「きみ、友だちいないでしょ」ひろゆき40年来の親友が小学生のときから「変な子」だったと語るワケ
「論破王」「知のインフルエンサー」として独自の存在感を放ち続ける、ひろゆき(西村博之)氏。だが、40年来の親友が記憶している少年時代の彼は、世間が抱くイメージとはまったく違う人物だった。
通知表の成績は芳しくなく、宿題はやらない。遅刻の常習犯で、先生には怒られてばかり。それでもなぜか目が離せない──。親友のたかしさん(仮名)は、当時のひろゆき氏を「視界の端で動いている変な生きものだった」と振り返る。
いったい、ひろゆき氏はどんな子どもだったのか。そして、その“普通ではなさ”はどこから生まれたのか。7月8日に発売された彼の少年時代を半ノンフィクションで描いたコミック『こどもひろゆき』の巻末対談の相手であり、40年以上にわたって彼を見続けてきた親友だけが語れる、「ひろゆきの原点」に迫る。
決して「優等生」ではない「問題アリ」な小学生時代
──おふたりが子ども時代を送ったのは、1980年代の東京・北区の公立小学校。ひろゆきさんは現在、日本中の誰もが知る実業家でインフルエンサー、たかしさんはクリエイティブディレクター、会社経営者として多方面で活躍されていますが、小学校時代はどんなお子さんだったのでしょうか。
たかしさん(以下敬称略):まぁお互い「優等生」ではなかったよね。先生の机の両脇が僕たちの「特別席」だったから。賢くて優秀なら、そうはならないんじゃないですか(笑)。
ひろゆきさん(以下敬称略):僕は通知表は悪かったですね。テストの点数はいいんですけど、宿題はやらないし、遅刻は多いし、授業態度は最悪方向だったから。
たかし:遅刻でいうと、中学のころは僕が毎日ひろゆきを起こしにいってましたね。お母さんも僕が来る前に起こしておいてくれればいいのに、そうじゃないから僕まで遅刻して(笑)。
ひろゆき:1学期だけで50回くらい遅刻したときもあったかも……。
たかし:だからひろゆきは、クラスメイトが選ぶ「頭がいい人ランキング」みたいなものにはなかなか入らないんです。子どもの認識には、「頭がいい=真面目=おとなしい」みたいな図式があるから、テストの点が良くても怒られている人は頭がいい印象にはならない。
小学校には優しい先生もいたけれど、5〜6年のときの担任の先生はものすごく厳しくて、僕たちは毎日のように怒られていました。何かあるとすぐ定規でピシッと手をたたかれたり、ひろゆきはビンタされて吹っ飛んだこともあったね。昭和はまだ体罰があった時代だから。
ひろゆき:生活指導の先生に殴られるのはふつう。それが当たり前だったから特になんとも思わなかったよね。
たかし:いやいや(笑)、体罰が当たり前だったのは我々が大きくはみだしていたからであって、全員が殴られていたわけではないよ。
ひろゆき:そうだっけ? 他の人が殴られているかなんて気にしたこともなかった。
たかし:あなたはそうでしょうね。あまり周りを見ていなかったから。僕がひろゆきのことでよく覚えているのは、教室で彼がふいに僕の机に来て、「きみ、友だちいないでしょ」と言ったこと。「お前もな」と思いつつ、「こいつ、自分のことは見えていないんだ」って。
僕にとってのひろゆきは、視界の端で動いている「変な生きもの」。だから気になるし、見ていると面白くて退屈しない。お互い必ずしも人と活発に交流するタイプではなかったけれど、「明るい人ランキング」には一応ランクインしていたね(笑)。
ひろゆき:僕は先生が来たときにワーッと話しかけたり、遠足のときは先頭にいたりするタイプだったから、それが小学生感覚だと「明るい」になるんじゃない? ただそれは興味があることを聞いたり、情報が多く得られるからの行動で、決してリーダーシップがあったわけではない。
たかし:我々の知的レベルがもう少し高ければ「能動的」という言葉を使ったところ(笑)。
ひろゆき:あとはマンガにも描かれていたとおり、ずっとトカゲを追いかけていました。
たかし:マンガのシーンでいうと、僕も実際よく図書館には行っていました。
かつてのひろゆき氏は、学校という世界では決して成功者には見えなかった。ところが、他人と異なる視点と行動力ゆえの「はみだし方」こそが、変化の激しい時代を生き抜く力につながっていったのかもしれない。
【ひろゆきが公立小学校で身につけた「雑草力」の重要性…「私立校育ち」の人に圧倒的に欠けているもの】では、40年来の親友との対話から、ひろゆき氏の思考の土台をつくった「1980年代の公立小学校」を読み解く。均質さが求められる現代社会において、異質な人間が育つ環境はどこにあるのか──。ひろゆき氏の原点から、その問いを考える。

