そのうち母親は、家のどこにトイレがあるかも分からなくなっていた…離婚して親と同居した女性を襲った“終わりの見えない”介護地獄のリアル〉から続く

「夫の介護? そんなの絶対にあり得ません!」

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 そう断言するのは元看護師の藤井美香子さん(仮名・61歳)。30年にわたり生活費を1円も入れずパチンコ三昧だった夫から逃げ出し、別居生活を送っていた女性だ。だが、その夫が突然脳出血で倒れ、意識不明で救急搬送されてしまう。人工呼吸器につながれた夫の姿を見ても「めんどくさい」「放置されて死ねばよかったのに」としか思えなかった妻の凄絶な恨みと、夫婦の闇の深さとは……。

 ジャーナリストの小林美希氏による『介護難民400万人時代 2040年 日本型“超高齢社会”の末路』(朝日新書)の一部を抜粋して紹介する。


写真はイメージ ©akiyoko74/イメージマート

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働かず、横柄な夫

「夫の介護? そんなの絶対にあり得ません!」

 そう断言するのは、藤井美香子さん(仮名、61歳)。

「どうしようもない人でした」という9歳年上の夫(70歳)とは、別居生活を送っていた。

 忘れられない嫌な思い出は、たくさんある。看護師だった美香子さんが40歳の頃、病院で夜勤をこなしながら3人の子育てをしていた時のことは、今でも鮮明に覚えている。小学校や保育園に通う子の世話を夫がすることはなく、保育園の送り迎えは全て美香子さんの役割だった。糖尿病の義母の病院の付き添いまで、美香子さんが夜勤の前後に行っていた。

 日勤であれば、たいていの日は18時に帰ることができたが、急患が来て帰ることができずに20時に帰宅した日、夫は寝転がったまま「早く飯を作れや」と横柄な態度をとった。堪忍袋の緒が切れた美香子さんが「私、一生懸命やっているのよ!」と激怒すると、子ども達はオロオロとしていた。翌日、夫が何の相談もなく「母ちゃんの世話をする」と言って、会社を辞めてしまった。

 義母の介護といっても、夫は美香子さんが作ったおかずを持っていって食べさせるだけ。美香子さんが「月5万円でいいから働いて」と言っても、夫は働かない。夫の両親は不動産を所有していたことから経済的に困っていなかった。両親から小遣いをもらっている夫は遊ぶお金には困らず、働かない。それから約30年にわたって夫から1円の生活費も渡されることがなかった。

夫に死んでほしいと思うことも

 子どもが中学生になると、塾に行きたいと言い始めた。塾代を稼ぐために夜勤手当で収入を増やそうと、夜勤のシフトに入る回数を増やした。労使協定や夜勤ガイドラインによって夜勤は3交代で月8回以内にすべきところ、美香子さんは上司に「入れるだけ入れてください」と言って、月20勤務のうち14回の夜勤をこなした。上司は「夜勤の負担が重くて申し訳ない」と言ったが、背に腹は代えられなかった。「娘が20歳になったら離婚しよう」。そう決意していた美香子さんは、日々節約し、死に物狂いで働いた。学費も蓄えなければならない。どんなに節約しても、月末に残る給与は1000円程度だった。

「本当に心底、夫がいなくなったらどんなにいいかと思っていました。私は看護師。夫が泥酔している時を見計らって、チューブを使って口にウイスキーを大量に流し込めば死ぬかな。そう思うくらい憎かったです。でも、もちろん、そんなことはできない。子どもたちは成人してもいないし。私が逮捕されては路頭に迷ってしまうと、思い留まりました」

 子ども達が成人して就職した頃、美香子さんは転居を伴う異動を命じられた。「下の子も就職したし、もう、いいや!」と異動を承諾し、夫との別居生活が始まった。その間、夫には内緒でマンションを購入した。転勤から戻っても夫の元には戻らずマンションに住んだが、夫は美香子さんに住所すら聞かなかった。

 友達に一人暮らしの経緯を話すと、「それって、DVだったんだよ。逃げて当然」と言ってくれた。5年も別居生活を送ると、夫がいない生活が普通になっていった。「ああ、これでやっと私の人生を送ることができる」。そう思った矢先、夫が倒れたのだった。

