不破さんですが、それ以前も芸能のお仕事をされていましたよね。

不破 そうですね。もともと憧れはあって、友人と8mmフィルムの映画を自主制作したり、名古屋のローカル番組のオーディションを勝ち抜いてデビューしたり、いろいろやっていました。

――なかでも、グラビアは憧れだったとか。

不破 中学時代から、青年誌を読んでいたんです。巻頭グラビアの女の子たちが可愛くて眩しくて、きれいな海辺をバックに写真が撮れて「いいなぁ」とずっと思っていました。22歳の頃、名古屋でアイドルをやっているときも、グループが解散になって私だけが会社に残ることになり、最終的に「グラビアに挑戦したい」と申し出たことがあるんです。でも、会社から断られました(笑)。

――なぜでしょう。

不破 会社は「巨乳じゃないから」と言ってましたね。たしかに、当時は「グラビア=巨乳」という方程式がありましたから。私は不適格とされたんです。

「カジノで遊ぶ元夫」と「シャワーで怒る姑」

――その後は、ご家庭を築かれますよね。

不破 はい。28歳のときに結婚しました。相手は、私が名古屋のローカルラジオ局に出演していたときに知り合った男性で、会社員の傍ら音楽イベントを企画する仕事をしていた人でした。

――結婚生活はいかがでしたか。

不破 現在19歳と20歳になる子どもにも恵まれましたが、結婚生活自体は2年ほどで破綻して、30歳のときには子どもを連れて実家に帰ることになりました。

――離婚の原因は何だったのでしょうか。

不破 会社員だった元旦那は、結婚してから起業したんです。ビジネスは成功し、多忙を極める生活が始まりました。「0歳児と1歳児という、年子の幼い子どもたちをひとりで育てるのは辛いだろうから」と、私は子どもを連れて元旦那の実家に身を寄せることになったんですが、元旦那は「忙しい」を理由に滅多に帰ってこなくなりました。

 電話をしてもつながらない。たまにつながると「海外にいる」「これからカジノで遊ぶ」「ヨットを購入しようと思う」と豪遊しているんです。一方で私は、子どもたちを送り迎えして汗びっしょりになったからシャワーを浴びただけで「水道代がもったいない」と姑に咎められる生活を送っていました。好きで結婚をした人だったけど、このまま一緒にいたら精神がもたなくなると思って、離婚を決断しました。実際、うつ病にも罹患してしまいました。

――うつ病を発症するほど追い詰められていた当時、どのような状況だったのでしょうか。

不破 生活費として16万円ほど渡されていましたが、遅れることもあり、ガス代や電気代の支払いができないこともあって……。元夫の実家の縁側に座って「私って不幸だな、いつかこの境遇から抜け出したい」とぼんやりすることが増え、酒量も増えていましたね。「いのちの電話」にかけて相談したこともあります。 

――そのような状況から、おひとりで2人のお子さんを育てることになる。

不破 実家の両親や5つ下の弟がすごく子どもたちを可愛がってくれて助けられました。ただ、子育ての主体は私ですから、「どうやって安定した収入を得るか」を考えて、看護師になろうと決めたんです。

看護学校と育児の両立に励んだ3年間

――31歳で看護学校へ。同期は年齢がひと回り近く下の人もいると思います。

不破 高校卒業と同時に入っている同期とはそのくらい離れていましたね。ただ、子どもと同期と一緒に旅行に行ったこともあるし、みんな非常に温かく受け入れてくれました。私はデザイン系の大学を中退しているので、看護学校が第2の青春だでしたね。

――育児と通学の両立は相当ハードだったのでは。

不破 楽ではなかったですね。5時半に起きて、子どもたちの朝ごはんを作って食べさせて、保育園に送り届けるのが8時前くらい。看護学校の授業は8時半に始まってだいたい16時半に終わります。その後、急いで保育園に向かってピックアップして、お風呂や夕飯を済ませます。だいたい寝かせるのは21時くらいだったでしょうか。それから24時までは授業の復習にあてていました。

 病院実習があったときは、日付が変わるまで勉強していました。土日のどちらかは溜まっている家事をやり、どちらかは勉強ですね。もちろん、子どもたちと公園で遊んだりもします。これが3年間続くので、結構ハードでしたね。

38歳で“ご当地アイドル”デビュー

――34歳で看護師資格を取得し、働き始めた不破さんですが、38歳で岐阜県のご当地アイドルになりますよね。経緯を教えてください。

不破 37歳で再婚した旦那がきっかけです。岐阜で事業を営む人だったので引っ越したんですが、彼の会社の知り合いに「0歳から100歳まで」を掲げるアイドルプロデューサーがいて、加入することになりました。

――看護師として働きながらですか。

不破 再婚してからはナースバンクに登録して、遠足の添乗員など期間限定のパートで働いていたので、看護師として働きながら、ではありますね。でも、そのご当地アイドルも1年未満で脱退することになるんです。

――何があったのでしょう。

不破 プロデューサーとは年齢が近く、芸能をかじっていた私から意見をされるのが煙たかったのかもしれません。「グループをやめてほしい」と言われたときにいろいろと理由を聞いてみたら、「本当は、若い娘と楽しくやりたいんだよ!」と言われました(笑)。それなら最初からそう言ってほしかったですよね。いなくなってほしいと思われながら活動するのも嫌なので、卒業公演をすることを条件に脱退しました。

――そのあと、また別のアイドルプロデューサーからすぐに声がかかる。

不破 そうですね、39歳からまたアイドルとして活動させていただけました。本当にいろいろな媒体に出させてもらって、幸運でした。ただ、45歳のときに「グラビアアイドルをやるか、今のアイドルを続けるか」の選択を迫られて、私はグラビアを選ぶことにしたんです。

「子どもの学費のために正社員看護師」「衣装代は自腹」…胃がん全摘を経験した不破梨衣(49)が明かす“40代アイドル”の“過酷なリアル”〉へ続く

(黒島 暁生)