敗戦の悲壮感よりも戦車からの解放感――若き司馬遼太郎が迎えた8月15日【昭和20年8月15日】
大阪に生まれ育った司馬遼太郎が初めて東京にやってきたのは、作家を夢見てではなく、本土を守るための戦車隊の一員としてだった。
無謀な軍の作戦に憤りを抱えながらも、絶体絶命の戦車隊としての任務をこなす中で迎えた終戦。若き司馬遼太郎は何を思ったのか――
総勢135人の敗戦体験を膨大な資料にもとづいて再現する『昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか』より、今年、没後30年を迎えた司馬遼太郎の敗戦体験を公開します。
中川右介『昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか』
絶体絶命の密室からの解放
国民作家になる司馬遼太郎(しば・りょうたろう)は敗戦の年はまだ小説家ではない。八月七日に二十二歳になったところだった。一九四三年に国立大阪外国語学校(大阪外国語大学を経て、現・大阪
大学外国語学部) 蒙古(もうこ)語部を仮卒業して学徒出陣し、満洲で四平(しへい)陸軍戦車学校を経て、戦車第一連隊に配属された。そのため司馬は戦車に詳しい。
司馬の連隊はソ連の侵攻に備えて満洲にいたが、本土が危なくなったとの理由で、一九四五年五月に連隊ぐるみ内地へ帰り、栃木県佐野市にいた。九十九里浜や相模湾に敵軍が上陸するかもしれないので、それに備えるためだった。
第二次世界大戦について司馬は小説には書かなかったが、いくつものエッセイで触れており、それらが随筆集『歴史と視点』に収録されている。そこからは軍に対する憤りがストレートに感じられる。同書にある「石鳥居の垢」が八月十五日の前後を記したものだ。
司馬が属する戦車第一連隊は朝鮮半島を南下して釜山(プサン)港から船で新潟へ行き、関東平野へ到着した。関西生まれの司馬が関東平野を見たのはこれが初めてだった。まだ東京へも一度も行ったことがなかった。
〈明治以来、多くの美術青年や文学青年が東京へやってくるのは、そこで芸術とは何であるかを身につけるためであり、それが伝統になっている。しかし私は不幸であった。満洲からはじめて東京へやってきたのはこのあたりで絵を描くのではなく戦車戦をするためであった。〉
司馬は冷静に考える。自分たちは「東京を守るため」に満洲から移動させられたが、現実問題として、東京は守れないだろう。アメリカ軍の攻撃は空襲と戦艦からの艦砲射撃によってなされる。それと戦車隊がどう戦えるのか。
〈われわれは北関東にいた。敵が相模湾か東京湾に上陸すればすかさず出動し、所定の道路を南下してこれを撃滅するということになっている。〉そのルートも指定されていた。だが、司馬は考える。敵が海から上陸してきたら、東京の人々は家財道具を大八車に載せて北上するのではないか。当時の道路は舗装もされてないし、せいぜい二車線だ。北から戦車隊が南下すれば、北上する国民とぶつかる。その場合の交通整理はどうなっているのか。大本営から作戦の説明に来た者に質問すると、「轢(ひ)っ殺してゆけ」という答えだった。
〈戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなるのである。〉
そして八月十五日に、日本は降伏した。絶体絶命の密室から解放されたという気落ちのようなもののほうがつよかった。
〈関東の片すみでこのラジオ放送をきいたとき、二千年もつづいた国家が崩壊してゆくというような大げさな悲愴感がどうしても胸のうちにおこらず、ともかくも戦車というこの絶体絶命の密室から解放されたという気落ちのようなもののほうがつよかった。〉
一九八六年から八七年にかけてNHKの番組のために語られたものをまとめた『「昭和」という国家』では、もっと素朴(そぼく)な感想を語っている。司馬は簡単な演習の企画をする予定だったが、うまくできないでいた。そこへ敗戦となり演習は中止になったので〈ああ助かったという感じでした〉。それを〈明日が試験だという晩に学校が火事になった感じ〉とも言う。