夫の救急搬送に、「全然心配じゃない」

 一人暮らしをしていた夫と夫の従兄弟が一緒に新型コロナウイルスの感染予防ワクチンを打ちに行こうと約束していた。夫が時間になっても現れないため、従兄弟が家に迎えに行くと、夫が吐いたまま床で寝ている状態。従兄弟が救急車を呼んだ。従兄弟から「吐いて倒れている」という連絡を受けた時に真っ先に思ったのが「めんどくさいなぁ」だった。

 戸籍のうえでは妻である美香子さんは入院手続きをしなければならない。まだ詳しい病状を知らない美香子さんは「どうせ食中毒か何かでしょう」「私の住所が知られたら嫌だな」と思いながら、しぶしぶ病院に向かった。

 到着すると、「救急に行ってください」と案内された。夫は脳内出血がひどく、意識不明の状態。手術しても救命できないかもしれず、助かっても半身にマヒが出ると説明を受けた。

 4年ぶりに顔を見た夫は、口から気管チューブを挿入して気道を確保する「気管挿管」をされている。その姿を見て、「え、そんなに悪いんだ」と思いながらも、夫を家族と思えない。どこかの患者を見ている感覚しかなかった。

 夫の入院先の看護師が気遣って「大丈夫ですか」と声をかけてくれるが、冷静に「大丈夫です」と答えてしまう。「あれっ? こういう時って、家族は泣くものだったっけ? ショックを受けたようにリアクションしないと変に思われる?」と焦ったものの、看護師には「夫と一緒に暮らしていないので」と、そっと打ち明けた。

 こうした家族の状況は、病院側にとって治療の方針などを考えるうえで重要なことだと、美香子さんは分かっていた。それでも看護師が美香子さんを心配してくれて何度も様子を見に来るため、美香子さんは「夫のことなんて全然心配じゃないのに申し訳ない」と思うばかりだった。

人工呼吸器が外れたら先が長くなるぞ、という心配が…

 手術を受けた後、夫はICU(集中治療室)に入った。そこで人工呼吸器を外すことができなければ、酸素を送るために気管切開を行うと告げられた。この時も、美香子さんの気持ちがざわつくことはなかった。「一回でも夫に死んでほしいと思ったことがあって、それが現実になろうとする時、こんな冷静な気持ちになるんだな。冷静でいると病院の職員から変な目で見られはしないか、そういう心配をして、普通の家族のリアクションをしなければと思うもんなんだな」

 夫はSCU(脳卒中集中治療室)にも入って治療を受けていたが、左脳にダメージを受けて右半身が全く動かない。看護師とはいえ美香子さんは小児科で働いていたため、大人の入院患者を看護したことはない。

 人工呼吸器がついている状態でベッドに横たわる大人の男性の状態を見て「普通の人が見たら、どんなリアクションをするのかな」と想像したが、悲しそうなふりはやりきれなかった。またも看護師が気遣って「(夫の身体に)触っていただいても大丈夫ですよ」と言ってくれるが、美香子さんは内心「私、夫に触りたくないんだけど」と思いながらも看護師の手前、愛想笑いをしてやむなく夫の手だけ触った。気持ち悪いとしか思えなかった。

 この時に考えたことは、こうだ。「もし、しばらくして夫が自力で呼吸することができるようになると、人工呼吸器が外れる。そうなったら、これは先が長くなるぞ」。そうした心配が襲った。夫に介護が必要になることが目に見えるからだ。

夫がとにかく憎い理由

 夫には言語障がいが出て、右半身にマヒが残った。在宅介護になることは避けられず、美香子さんはすぐさま病院の職員に「すぐにソーシャルワーカーに会いたい」と申し出た。

 ソーシャルワーカーとは、生活相談員のことで、福祉・医療・介護サービスの紹介や手続きを支援する。病院側は「もう少し状態を見ないと介護が必要か分かりませんよ」となだめたが、「私、この人の介護をする気なんてないんです! 自宅には連れて帰りません」と、ここで初めて本心を明かした。「私、DVサバイバーなんです。家を出て逃げたんです」と、強く言った。看護師に事情を話すと、「それは逃げて良かったですね。正解ですよ」と共感してくれた。

