夜の高速で轢死した「両手に手錠の12歳少女」…ついに逮捕された「34歳男」 警察会見で報道陣が驚きの声を上げた“納得の理由”
【写真】頭から毛布をすっぽり…逮捕された34歳男の姿 雑然とした自宅の様子も
世間に衝撃を与えた犯人の職業
第1回【「両手に手錠の12歳少女」はなぜ“夜の高速道路”で轢かれたのか 第一発見者のトラック運転手が見た凄惨な事故現場】を読む
2001年7月24日夜、兵庫県の高速道路を走っていたトラック運転手の兄弟が、路上に倒れている12歳の少女・Aさんを見つけた。しかし、車から飛び降りた後とみられるAさんは、新たに来た別のトラックに轢かれてしまう。しかも、その両手首には手錠がはめられていた――。
一体なぜ、この場所でこんな時間に倒れていたのか。手錠は誰がはめたのか。「週刊新潮」のバックナンバーで事件を振り返る後編では、Aさんの足取りと世間に衝撃を与えた犯人の職業、そして量刑について伝える。

(全2回の第2回:以下、「週刊新潮」2001年8月9日号を再編集しました)
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テレクラで知り合った男と会ってくるわ
「Aさんは、事件前日の23日から当日の24日にかけてテレクラで知り合った無職の男Bのマンションに呼び出され、そこで泊まっています」
とは別の捜査関係者の話。遊び仲間のうち、最も仲のいい小学校時代からの同級生の2人も、後からBのマンションへ行った。翌朝、マンションを出た彼女たちは、事件当日の24日も吹田駅前を徘徊。駅前にタムロしていたが、Aさんは夕方にBと話をし、会う約束をしていたという。
この間、なぜか彼女は1人で近くの銭湯に行き、戻って来て再び仲間と合流。午後8時半、本人の携帯電話が鳴り、電話の相手と二言三言話した後、「これから、テレクラで知り合った男と会ってくるわ」と仲間に言い残し、自転車で駅へ。
午後10時10分、グループのリーダー格である15歳の少女の携帯電話に彼女から、「さっきの男とは会って用は済んだけど、別の友達から電話がかかってきたから、迎えに行かなアカンねん」と連絡があり、10時15分には、自宅の母親のところにも、「今、吹田駅前にいる」という電話があった。(編集部注:後の捜査で、この2件の電話は犯人が偽装目的でAさんにかけさせたものであることが判明する)
が、それが最後の連絡だった。彼女が無惨な姿で発見されたのはその20分後。手錠をかけられた挙げ句、高速道路に放置されていたのである。
通行車両と通話記録で絞り込み
兵庫県警の捜査員が言う。
「ガイシャ(被害者)が危険を察知して自ら飛び下りたか、突き落とされたか、あるいはなぜ手錠をかけられていたのか、まだ判明しないが、ちょうどその時刻、左車線に寄せた白いワゴン車の前方ドアが開いてそこから人が出てきた、という目撃情報もある。いずれにしろ捜査本部では、Nシステムで割り出した528台の通行車両のうち、ターゲットを20台にまで絞り込んでいます」
捜査の最大のターゲットは彼女のテレクラ相手。
「ポイントは彼女の携帯電話です。テレクラで知り合った相手との連絡手段が彼女の携帯電話だったのは、間違いない。携帯電話の場合、通話時の電波の中継地点から発信者がどこにいるか、所在地を割り出すこともできる。しかも、彼女の携帯電話は事件の3日前に母親から買ってもらったもの。そのため通話記録が少なく限られている。電話番号を知っていて彼女を呼び出すことができた相手は10人足らずです」
(以上、「週刊新潮」2001年8月9日号より)
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会見でどよめいた報道陣
Aさんの携帯電話の通話記録と中国自動車道のNシステムなどから、捜査本部は兵庫県に住む34歳(当時)の男Cに目星をつけた。事件発生から約1カ月半後の9月8日には逮捕にこぎつけたが、同日夕方に開かれた会見では報道陣から驚きの声が上がった。Cは現役の中学校教諭だったのだ。
教師歴13年、専門は社会科。当時の勤務校によれば、Cは前の勤務校で1998年5月から1999年3月まで休職したあと、同年4月に転任してきた。逮捕当時の報道では多くの生徒が「喜怒哀楽が激しい」と指摘しているが、「会話の途中で突然怒り出す」といった証言からは情緒不安定という表現が適している。さらに「女子生徒の周囲をうろついている」という証言もあった。
そのうち「悩みがち」な様子になり、2001年6月頃からまたしても休職。が、テレクラを介した悪事はむしろ活発だった。獲物は常に10代の少女。援助交際をエサにおびき寄せると催涙スプレーと手錠で自由を奪い、動画撮影やわいせつ行為、カネを盗むという手口を繰り返していたのだ。もちろん、約束した援助交際のカネは一銭も払っていない。
事件後にも催涙スプレー購入
AさんはCの新たな獲物だった。事件当日が初対面だった2人は、Cが運転する車でホテルを探しながらしばらく走行。その間、Cは催涙スプレーと手錠を使ってAさんを車に固定し、家族や友人に“無事”を知らせる偽装電話をかけさせた。今回はいつもと違い、最初から拉致が目的だったからだ。
だが、車が中国自動車道に入った際、Aさんは激しく暴れて抵抗。手錠の固定が偶然外れたためCが車の速度を落とすと、Aさんはドアを開いて路上に転落した。その結果が第1回の冒頭にあった悲惨な事故である。なお、Aさんをひき逃げしたトラックの運転手はCの逮捕後に警察の聴取を受けたが、そのさなかに自死している。
調べの結果、Cは事件の約3週間後にも催涙スプレーを購入し、「ほとぼりが冷めたら」次の獲物を物色しようとしていたことも判明した。検察はAさんへの監禁致死と他の少女たちへの強盗でCを起訴。公判でのCは監禁致死を全面的に認めたが、強盗については犯意を否認した。
検察は「殺人に匹敵する」と厳罰を求め、懲役12年を求刑した。が、神戸地裁の判決は懲役6年。検察の控訴は2002年11月に棄却された。
「怖くてまともには見られませんでした」――。第1回【「両手に手錠の12歳少女」はなぜ“夜の高速道路”で轢かれたのか 第一発見者のトラック運転手が見た凄惨な事故現場】では、事件に至るまでの経緯を伝えている。
デイリー新潮編集部
