大学中退19歳で出産「ヤンママ認定された」女性が生活苦で猛勉強。翌年には大学再受験、薬剤師になった「不屈の精神」
2021年に開催された東京パラリンピックにおいて、パラサイクリング女子個人ロードレースで金メダルを獲得した杉浦佳子さん。実は、大学在学中の18歳で出産と大学中退を経験しています。その後、不屈の精神で別の大学を再受験し、見事合格。その背景には、大学生の夫と無職の妻、幼子の3人暮らしのなかで感じた「限界」がありました。
【写真】「本当にママ!?」19歳で北里大学薬学部に入学し、1歳児の子育てと勉学を両立していた頃の杉浦さん(11枚目/全11枚)
大学1年で妊娠し出産を決意「ヤンママ認定されて」
── 静岡の高校を卒業後、仙台の薬科大学に進学したものの、大学1年の18歳のときに妊娠がわかったそうですね。
杉浦さん:はい。実家は曾祖父の代から続く薬店でした。母や祖母が働く姿を見て育ったので、私も自然と薬剤師を目指すようになって。地元の静岡には私立の薬学部がなかったので、仙台の大学に進学しました。
ところが、大学に入学した年の8月に18歳で妊娠したんです。せっかく授かった命ですし、産み育てる以外の選択肢は私にはありませんでした。結局、その年の年末に退学を決め、19歳で出産。親不孝ですよね…。
── かなり大きな決断だったと思います。お相手はどういった方だったのですか?
杉浦さん:高校の同級生です。彼は東京の大学に進学していたので、遠距離恋愛でした。高校の先生に報告したらすごく怒られて。「せっかく大学に進学したのに、すぐ辞めるのか」って。すぐに退学すると出身校のイメージが悪くなることを後から聞いて。当時はただただ「迷惑をかけたみなさんに申し訳ない」という気持ちでした。
── ご両親は、どのような反応を…?
杉浦さん:両親もつらかったと思います。母は比較的ふくよかなほうでしたが、この騒動ですっかり痩せてしまって…。心配をかけました。でも母にも父にも「せっかく授かった命だから」という思いがあったようで、私の決断をあと押ししてくれました。
出産前に結婚したいと彼に相談し、向こうのご両親にご挨拶に行ったのが年明けの1月のことです。顔合わせをしたものの、向こうのご両親はおし黙ったままで。こちらもなんと言い出せばよいかわからず、長い沈黙の時間がありました。そのときに父が、「こんな娘ですが、もらってやってくれませんか」と口火を切ったんです。そこで場の空気がふっと変わり、向こうのご両親も「こちらこそ、よろしくお願いします」と応じてくださいました。
向こうのご両親は、当時学生だった私を妊娠させたことを思うと気まずく、面と向かってなんと言えばいいのか、言葉が見つからなかったのだと思います。父の言葉はきっと、その心中を察してのものだったのでしょう。10代の頃は正直、父が苦手だったんですけど、そのとき初めて「このお父さんでよかった」と思いました。
── 素敵なお父さんですね。双方の両親から許しを得て、ご結婚されたわけですが、当時、旦那さんはまだ大学生。慣れない土地で初めての出産を控えて、かなり不安だったのでは。
杉浦さん:不安に思っている暇がないほど、余裕のない生活をしていたように思います。結婚後は夫が通う大学から近い場所でアパートを探して引っ越したのですが、とにかくつわりがしんどくて。引っ越したばかりでやるべきことが次から次へとやってきて、それをこなすのに精一杯でした。
いわゆる「できちゃった婚」だったうえ、19歳での結婚はやはり印象がよくなくて。地元ではよからぬ噂も広まり、帰省できる雰囲気ではありませんでした。産後は祖母がアパートで寝泊まりしてくれ、慣れるまで一緒に子どもの世話をしてくれました。
生活苦で明日の食事にも困り「大学再受験」を決意
── ひとりで育児に奮闘されるなか、旦那さんが大学に通われている姿を見て、退学したことへの後悔は感じませんでしたか?