「石鳥居の垢」に戻ると、最後にタイトルが回収される。
〈九月になって故郷の町に帰ってみると、家も町も空襲で灰になっており、かろうじて町内の氏神の石鳥居だけ残っていた。石鳥居は御影(みかげ)石でつくられていたが、焼け焦げたためか、ひっ搔くとボロボロと垢のように、石の皮のような物質が落ちた。〉
その石の皮がいま終わった昭和前期の日本で、あれは本当の日本だったのかが気になった。〈その気になり方が、日本人の経たながい時間に多少の関心をもつ契機になったような気もする。もっともそれは思い入れで、そういうものでもないかもしれない。〉
終戦後、司馬は新聞社に入るがそこが倒産し、次に入った新聞社も倒産し、一九四八年に産業経済新聞社に入り、京都支局に配属された。五〇年の金閣寺炎上事件ではいち早く現場に駆けつけ、住職から話を聞いてスクープした。五六年に講談社の講談俱楽部賞に応募して受賞しデビューし、作家専業になるのは六一年である。
続きは『昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか』でお楽しみください。各界の文化人たちはどのように終戦を迎えたのか。司馬遼太郎のほかにも太宰治や黒澤明、やなせたかし、そして26年度後期放送予定朝ドラ「ブラッサム」の宇野千代など、著名人が多数登場します。
本書に登場する文化人(135人)
第一部 今日も明日もペンをとる
第一章 若者たち
三島由紀夫/司馬遼太郎/井上靖/松本清張/水上勉/円地文子/瀬戸内寂聴/大岡昇平/阿川弘之
第二章 文豪たち
川端康成/大佛次郎/菊池寛/林芙美子/宇野千代/宮本百合子/石川達三/太宰治/谷崎潤一郎/永井荷風/横溝正史/海野十三/江戸川乱歩
第二部 国敗れて、映画あり
第三章 東宝
森岩雄/黒澤明/今井正/高峰秀子/志村喬/山本嘉次郎/原節子/山田五十鈴/長谷川一夫/三船敏郎/円谷英二
第四章 松竹
城戸四郎/五所平之助/佐々木康/並木路子/高峰三枝子/田中絹代/上原謙/加山雄三/笠智衆/佐野周二/マキノ正博/木下惠介/小津安二郎
第五章 大映
永田雅一/市川右太衛門/片岡千恵蔵/丸根賛太郎/嵐寛寿郎/阪東妻三郎/伊藤大輔/稲垣浩
第三部 それぞれの幕間
第六章 演劇・音楽
島田正吾/古関裕而/菊田一夫/古川ロッパ/天津乙女/春日野八千代/岩谷時子/越路吹雪/ミヤコ蝶々/森光子/淡谷のり子/笠置シヅ子/服部良一/山口淑子/朝比奈隆
第七章 新劇
中村伸郎/山本安英/木下順二/杉村春子/千田是也/東山千栄子/村瀬幸子/滝沢修/宇野重吉/沢村貞子/丸山定夫/徳川夢声/土方与志
第八章 歌舞伎
初代市川猿翁/六代目尾上菊五郎/七代目尾上梅幸/十七代目中村勘三郎/初代中村吉右衛門/初代松本白鸚/初代中村錦之助/十一代目市川團十郎/二代目尾上松緑/六代目中村歌右衛門/十四代目守田勘彌/初代水谷八重子/二代目中村鴈治郎/坂田藤十郎/十三代目片岡仁左衛門/四代目中村雀右衛門
第四部 遅れてきた少年たち
第九章 未来の音楽家、映画人たち
小澤征爾/岩城宏之/芥川也寸志/武満徹/吉田喜重/篠田正浩/大島渚/大林宣彦/深作欣二/高倉健/岡田茉莉子/有馬稲子/岸惠子/美空ひばり
第十章 未来のマンガ家たち
手筭治虫/藤子不二雄Ⓐ/楳図かずお/さいとう・たかを/石ノ森章太郎/松本零士/わたなべまさこ/赤塚不二夫/ちばてつや/白土三平/水木しげる/やなせたかし
第十一章 未来の作家たち
大江健三郎/石原慎太郎/井上ひさし/五木寛之/野坂昭如/星新一/小松左京/筒井康隆/田辺聖子/阿久悠/黒柳徹子
1960年生まれ。作家、編集者。
早稲田大学第二文学部卒業。出版社アルファベータ代表取締役編集長(~2014年)として、音楽家や文学者の評伝などを編集・発行。自らもクラシック音楽、歌舞伎、映画、マンガ、野球など多様な分野で旺盛な執筆活動を続ける。著書に『クラシック音楽の歴史』(角川ソフィア文庫)、『冷戦とクラシック』(NHK出版新書)、『昭和45年11月25日』(幻冬舎新書)、『江戸川乱歩と横溝正史』(集英社文庫)、『オーナーたちのプロ野球史』(朝日文庫)など。

