広島テレビ放送

写真拡大

 ことし10月に公開予定の映画があります。西川美和監督が戦争孤児を描いた「わたしの知らない子どもたち」です。広島出身の西川監督が初めて戦争をテーマに手がけた作品ということで、戦争を描くことには、どんな思いがあったのか伺いました。

 西川監督が今作品の映画に込めた思いを取材しました。

 広島出身の映画監督、西川美和さん。20年を超えるキャリアで、初めてのテーマに取り組みました。
 映画「わたしの知らない子どもたち」。1945年の東京大空襲で家族を失った孤児たちが懸命に生きる姿を描いています。

■西川 美和 監督
「子どもが親や住む家を奪われて、街に放り出されるっていうのは、戦争の最大の悲劇でもあると思いますし、戦争の孤児は被害者の最たるものだと思うんですけどね。」

 孤児たちは劣悪な環境のなか、時に危険な目にあいながらも、靴磨きで日銭を稼ぐなどして生き抜こうとします。
 西川監督は当時の様子をCGやセットでリアルに再現することで、戦争が子どもたちに何をもたらすかを描こうとしました。

■西川 美和 監督
「スタッフ側も戦争を知っているわけではないですし、その時代の実感があるわけではないから、『お腹が減って物を見たら食べたくて仕方がないんだ』とか、『もっと、むさぼり食うんだ』みたいなことを伝える自分自身が飢えた経験がないので、それをどこまでの説得性で彼らに伝えるべきかというのが、とっても難しかったなとは思います」

 戦争を知らない子どもたちに、どう伝えるのか。対話を重ねながら撮影に臨みました。

■子役
「誰かが戦争を早く止めてほしかった」

■西川 美和 監督
「それは、ずっとみんな言っていることですね。なんで止められなかったのかな」

 終戦後、日本では12万人が孤児になったとも言われています。しかし、彼らがその後どのように生きたかは、あまり知られていません。
 長崎市に住む木口久さん(86)。戦争孤児の一人です。父親を早くに病で亡くし、母・スミさんと姉・兄・妹の6人で暮らしていました。

■長崎市在住 木口 久 さん(86)
「ひもじいもんだからね。毎日腹をすかしてるわけでしょ。配給はあったけどすずめの涙ですからね」

 そんななか迎えた8月9日、母・スミさんは食料を分けてもらうために、子どもたちを残して出かけていきました。

■長崎市在住 木口 久 さん(86)
「母が出かけようとしたんですよ。そしたら1番下の1歳の妹がね、もう激しく泣いてね、母にしがみついたんですね。今から思えば、なんか虫の知らせっていうのかな。それがもう母親を見た最後になった」

 “1945年8月9日 午前11時2分 原爆さく裂”

■長崎市在住 木口 久 さん(86)
「稲光と同時に音がして。家がグゥーっと揺れまして。もう屋根が飛ぶしね。兄の話では(家の)半分は飛んだ。」

 木口さんや兄弟にケガはありませんでしたが、母親と再び会うことは、かないませんでした。突然、戦争孤児となった木口さん、施設を転々としたあと姉とともに祖母に引き取られます。

■長崎市在住 木口 久 さん(86)
「親がいないとね。ひがみもあるかもしれないけど、なかなか打ち解けないの、新しい家族と。どうしても、のけ者にされてるっていうかね、やっぱりあの、つらさがね」

 孤独を感じ過ごした少年時代。8歳上の姉は、つらい日々に耐えられず自ら命を絶ちます。木口さんが11歳のときでした。
 子どもが巻き込まれる悲惨な戦争を絶対に許してはいけない。そんな思いで木口さんは今、語り部として平和の尊さを訴えています。そして、15年ほど前から毎朝、横断歩道に立ち子どもたちを見守っています。

■長崎市在住 木口 久 さん(86)
「名前を呼ばれると、うれしいじゃないですか、誰しも。安全だけじゃなくて子どもは未来の宝だから」

(00)□福島市ロング
ことし4月。

(04)□子ども集まる
福島県に集まったのは、東北で活動するオーケストラの子どもたち。(12)

■メンバー
「仙台です」「岩手です」「岩手です」「仙台」

(19)□写真
彼らは東北ユースオーケストラ。東日本大震災で被災した3つの県の子どもたちが音楽家の坂本龍一さんのもとに集った楽団です。

(35)□準備
西川監督は映画の音楽を子どもたちに演奏してもらうことにしました。(44)

■西川美和監督
「こんにちは。映画監督の西川美和といいます。初めまして。『わたしの知らない子どもたち』という作品名です。主人公が音楽家の娘という設定なんですね。きっと自分も将来的には音楽に関わったり演奏したりする将来があるんだろうなと普通に思っていたと思うんですけど、そういう子が音楽を奪われていくというような話だったんですね。地震や津波で皆さんの環境でも音楽と触れる機会を奪われたりつらい思いをされた方もたくさんいるんじゃないかなというふうに思います。ぜひとも皆さんの演奏をこの映画に乗せていただければなと思います」

 木口さんは、戦後の人生のことを訪ねると口が重くなります。そのことからも、壮絶な人生がうかがえます。その経験をされたからこそ『子どもは未来の宝』だと強く訴えられているのだと感じています。