杉浦さん:当時は結婚したら専業主婦になる人が多かったんです。だから、子どもを産む決意をして結婚したからには、大学に行けないのは当然のことと捉えていました。ただ生活が本当に苦しくて。夫は大学生ですし、私は子育てで精一杯。双方の親から合計16万円の仕送りをしてもらい、そこから家賃や生活費を払い、たりないぶんは夫のアルバイト代で補っていました。もちろん節約してはいましたが、仕送りメインでの3人暮らしには限界がありました。
明日の食事もどうなるか…くらいの状況に陥り「このままだと生きていけない。私も働かないとダメだ」と思ったのですが、高卒で資格もなく、小さな子どもを抱えている私に、働き口なんて皆無でした。そうか、今のままだと社会人にはなれないんだ…という事実に直面して呆然としました。「子持ちでまっとうに働くためには資格が必要だ」と考えたとき、母の姿がふと浮かんだんです。
── お母さんは、薬局を経営されていたそうですね。
杉浦さん:はい。子どもの頃から、お店に来るお客さんが母に相談していく姿を見ていました。周りから頼られていた母は誇らしく、私の憧れでした。だから、最初の大学も薬科大学を選んだんです。そんな思いもあり「もう一度薬剤師を目指そう、薬学部を受験しよう」と決心しました。夫に相談したら、どうせ止めてもやるだろうし、やれるだけやってみたらと言ってくれました。
そうと決めたら行動は早かったです。すぐに親に相談したところ、大学の学費は出すよと言ってくれ、高校時代の参考書を送ってくれました。ただ、再受験のためには高校の調査書が必要で、高校時代の担任の先生にお願いしに行ったら、最初は断られたんです。「高校時代に真面目に勉強していなかったお前が受かるわけがない」と言われて。
── それは厳しい言葉ですね…。
杉浦さん:自業自得でした。でも、当時は心を入れ替えて高校時代とは比較にならないほど必死に勉強していたんです。子どもがいて時間に限りがあるからこそ、すきま時間を有効に使うことを徹底していました。それを先生に伝えたところ納得してくれ、調査書を書いてもらえて。結局、大学を中退した翌年に、最初に入学した大学より偏差値の高い大学の薬学部に合格することができました。
保育園に預けたいと相談も児童養護施設を紹介され
── 晴れて再び大学生になられたのですね。でも、お子さんは当時まだ1歳。どのように勉強と子育てを両立したのですか?
杉浦さん:大学に合格したのち、「保育園に子どもを預けたい」とまずは役所に相談に行きました。ところが「保育園は働くお母さんのためのものです。自分で育てられないなら施設に入れてはどうですか」と、児童養護施設を紹介されたんです。当時はそれがごく一般的な対応だったのだろうと思います。そもそも、私は19歳でいわゆる「ヤンママ」だと思われていたので、世間的にはよく思われていなかったでしょうし。
── 子どもを育てる気がないと決めつけられたのですね。
杉浦さん:母に相談したら直接、行政にかけ合ってくれたんです。娘は子どもを育てられないのではなく、薬剤師を目指して大学で勉強するのだと伝えたうえで、「親としては助けに行きたいけれど、遠方でそれが叶わないので、どうか保育園に預けさせてもらえないか」と。おかげで、ある保育園の園長先生が気持ちを汲んでくださり、「うちで引き受けます」と言ってくださいました。
虐待一歩手前の行動を見た園長がかけたひと言
── 理解のある園が見つかってよかったです。とはいえ、薬学部と言えば実習もあるでしょうし、育児と勉強の両立はかなり大変だったでしょう。
杉浦さん:無駄な時間をなくすために、保育園からすぐ近くのアパートに引っ越しました。通学時間は長くなったのですが、電車での移動時間も勉強に当てられたのでかえってよかったです。毎朝、朝食と弁当、夕食を作ってから息子を保育園に送っていました。息子が熱を出したときには、夜中のうちに静岡の実家に預けに行き、翌朝は大学に行ったことも。夫や母以外に、叔母や妹、ママ友たちにも総動員で助けてもらいました。
それに加えて、園長先生には最後まで助けていただきました。あるとき、急いで電車に乗らなきゃいけないのに、息子が保育園に行くのをグズったことがあって。靴を履かないと言い出すから、冬なのに靴下姿の息子を私が引きずって歩いているところを園長先生に見られたんです。
側から見れば、虐待を疑われても仕方ないような状況だったと思います。それでも、先生は私を責めることなく、息子に向かって「お母さんは今日も頑張るんだから、君も頑張ろうね」と声をかけ、子どもと手を繋いで靴を履かせてくれた。この光景が今でも忘れられません。そんな先生や周囲の恩に報いるためにも、国家試験には一発合格しなければって、必死でしたね。
大学はほぼ休まなかったし、実習のレポートも欠かさず出していました。提出時間が朝9時だったので、朝3時に起きて書き上げて。当時はまだ手書きだったので、そのときの名残でいまも指に「ペンだこ」があるんです(笑)。
── 理解のある方々に出会えたおかげで、必死に勉強することができたのですね。そして、19歳で再び大学受験にチャレンジして薬学部に合格したからこそ、今があると。
杉浦さん:その通りです。私、遠回りをして薬剤師になった自分の人生を心からよかったと思っているんです。18歳で妊娠して退学したときは、本当の意味で「学ぶことの大切さ」がわかっていなかったし、もっといえば高校生のときはあんなに時間があったのに全然、勉強していませんでした。
でも、無職で子育てを始め、生活が苦しくなって初めて「高卒・子持ちで職を得ることの難しさ」を痛感しました。それで大学に入り直すことを決意し、子育てと勉強を必死に両立した末、薬剤師になれた。まさに、学びが自分を助けてくれることを身をもって体験したんです。そして、薬剤師になってからは世の中の人のために、薬剤師として学び続けることの必要性を日々感じています。結局いつだって、学びこそが自分を助けてくれるかけがえのない経験なのだと思います。
取材・文:池守りぜね 写真:杉浦佳子

