「もう一回結婚してくれる?」出産で夫の記憶を失った妻との10年、悲しみを受け入れた先で築き上げた家族の風景
出産中、約2万分娩に1例とされる『羊水塞栓症』により、重い障がいを負うことになった妻・明里さん(50)と娘・朝咲ちゃん(10)。さらに、妻の頭からは『夫と出会ってからの記憶』が完全に消え去っていた。10年以上ふたりをケアし、「また結婚してくれる?」と妻にプロポーズし続ける夫・荒木貴弘さん(44)の思いとは?(前後編の前編)
出産時の発病で妻が障がい者に、なくなってしまった夫との記憶
7月9日、YouTubeチャンネル『964万7千分の一』で荒木さんの1日を追った動画が公開されると大きな反響を呼んだ。
「妻の明里は明るく、活発で、自由奔放。思い立ったらすぐ行動するタイプ。お酒が大好きで、よく一緒に立ち飲み屋さんに入り浸りましたね。
祭りでは神輿をかついでいましたし、ふたりでのジョギング中、突然『フルマラソンに参加しよう!』と言い出したり。彼女の勢いに負けてフルマラソンに挑戦したのですが、フルを走り切った私のゴールを待たず、ハーフでやめた明里は涼しい顔で先にメシを食ってるようなところもありましたね(笑)」
とても愉快そうに話すのは夫・荒木貴弘さん。10年前、明里さんは出産時に羊水塞栓症で意識を失い、心肺停止に。脳に酸素が行き渡らない時間が発生し、低酸素脳症による重篤な障がいを負うことになった。
羊水塞栓症。あまり聞きなれない病名だが、その発症は、分娩中や分娩直後とされる。羊水が母体の血管に流入し、急激な呼吸困難や心停止、重篤な出血を引き起こす。極めて稀な症例で、約2万~3万分娩に1例ほどと言われている。
「僕は出産には立ち会っていました。あと少しで娘が出てくる……というときに、明里が羊水塞栓症で急変。衝撃的すぎて、僕はずっと妻の名前を、病院中に響き渡るような声で叫び続けていました。
すぐ大病院に移送され、医師からは『あと1~2時間(の命)かもしれません。助かったとしても、意識が戻らないことを覚悟してください』と告げられました」
2016年4月27日。明里さんは満身創痍で娘・朝咲(あさひ)ちゃんを出産した。この奇跡の出産と同時に、明里さんも朝咲ちゃんも重篤な障がいを負うことに。朝咲ちゃんは半年後、明里さんは1年後にやっと退院することができたという。
「明里のね、記憶がないんですよ、僕と出会ってからの。それがいちばんショックでしたし、悲しいですね。その前の記憶はあるんです、だから義両親のことはわかる。でも、僕と結婚したことは忘れてしまっているんです」
いうなれば、明里さんの脳は認知症が進んだ状態と似ているという。昔のことは覚えているのに、昨日のことは覚えていない。
「自分のことを思い出してほしくて、僕なりにいろんなことをやりました。明里の五感に訴えるべく、思い出の景色や香り、音楽など、思いつく限りの働きかけを行なったんですが、残念ながらまだ記憶は戻ってはいないです」
みんなが支えてくれているから僕は頑張れる
現在、ふたりとも自分の脚では歩くことはできず、車いすで生活している。意思疎通はスムーズではないものの可能だ。
「聞き取りづらいときは正直、あります。そういうときは何回も聞くし、彼女たちに応じた聞き方を心がけています。YESかNOで答えられるように話しかけるんです」
貴弘さんは明里さんと朝咲ちゃんのケアを10年以上、続けている。
「明里のデイケアは週2回。朝咲は小学4年生になりました。放課後、障がいを持つ子の学童保育のような放課後等デイサービス(児童デイサービス)に週3回通っています。加えて、ふたりとも定期的な通院も月に1回程度しています」
朝はふたりを起こし、身支度を整え、朝食を食べさせる。そして、送迎。夜は夕食の準備をして、夕食をとり、朝咲ちゃんをお風呂に入れて、寝かしつける。
「僕も明里もお酒が好きだから、夕食時には一緒に飲みますよ。ただ、僕が飲みすぎるとケアできなくなっちゃうから、1~2杯くらいで我慢して(笑)」
これほどのケアを貴弘さんはたったひとりで行なっているのだろうか?