 子どもたちは38歳、32歳、30歳とそれぞれ大人になっている。看護師になった長子に状況を連絡すると「あー、厳しいね」と反応はアッサリ。小学校の高学年から中学にかけて塾に通うお金がなく、美香子さんが苦労していた様子を目の当たりにしていたため、父親との折り合いが悪かった。他の子どもたちも、動揺する様子もなく、心配もしてはいなかった。子どもたちにLINEで父親の状況を連絡しても、いつしか「既読スルー」になった。

「本心を言えば、夫が助からなかったら良かった。従兄弟が発見しないで放置されていたら死んだのに」

 従兄弟には感謝の言葉を伝えたが、内心では「チッ。助けちゃって。もし私が発見していたら、すーっとドアを閉めて、何も見なかったようにして帰って、明日また来ようと思ったはず」。これまでの夫との嫌な思い出が走馬灯のように浮かんでくるのだ。

 美香子さんが夜勤で疲れて帰ってきて眠りたいのに、夫はおかまいなし。大音量でテレビを見ていた。夜勤から帰宅すると、娘が大きな声で泣いて嘔吐していたが、夫は何の対応もしていなかった。夜勤と保育園のお迎えが重なった時に夫にお迎えを頼むと、お迎えがこないと保育園から勤務先の病院に電話が入った。まさかと思ってパチンコ店に電話をかけたら、夫がいた。

 娘が初潮を迎えた時に美香子さんが勤務中で夫は何もしてくれず、美香子さんの姉がナプキンを買ってくれていた。夫は息子が遊んでいるゲームをとりあげて、自分がゲームに夢中になっている。美香子さんの父親ががんの手術を受ける時、美香子さんが病院で付き添う必要があっても、夫は朝ご飯すら作らない。朝早くいったん帰宅して子どもたちのおにぎりを作って、また病院に向かった。

 まだ夫が会社勤めをしていた時は、美香子さんが深夜0時頃から夜勤であることが分かっているのに、23時頃に帰ってきた。これでは、夜勤前に仮眠もできず、子どもたちを置いて出勤しないと間に合わない。夫が会社を辞めて義母の世話をすると言ってからは、美香子さんが作った料理を運ぶだけで、あとはパチンコ三昧。

 その夫が今、意識レベルが低下して目も開けられないまま人工呼吸器につながれてベッドに横たわっている。在宅介護になれば、口から食べられないだろう。胃ろうを作ることになると予想された。また、チューブからウイスキーを流し込む自分を想像してしまう。

介護は断固拒否

「私は絶対に介護なんてしない。なけなしのお金をはたいても介護施設に入れて、私は介護なんてしたくない。結婚して楽しかったことより、辛かったことのほうが100倍、200倍もある。介護なんて、ムリ、ムリ、ムリ!」

 入院中の着替えの洗濯をするのに夫の衣類に触りたくもないため、ビニール手袋をはめる。治療方針を承諾するサインもしたくない。夫のために何ひとつしたくない。

 こうした気持ちでいることなど、他人は知る由よしもない。「大丈夫?」「大変ね?」「食べてる?」「仕事できる?」と同情や心配をされるのが苦痛だった。「私、大丈夫だし、ビールも飲んでいるし、仕事したいし」と反発したいが、大人げないため、愛想笑いするしかない。

 美香子さんにとっては、「妻の私が看護師だから夫を在宅でみられると思われそうなのが、恐怖でしかない」。なのでソーシャルワーカーには「私は夫を介護する気はない。もし介護したとすれば、何かしてしまう」と強調した。

 夫は気管切開をして酸素を取り込むなど医療行為が必要なため介護施設には移れなかったが、療養型の病院に転院することができた。約1年半後、病状が急変して亡くなった。

 年末に亡くなったことで葬儀も火葬も日数を要し、それまでの間、遺体を引き取るのも美香子さんにとっては苦痛でしかなかった。湯灌、納棺で夫の身体に触れるのも、嫌で嫌で仕方ない。

 そうした“夫婦”の現実もある。戸籍でつながっているからといって家族であるわけでもなければ、介護できるとも限らないのだ。

(小林 美希/Webオリジナル(外部転載))