 西川監督が映画で子ども達と、どのように関わってきたのか映像にまとめました。

 ことし4月、福島県に集まったのは東北で活動するオーケストラの子どもたち。

■オーケストラの子どもたち
「仙台です」
「岩手です」
「岩手です」
「仙台」

 彼らは東北ユースオーケストラ。東日本大震災で被災した3つの県の子どもたちが、音楽家の坂本龍一さんのもとに集った楽団です。
 西川監督は映画の音楽を、子どもたちに演奏してもらうことにしました。

■西川 美和 監督
「こんにちは。映画監督の西川美和と言います。初めまして。『わたしの知らない子どもたち』という作品名です。主人公が音楽家の娘という設定なんですね。きっと自分も将来的には音楽に関わったり、演奏したりする将来があるんだろうなと普通に思っていたと思うんですけど、そういう子が音楽を奪われていくというような話だったんですね。地震や津波で皆さんの環境でも音楽と触れる機会を奪われたり、つらい思いをされた方も、たくさんいるんじゃないかなと思います。ぜひとも皆さんの演奏をこの映画にのせていただければと思います」

 演奏前には子どもたちに映画を見てもらいました。戦争がもたらすもの、孤児たちの生きざまを受け止めてほしいとの思いです。

■高校2年 駒井 心響 さん
「戦争に(焦点を)当てた映画はあっても、それを生き抜いた子どもたちに当てた映画って見たことないなと思って。どう生きたとか教科書に載ってないような」

■矢吹 夕渚 さん
「子どもたちが自由に好きなことを好きなだけして、生きられる世の中にするのが大切なんだなって感じました」

 映画のテーマ曲『太陽と子どもたち』。全ての子どもを太陽が等しく照らすという希望を描いた曲です。

■西川 美和 監督
「とても若々しくてフレッシュな音でそれだけでも、ぐっときたんですけど、この映画自体が子どものための映画でもあるので、演じ手も子どもたちがやってくれていますけれども、ほかのいろんなことに若い人が加わってくれるのは、すごくいいことだなと思いました」

 西川監督の思いを子どもたちは、どう受け止めたのでしょうか。
 主演の小八重葵美さん(13)、12歳の少女を演じました。
 音楽家の父の元で幸せに暮らしていましたが、空襲で家族や家を失い孤児として生きることになります。
 初めて出演した戦争映画。どんなことを感じたか、率直な思いを聞くため広島に招きました。
 その聞き役をお願いしたのは・・・。

■佐々木 駿 さん
「こんにちは。僕の名前は佐々木駿で、この平和公園でガイドをしています」
■小八重 葵美 さん
「小八重葵美です。よろしくお願いします」
■佐々木 駿 さん
「よろしくお願いします。広島は初めてですか?」
■小八重 葵美 さん
「いや、2回目」

 小八重さんと同じ13歳の佐々木駿さん。小学2年生から平和公園でボランティアガイドをしています。去年の平和記念式典では、子ども代表として「平和への誓い」を読み上げました。
 広島をよく知る佐々木さん。案内したい場所がありました。

■佐々木 駿 さん(13)
「この像は『原爆の子の像』といって、一番上に見える女の子が佐々木禎子さんっていう方で、実は原爆の子の像は自分にとって一番、心に残る場所。佐々木禎子さんは12歳の時に亡くなってしまったんだけど、同じ年齢の子どもが、こういう被害を受けて亡くなってしまったんだなっていうので心に残る」

 2歳で被爆し、その後白血病を発症した佐々木禎子さん。「生きたい」と願い鶴を折り続けましたが、12歳で亡くなりました。

■佐々木 駿 さん
「本当に理不尽でかわいそう。戦争は本当になくなってほしい」

■小八重 葵美 さん(13)
「子どもとかもいっぱい死んじゃったりしてて悲しかった。かわいそう」

 そしてもうひとつ。小八重さんの映画を見た佐々木さんが見せたかったものがあります。レストハウスにある1台の被爆ピアノ。一度は原爆で傷ついたものの、修復され音を取り戻しました。

■佐々木 駿 さん
「この傷とかまだガラスがあるの分かる?いろんなところにガラスが突き刺さってた」

 特別に演奏させてもらうことに。映画の役でもピアノを弾いた小八重さん。戦争で音楽を失った少女を演じるために何度も練習した曲です。

■佐々木 駿 さん(13)
「感動するような音色で、未来への希望を感じるような音も感じることができました」

■小八重 葵美 さん(13)
「初めて言われたから、ちょっとびっくりしたけど、うれしいです」

 同い年の2人で巡ったヒロシマ。最後に小八重さんの今の気持ちを聞きました。

■小八重 葵美 さん
「また別のお仕事とかで戦争とかの役をできるってなったときに、きょう教えてもらったこととか『わたしの知らない子どもたち』 で覚えたこととか、したことを生かしていけたらいいなと思います」

■佐々木 駿 さん
「僕はガイドを終わった人に毎回折り鶴をあげているんですけど、この中で、ひとつどうぞ」
■小八重 葵美 さん
「かわいい」

■佐々木駿さん
「ガイドで悲しい話もしたけど、平和は事実を知るだけじゃなくて笑顔でいることだから、広島を楽しんで笑顔になろうみたいな、そういう意味で渡しました」
■小八重 葵美 さん
「うれしい。部屋に飾る」

 戦争を知らない世代の2人が平和をつないでいきます。

【2026年8月6日 放送】