「いえいえ。明里の両親も、僕の家族も助けてくれています。僕は神奈川・湘南のお寺で僧侶をしているのですが、結婚して3年後にここのお寺に夫婦養子で入らせてもらったんです。だから、僕らには3組の両親がいるんです。
妻が今の状態になったあともお寺の両親は『ここに居ていい』と言ってくださった。妻の両親も泊まりがけでサポートをしてくれて、本当に感謝してもしきれない。
さらには、訪問看護師さんや介護士さん、ケアマネージャーさん……みなさん、本当に親身になってめちゃくちゃ支えてくださっている。だから、僕は頑張れるんです」
「もう一回“結婚しよう”って言ったら結婚してくれる?」
貴弘さんの仕事柄、法事の予定は事前にわかるものの、葬式はやはり突然入る。
「ヘルパー事業者だけで8か所ほどお付き合いいただいています。僕は毎月、各事業所のヘルパーさんに『今月はこういう感じでお願いします』という予定を組み、流しているのですが、お葬式が入ると全部、その日の予定は組み直し。何か所も電話をして、みてもらえる業者さんを探すというスケジューリングはやっぱり大変ですね。とはいえ、サラリーマンの方のように残業続きということはないので」
貴弘さんは、悲壮感漂うケア生活をしているわけではない、と語る。
「うまく言えないのですが、この生活が始まって10年。感慨深いですし、いい意味で『力み』が抜けてきた部分もあると思います」
気づけば、元気だった明里さんと過ごした時間よりも、歩けなくなった明里さんとの時間のほうが長くなった。
「(明里さんが元気だった)あのころは何気なく過ごしていたし、時にはケンカもしましたし(笑)。あの大事な時間を過ごしたことがどんどん色濃くなって、ますます大事にしたいと思っています。
そして今の生活はこれからも20年、30年と続いていく。葛藤したり、悩んだり、苦しんだり、孤独を感じることはもちろんあります。『どうしてこうなってしまったんだろう?』とか、街中の親子連れを見て『ウチはああはならなかったなぁ』とか、いまだに悲しむこともやっぱりあって。
ただ、ふたりが頑張っているから僕も頑張れる。
もし、あのときふたりが亡くなっていたとしたら、今は全然違う生活をしているでしょうね。朝から晩までヤケ酒だったかもしれないし、ひょっとしたら、もうこの世にいなかったかもしれないし。そんなふうには思いますよね」
そう語る貴弘さんは、悲しむ時間は悲しむ時間として大事にしている。
「悲しみばかりに目を向けるときがあるのは、仕方がないこと。たとえ時間が経とうとも、悲しみはやっぱり襲ってくる。ただ、その悲しみは、それだけ大きなもの、深いものをいただいていた、それだけ大事な時間を過ごしてきたことの裏返しなのだ、と。
かつて、私が学んだ先生が教えてくれたその言葉が、今になって響いています」
さらにこう続ける。
「明里は記憶を失っていますが、いい意味で悲壮感はないんです。良いことだけではなく、悪いことも忘れているので。『なんで私はこうなってしまったの?』とシクシク泣くこともなく、今を笑顔で過ごしているんです。
ひょっとしたら、彼女の本当の力強さは、辛いことは全部忘れて、さらに夫のことも忘れたフリをして(笑)、楽しく生きているところにあるのかな~なんて思っています。そして、彼女の関心事は『今日は何を飲もうかな』であって(笑)」
貴弘さんは、明里さんに冗談半分でこんな問いをよく投げかけるのだそう。
「『もう一回“結婚しよう”って言ったら結婚してくれる?』と。『いいよ』って言うときもあるし、『ダメ』って言うときもあって(笑)。断られたときは『え、ダメなの? こんなにご飯作ってるのに? 厳しいねぇ(笑)。じゃあ、また今度言ってみるわ』って返したり。
明里は、その都度言うことが違うので、それはそれで楽しく言葉を返していますよ」
家族のことを語る荒木さんの表情は終始笑顔で、その生活が優しさで満ちあふれていることが伝わる。
だからと言って、軽々しいことは言えない。ただ、今宵もふたりの晩酌が笑顔で穏やかであることを願うばかりだ。
取材・文/池谷百合子
