武田一義さん(C)日刊ゲンダイ

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あの人は今こうしている】

第2次世界大戦を3等身アニメで再検証する戦争映画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」

 武田一義さん(漫画家/50歳)

 広島、長崎、沖縄など、例年8月は、先の大戦で多くの日本人が犠牲になった地に注目が集まる。南洋のパラオ・ペリリュー島も、派遣された兵士約1万人のうち34人しか生き残れなかったほどの激戦地だった。2016年から漫画「ペリリュー─楽園のゲルニカ─」(白泉社)でその悲惨さを描き、昨年12月にはアニメ映画も公開され話題になったが、作者の武田一義さんが今思うことは──。

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 武田さんに会ったのは、西武新宿線・新所沢駅近くの喫茶店

「『ペリリュー』は漫画を描き始めたとき、中高生よりさらに年齢が下の子たちにも読んでもらいたくて、登場人物を3頭身にするなど親しみやすい絵柄にしました。アニメ化で、より多くの子どもや若い人たちに作品を知ってもらえました。今、世界では戦争が次々と起こっていますが、『日本への影響は』とか『経済はどうなる』といった大きな視点で語られることが多く、実際の戦場にいる兵士の姿は想像しにくい。『ペリリュー』では彼らを、僕らと同じ感情や個性をもった人間として描いているので、『戦争を“自分ごと”として考えられるようになった』という感想をたくさんいただき、本当にうれしいです」

 武田さん自身、戦争を知らない世代。体験者の話や資料、現地などで取材をしながら原作漫画を描いた。アニメの脚本も共同執筆し、5年かけて公開に至ったという。

「漫画のほうは『外伝』含め全15巻あり、約2時間の映画にする難しさがありました。年齢制限の指定がかからないよう、あまり残酷なシーンはカットするなど工夫して、仕上がりには100%満足しています。漫画連載中、『参考になれば』とわざわざ連絡をしてきて話を聞かせてくれた生き残りの方もいて、そうした話も反映させながら、漫画ではもっと戦場のリアルな日常を描いているので、映画を見た人には、ぜひ漫画のほうも読んでもらいたいですね」

 残酷な戦争の現実だけでなく、さまざまな人間ドラマを描いた漫画「ペリリュー」は、170万部と大ヒット。武田さんは講演やトークショーを行いつつ、新作を構想中だ。

「ペリリュー以外の戦争ものを描きたいと考え、本や資料を探して目を通したりしています。もともと戦争漫画を描きたい、と思って漫画家になったわけではなく、『ペリリュー』を描いたのは出版社からきっかけをいただいたからではありますが、僕はデビュー作で自身の闘病記を描いたように、漫画で“異常な状況での日常”“生と死”をテーマに描きたいと思っていて、戦争についてはもっと描きたいという思いが今も続いています」

■デビュー作はがんの闘病記

 そう、武田さんのデビュー作「さよならタマちゃん」は精巣から肺に転移したがんの闘病記だった。今の体調は?

「まったく問題ありません。でも、再発リスクが高いといわれる5年を過ぎた今も、年1回、“お守り”のような気持ちで検査を受けています。あと、体が資本なので徹夜は極力せず、1日7、8時間睡眠を心がけ、1日3食とるなど、わりあい規則正しい生活を送っています」

 次回作が楽しみだ。

 さて、北海道で両親、3人きょうだいの5人家族の長男として生まれた武田さんは、高校卒業後、おもちゃ屋などでアルバイト生活を送った後、28歳のとき一念発起。漫画家になろうと上京した。現在は埼玉県内で、4歳年上の漫画家・森和美さんと、パグとヨーキーのミックスの保護犬と暮らす。

「妻とは北海道の同人誌即売会で知り合いました。28歳で結婚し、一緒にアテもないまま上京したんです。僕は漫画家奥浩哉先生のアシスタントになり、妻は主婦をしながら漫画家を目指し、15年に『エシカルンテ』という作品でデビューしました。2人とも夢をかなえたから良かったですが、今思えば、若いからできたんでしょうね(笑)。妻は、今は僕の漫画の共同制作者として、ストーリーの細かいエピソードを一緒に考えたり、絵の得意な部分を描いたりして、助けてくれています」

 夫人と犬を散歩する時間に癒やされる日々だ。

(取材・文=中野裕子)

▼武田一義(たけだ・かずよし)1975年8月19日北海道岩見沢市生まれ。03年上京。12年、「さよならタマちゃん」(講談社)でデビュー。16年から「ペリリュー―楽園のゲルニカ―」(白泉社)の連載を始め、翌17年、第46回日本漫画家協会賞優秀賞受賞。26年、第30回手塚治虫文化賞特別賞受賞